冒険者フレン
「うーん……」
冒険者管理局のソファに腰掛けて、フレンは何やら難しい顔をして手に持った紙とにらめっこしていた。
「今月の生活費はどうすればいいんだろう」
深刻な表情だった。
その手にあるのは請求書の束。家賃やら装備の修理代やら、様々な内容となっている。
「せ、生活するのってこんなにお金かかるの? 本当に? 家賃と税金だけでかなりかかるんだけど、これに加えて食費……? 正気?」
「フ、フレンさん、私ちょっとはお金持ってますけど……」
ぐったりとしたフレンの頭上から一人の女性が声を掛けた。女性はいわゆる使用人の格好をしており、不思議なことに頭の上に猫のような耳がついている。
彼女はうなだれているフレンを不憫に思ったのか、ポケットから小銭を取り出して差し出した。
「いや、大丈夫だよモラさん……気持ちだけ受け取っておくよ」
「うう、穀潰しと思われるのは心外ですぅ……」
「そんなこと思ってないって! それにモラさんのお給料と食費は姉様が支払ってるんだから、気にしなくていいんだよ」
思い返すこと数週間前。
巨大獣との激闘の末、不本意ながら功績値が急上昇したフレンは無事に冒険者ランキングに名を連ねることができたのであった。
しかし、つまりそれはフレンが一人前の冒険者になった、という証でもあるわけで……
※
「よし、家から出ていけフレン」
「話が違うッ!!」
ある日の夜、姉マールの突然の宣言にフレンは間髪入れずに不満の声を上げた。
「ラ、ランキングに入らなかったら家から出ていけって話しじゃなかったんですか姉様!」
「冒険者として大成できないのであれば即刻王立の学校の寮にぶち込むつもりだったがアテが外れた、さすがサニアとだけ言っておこう」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
「サニアさんは黙ってて!」
どこかに消えてしまったカーミラが残した薬によってサニアの視力は回復しており、ブラーシュ家は日常を取り戻したはずだったのだが、またも夕食の席はフレンにとって混乱の震源地と化していた。
「一人前の冒険者ならば、生きていくのに必要な資金は冒険で得られるだろう? この家に頼らずとも独り立ちして立派な冒険者として活動するがよい」
「ぐっ……」
澄ました顔でワインを口にするマールに正論を突きつけられぐうの音も出ない。
「とはいえ、いきなり一人で生活しろと言っても、右も左も分からないフレンには酷だろう。屋敷から一人同行させよう。慣れるまでしばらくは一緒に暮らすが良い」
「承知いたしましたお嬢様」
そんなマールの言葉に、サニアは待ってましたと自信に満ちた顔で一歩踏み出す。
「この日、この時より、私サニアはブラーシュ家の従者からフレン様専用の従者に……」
「モラを連れて行け」
「話が違いますわお嬢様ッ!?」
しかし、その任命を受けたのはカーミラに置いていかれ、途方に暮れていたところをフレンとサニアが家に連れ帰り、ブラーシュ家の従者として雇われたモラであった。
「わわわ、私ですかぁ?!」
「元々はフレンが連れてきたのだしな、ちょうど良いだろう」
いつものように慌てふためくモラだが、やはりそれもどこ吹く風。マールはカラカラと笑うだけだ。
「い、異議ありですわお嬢様! フレン様と離れ離れになるなんて地獄以外のナニモノでも……!」
「そうですよ姉様! どうしていつもそうやって自分だけで何でも決めちゃうんですか!」
「モラ、お掃除は得意なんですけどお料理が苦手で……!」
一斉にマールに詰め寄る三人。
日頃の鬱憤さえもぶつけ始め、大混乱の様相となるがマールは勢いよく立ち上がり、
「ええいうるさい! これは決定事項だ! フレンは明朝、モラと一緒にブラーシュ家から出ていけ! 終わり! 解散!!」
と大喝すると涙目の三人を尻目に食堂を後にするのであった。
※
さて、今までブラーシュ家を出たこともなければ、家計すら知り得なかった少年にいきなり一人暮らしをしろ、というのも無理がある。
そんなフレンに、マールはモラの他にも餞別を渡していた。
一つに、向こう3ヶ月ほどの生活費である。
アルフレイムという国家で、人一人が暮らしていくのにどのくらいのお金が必要なのかすらわからないフレンでは、1ヶ月に稼がなければならないお金もわからないからだ。3ヶ月の猶予があればそれなりにわかってくるだろう。
二つ目に借家である。
家賃こそ肩代わりしていないが、家探しをやったことのないお坊ちゃんでは、生活する上での立地や治安の悪さなど考慮せずに家を決めそうだったので、先回りして、ある程度立地の良い家を用意していたのである。
言うなれば冒険者が独り立ちをするにしては圧倒的に過保護なのだが、フレンはもちろん、厳格者を装うマールでさせ、その事実に気づいていないので、ブラーシュ家の従者たちは姉弟のやり取りを微笑ましく見守るだけなのである。
「マール様、そんなに寂しがらずに。同じ街に住んでいるのですからいつでも会いに行けます」
「さ、寂しがってなどおらんぞ? わはは」
「では、そろそろフレン様が置いていった枕を返してください。洗濯しますので」
「あー、それは、うん、私が洗っておくから気にするな! わはは」
普段とは全く違う謎の笑い声が今にも泣きそうなものだから、古くから仕える従者たちは彼女が小さい頃を思い出して頭を撫でていく。
「む?」
本人はなぜ優しくされるのかわからないので、為すがままに頭を撫でられては、首をかしげる日々がしばらく続いた。




