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秘封党結成
7月13日。既に尾張徳川主義連盟は分裂していた。「尾張徳川主義連盟革命派」「尾張徳川主義連盟主流派」「尾張徳川主義連盟保守派(→山口保守党)」「革命的徳川主義者同盟(→山口人民戦線)「山口徳川党」の5派である。7月17日。尾張徳川主義連盟革命派と山口人民戦線、山口保守党と尾張徳川主義連盟主流派はそれぞれ同志団体である故に尾張徳川主義連盟革命派と山口人民戦線は合流して「山口人民共産党」、山口保守党と尾張徳川主義連盟主流派も合流して「帝政山口反革命委員会」にそれぞれなった。帝政山口反革命委員会はMPCの心強い味方であった。無産党は人民共産党吸収を画策、人民共産党は無産党に吸収された。一方、下関市では大衆党が結成された。蘇我革命共闘は事実上解散した。7月19日。大衆党は井上敏彦の指導で正式発足。MPCは解散を余儀なくされた。7月30日。前29日に幻想党の秘封派(宇佐美蓮美をリーダーとするグループ)が党費使い込みをやらかして、党を追放された。これに反発した秘封派は「政治結社 山口秘封党」を結成。そしてMPCのメンツを次々に入党させた。




