実験体は愛に狂う②
蒼く輝く宝剣アロンダイトを握り、フレンは異形の女と対峙した。
「フレン、フレン=ブラーシュ……! お前さえいなければッ……!」
苦虫を噛み潰したような顔で、女はフレンを睨みつける。
「ど、どうして僕の名前を?」
「はっ、忘れるもんか! お前が、カーミラのババアに頼まれて、あの毒薬を持ってきたんだろ! あと少しで、ナルハの実験は成功するはずだったのに」
「ナルハ……! ま、まさか! ルカさん!?」
ナルハの実験、カーミラの毒薬。
その言葉と、極めつけに異形の女がかけている眼鏡を見て、フレンはかつてナルハの村で薬を渡した、一人の研究者風の女性を思い出した。
「そうよ! お前のせいで、私は任務失敗の責任を負わされ、人体実験の被験者になった……だけど、それはもういい、実験は成功したからな! この素晴らしい力を使って、私は所長に害をなすものを皆殺しにしてやる!」
言うが早いか、ルカが伸ばした大量の触手が一斉にフレンに襲いかかる。
それは大きくしなった鞭のような動きだった。
「大丈夫です」
「ヴィヴィアン!」
迎え撃とうとしたフレンの傍らにヴィヴィアンが突然姿を現した。
「私が支援します。宝剣の力を信じて。行きますよ、主人!」
「わかった、お願い!」
迫りくる触手の一本に対して、アロンダイトで受け止めると、横方向へと振り払う。
あまり力を入れていないというのに、いとも簡単に、触手をいなすことができる。これこそが宝剣の力なのか、とフレンは驚くが、そんな暇がないくらいに、次々と触手が攻撃を仕掛けてくる。
「主人! 呼吸を合わせてください!」
暴れ狂う触手を飛び回って器用に避けるヴィヴィアンがそう言うと、途端に彼女の全身が蒼く光はじめ、それに呼応するかのようにアロンダイトも同じ光を放つ。
「水神の三叉槍!」
フレンが逆袈裟の要領で宝剣を振り払うと、斬撃の軌跡から3本の水流が現れ、細長い渦を巻き、触手を貫く。
その威力は凄まじく、触手を貫いたというのに、その勢いは弱まることはない。
触手の延長線上にあった後ろの壁まで到達すると、その石壁を穿ち、粉砕した。
「これが宝剣の力……! カナンが言ってたのは間違いないみたいね。こっちも本気で行くわッ! 狂い猛る灼火の光ッ! 真紅の――」
「させるか!」
「ぐっ!」
触手が攻撃をしている内にと、魔法の詠唱を始めるが、その途中でどこからともなく、メイスが飛んできて、ルカはたまらず詠唱を止めてしまう。
「こ、このッ、ドブスがァッ!」
「はっ、どっちが。自分の顔を見てから言いなさい」
メイスを投擲したのはもちろんアリシアだ。回復が間に合ったのかシャルはアリシアの膝で安らかな表情を浮かべて眠っていた。
「先に死にたいみたいね! そこのガキと一緒に殺してやる!」
苛立つルカはフレンに向けた触手の中から数本をアリシアとシャルに向けて振り払う。
が、やはりアリシアたちの周りにも水の膜が展開され、その攻撃がことごとく防がれてしまう。
「ふ、ふざ、けるなァアアアッ!」
この時、ルカの怒りは頂点を超えた。
昂る感情に呼応するかのように、ルカの全身から蒸気が放たれ、赤黒い液体が沸騰したかのように、ぼこぼこと泡立たせながら、次第にその姿を変貌させていく。
「ウォォオオオオッ!」
蒸気の向こうに見える、その姿に人間の面影は一切ない。
四つん這いになったそれはまるで狼のような姿をしていたが、両手両足から触手が何本も生えて蠢いている、世にも奇妙なモンスターだった。
「主人、気を付けて。高い魔力を感じます」
ヴィヴィアンの呼びかけるのと同時に、狼に変身したルカがひと啼きすると、光球が周りに浮かび上がり、四方八方に熱線を撃ち出した。
「きゃあああッ!?」
それは何かに狙いを付けたものではない。壁も天井もお構いないしに、所かまわずあらゆる方向へ攻撃をしている、無差別攻撃だ。
アリシアやメル、倒れているシャルやニアもその攻撃範囲内ではあったが、あまりにいい加減な撃ち方だったため、命中することはない。
不幸中の幸いとでもいうべきだろうか。
フレンを含め、全員無傷でルカの攻撃から免れたが、同時にそれは恐ろしい事実を物語っていた。
「ラグナロクレイを同時に、しかも詠唱をせずに発動するなんて……!」
震える身体が止まらない。アリシアは両手で自分の身体を抱きしめた。
魔法を使う場合は必ず詠唱というプロセスを踏んでからでないと発動しないはずだ。しかもラグナロクレイほどの高威力の魔法ならば、その詠唱の時間も長くなる。
それをこの化け物はノータイムで魔法を使ったのである。
化け物は自身が放った魔法攻撃が誰にも命中しなかったことに気づいたのか、雄叫びを上げて、今度はフレンに向かって地面を蹴った。
まさに猛獣のようなスピードだ。黒い影のようなものがフレンに迫ってくる。
「くっ!」
振り下ろされる鋭い爪を直撃する寸前で受け止める。
耳をつんざく金属音が火花と一緒に弾けた。
フレンは疑問だった。
なぜ、人外のスピードで動く化け物や、その触手を受け止めたり、いなしたりできるのか。
それは、目覚める前に一度体験した、水の世界による影響なのか。
ここぞというタイミングで、周りの景色が少しゆっくりに見える。
今も、ルカが爪を振り下ろす直前から、動きがスローモーションに見え、難なく受け止めることができたのだ。
だが――
「うわぁっ!?」
反応ができ、受け止めることができても、圧倒的な腕力の差が、それらを意味のないものにしていた。
ルカが力任せに腕を振り抜こうとするのを見て、フレンはたまらず身体を横に反らせて回避する。
さらに追い打ちのように、避けた先へと触手の攻撃が加わり、フレンは防戦一方となる。
「ダメだ! 手数が違いすぎる!」
伸びる触手を二本、三本と斬って落とすが、次から次へと触手は増殖していき、フレンは次第に追い詰められていく。
「大丈夫です、蒼の宝剣は防御に特化した武器。たやすく破られることはありません」
ヴィヴィアンがフレンの前に飛び出すと、水のシールドを展開して、触手から身を守ってくれた。シールドは攻撃を弾くというより、水の抵抗で動きを鈍らせる、という表現に近く、フレンは間髪入れずに動きが止まった触手を斬っていく。
「もう一度だ! 水神の三叉槍!」
防御はヴィヴィアンに任せて、触手を無視して、フレンは本体めがけて水の槍を撃ち放つ。
渦を巻いた水槍に対峙したルカが雄叫びを上げると、またも無詠唱のラグナロクレイが発動し、水槍を相殺する。
「私も続きます。――無慈悲な水流が全てを飲み込む、メイルシュトローム」
畳み掛けるようにヴィヴィアンが魔法を詠唱すると、ルカの足元に渦潮のようなものがあらわれ、激しい勢いで周囲の物を飲み込んでいく。
が、それもルカはまさに動物的な反応で飛び上がって避けると、空中でフレンに向けてラグナロクレイを放つ。今度は無差別ではなく、フレンにしっかりと狙いを定めていたが、やはり水のシールドによって防がれた。
「はぁっはぁっ」
お互いの攻防は拮抗していて、決め手にかけている。このまま続けても長期戦になることは目に見えていた。
しかし、完全なる化け物に成り果てたルカに比べて、フレンは明らかに消耗していた。
「なんで、こんなに疲れるんだ……?」
「主人は、まだ完全に宝剣使いとして目覚めていません。宝剣の力や私の力を引き出そうとすると、主人の体力や魔力が大きく消費されるのです」
肩で大きく息をするフレンに容赦なくルカは触手と、無詠唱のラグナロクレイで襲いかかる。
「フレンくん! ――汝に力を! ウィング!」
遠目から見ても劣勢を強いられていることがわかったアリシアは、なんとか強化の魔法を施すが、事態は好転しない。
「アォオオン!」
「!?」
フレンが触手相手に四苦八苦していると、突然ルカが天を仰いで大きく吠えた。
遠吠えのような鳴き声がフロア中に響き渡る。
彼女の声は、何かを呼んでいるような、何かを待っているような、そんな様子が見て取れる。
そして、それは先刻のルカと同様に、ついに上空から舞い降りた。
「フレ―――ンッ!!」
「は!? 姉様!?」
ドラゴンのそれと似たりよったりの怒号を発しながら、舞い降りた、いや急降下してくるのは、フレン=ブラーシュの姉であり、閃光の剣姫と謳われる、マール=ブラーシュ、その人であった。




