動物実験系廃棄物第九十九号
虫の声が鳴いている。
今日はひさしぶりの月が出ない夜だった。魔力で火を灯す、街路灯がなければきっと城下町でも真っ暗で一歩先すら闇の中だろう。部屋に入り込む光も薄暗い。
暗闇は嫌い。自分の指先すらも見えなくて、不安になるから。
暗闇は嫌い。いつも一緒にいるのに優しくしてくれないから。
暗闇は嫌い。悪意が満ちていてきっと私を殺してくるから。
※
「また失敗か……これで何度目だ」
「はっ、成功する方がどうかしてるってことですよ」
一人の男が壁を思い切り殴りつけ、怒りまじりに嘆いている。もう一人の男はそれを見ては鼻で笑う。
そこは暗くて狭い、牢獄のような石造りの部屋だった。
中央には同じく石で作られた赤黒い寝台とところどころ錆びついている鎖がある。その鎖にはまるで猫のような耳が頭から飛び出た女が繋がれていた。
女は服を着ておらず、その晒された裸体のあちこちに痛々しい切創があり、その真新しい傷跡からは血が流れ出ていた。
「魔物のスキルを再現、とか言われてもですねぇ……魔物の細胞を取り込ませてもダメ。魔物の核を移植してもダメ。魔物と人間の交配種でもこのザマだ」
「今回は獣人型の魔物だった……。人間との相性はこれまでの魔物よりも上のはずだ。でなければ魔物の子など孕まないだろう」
「そう簡単に言わんでください。人間に魔物の子供を産ませるのだって成功したわけじゃない……こいつは偶然見つけたレアなサンプルだったんだ……」
「チッ、くだらん。失敗したのだからもうこいつに用はない。おい、こいつも廃棄しておけよ」
研究者然とした二人の男は長々と会話を続けていたが、一人の男が会話に飽きたのか、心底くだらないという表情を浮かべると、八つ当たりに鎖に繋がれた女の顔につばを吐きかけ、部屋から出ていった。
「はいはい……おーい、こいつも廃棄しておいてくれ。書類はこっちで作成しておく。あー番号は九十九号だな」
「はいっ!」
残された男が、部屋の奥の方に声をかけると、部下と思われる二人の男が現れ、命令通りに女を鎖から外してどこかへと運んでいく。
「……!」
そのとき。
去り際に見えた女の瞳がうつろながらも研究者の男を睨んでいるように見えた。
仄暗い瞳の奥に、憎しみの炎が灯った気がしたのだ。
「……はぁ」
女の姿見えなくなったのを確認すると、男は大きくため息をつき、懐にしまってあったポケットナイフを取り出した。
「……もう、いいよな」
そう言って笑い、勢いよく自分の首を掻っ切った。
※
「!」
月の出ない暗い真夜中に、モラは寝ていたベッドで跳ねるように飛び起きた。
「ガッ、ハァ……! ハァッハァッ……」
呼吸がうまくできない。心臓の鼓動が早い。全身汗だくになっているのに身体は酷く冷たく震えが止まらない。
震える身体を抱きしめるように掴む。
「な、なんで今さら……あんな夢を……」
あれはまごうことなき、モラの記憶だ。思い出したくはない過去。実験体として何日も身体中を弄られた上、不要となって廃棄されたのだ。九十九号という番号すらつけられて。
「だ、大丈夫……もう大丈夫だから……私は、モラは……もう大丈夫……」
月明かりが差さない部屋の中は暗闇だったが、それでも人の気配を感じる。それは悪意のある者たちではなく、今モラが仕えている主人である。
「フレン、さん……」
隣の部屋で寝入っているであろうフレンの気配は離れていてもわかる。とても穏やかで落ち着く気配。それを感じ取ると、不思議と身体の震えが治まってきた。
「隣の部屋、行ったらダメですかぁ……ダメですよねぇ……うぅー」
カーミラと暮らしているときは一緒に寝ていたものだが、さすがのモラも年頃の男子と一緒のベッドで寝るのはマズいという常識的な判断によって、別々の部屋で寝ている。だが、この状態では目を瞑ることすら恐怖を感じる。
「うぅ、やっぱり怖いですぅ……」
理性ではダメだとわかっていてもその恐怖に打ち勝つことができなかったモラは枕と毛布と持つと、ベッドから立ち上がって自室から出ていった。
※
朝。
鳥のさえずりと差し込む陽の光によってフレンはうっすらと目を覚ました。
「うーん……」
なぜだろう、まだそれほど寒い時期ではないし、毛布を被って寝たというのに今朝はなんだか肌寒い。
まだ寝ぼけ眼のフレンは、もう一度目をつむって、手探りで毛布を探し当て引っ張るのだが、どうにも引き寄せられない。何か強い力に反対側に引っ張られているようだ。
もちろんその犯人はーーー
「うー……寒いよぉ、って! モラさん!?」
「うみゅー」
驚いたフレンの眼前には同じベッドですやすやと寝ているモラの姿。
なぜか自分とフレンの毛布、二枚分を身体に巻きつけて寝ているではないか。道理で寒いはずである。
「な、なんでモラさんが僕のベッドに……!?」
朝から混乱の渦に陥ったフレンは冷静になって昨晩のことを思い出すが、明らかに寝るときまではこの部屋は一人だけだったはずだ。家具やその他の装飾を見ても、この部屋こそがフレンの自室であることは間違いない。
「ということは、モラさんが寝ぼけて僕の部屋にはいって、そのままベッドに……?」
フレンにはそれしか考えられない。
きっと夜中にトイレに立った帰りに間違えて入り込んだのだろう、と一人納得するしかないのだ。
「ま、まあそういうときもあるよね! マール姉さまもちょこちょこ間違えて僕のベッドに入ってたし」
聞く人が聞けば穏やかではない事案を思い返しながら、フレンはベッドから這い出ると顔でも洗おうか、と階下へと向かっていった。
「ふれん、さまぁ……」
一方、陽の光を浴びながら眠るモラはきっと穏やかな夢を見ていることだろう。




