巨大獣狂詩曲①
幻想の塔3階全域を襲っているのは、足元から湧き出る地響きと、空気を震わせる何者かの咆哮だった。その何者かが一歩、また一歩と踏み出すごとに、塔の地面は揺れ、3階にいた冒険者たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
「おかしいっ! 噂では5階って言ってたのに! どうした3階なんかに!?」
自身に速度上昇の強化スキルを付与させて走るアリシアは、その姿を目の当たりにしつつも、信じられないといった様相だった。
「これじゃあ私の計画が……!」
だだっぴろい空間に現れたそれは、大きく大きく、これでもかと大きい生物。
人はこれを巨大獣と呼び、彼らを目撃した人々は一目散に逃げる者、勝負を挑む者の二者がいたと言う。
そしてアリシアの目の前に現れた巨大獣は、鱗に覆われたバカでかいトカゲ……まるでドラゴンの姿をしていたのであった。
「止まれッ! アリシア=アルフレイム!」
「その名前で私を呼ばないでッ!」
「!」
アリシアが叫びながら振り向くと、そこには先程まで安全地帯で一緒にいたガーディアンズが隊列を組んで並んでいた。
「……何よ、アンタたち。巨大獣討伐はガーディアンズの仕事じゃないでしょ?」
名前を呼ばれたことにより迸った激しい怒りをなんとか抑えたのか、一転した冷たい視線でアリシアはガーディアンズをにらみつける。
「アリシア=アル……いや、冒険者アリシア。この巨大獣は本来この低層にいるものではない」
「なんですって?」
「これは5階層で目撃されたドラゴン型のモンスターだ。しかも、それすら異常なこと。この種族のモンスターが下層に出現したという報告は今までなかったことだ」
ドラゴンは自身が大きすぎるがゆえにか、アリシアたちに気づく様子はない。恐らく、攻撃を仕掛けない限り人間のような小さい冒険者を察知することができないのだろう。
「どういうこと?」
「見ろ」
「?」
アリシアは隊長が指した頭上をゆっくりと見やる。
するとそこには、天井というものがなく、空間がどこまでも広がっているではないか。
「ま、まさかこいつ……!」
「そうだ、こいつは塔の地面を破壊して、上の階層から落ちてきたのだっ……!」
言うなればそれは吹き抜けのようだった。一体どこまで繋がっているかはわからないが、先が見えないため相当な階層がぶち抜かれているように見える。
「ってことは、中層レベルの巨大獣ってこと!?」
「その可能性が極めて高い! 巨大獣が冒険者にとっての貴重な資金源になることはわかるが、3階層だからといって、下手に手出しをしたらとんでもないことになるぞ!」
「な、なるほど……これはランキングがどうのこうの言ってる場合じゃないわ……で、出直しましょう」
本来5階層程度の巨大獣ならば、アリシアが練った作戦でどうにかなると思ったが、中層になると話しは別だ。自分だけならまだしも、フレンとシャルをけしかけたのでは命がいくつあっても足らない。
「賢明な判断だ……我々は逃げ遅れた者の避難誘導と事情をまだ知らぬ者への注意喚起に当たる。君たちは捕縛したライアスを連行して塔を脱出してくれ」
「わかったわ。ちなみに……ライアス連行はあなた達の仕事なんだから、それを手伝った私達にそれなりの報酬はあるのよねぇ?」
「はぁ……噂は聞いているよ傭兵冒険者アリシア。よかろう、ライアスを無事に冒険者管理局まで連行してくれれば、追い剥ぎの討伐報酬として金銭と功績値の付与を約束しよう」
隊長はアリシアのがめつさを知っていたようで、頭を抑えて首を振りながら、力なく約束をする。
「よっしゃ。これで無駄骨にはならないわね。それじゃ、あとはよろしく〜」
言うが早いか、アリシアは再度速度上昇のスキルを重ね掛けすると、凄まじい速度でその場をあとにするのであった。
※
「わああああああッ!?」
「にゃあああああッ!?」
アリシアがドラゴンが現れた吹き抜けの部屋から足早に脱出しようと試みた瞬間、ありえないことに頭上から叫び声が聞こえてきた。
「へ?」
上を見上げると、何やら黒いボールのようなものが落ちてくるではないか。それも二つ同時だ。
「たすっ、たすっ、たすけてええっ!!」
よく見るとそれは人間の、それも子供のようだった。
なぜだかわからないが、ドラゴンが開けた吹き抜けの上空から子供が二人、叫びながら落ちてきているのである。
「ちょちょちょ! こっち来んなぁぁあーッ!」
隕石のような落下速度で襲ってくる二つのボールに戸惑ったアリシアは完全に足が止まっている。このままいけば、どう考えてもアリシアへの直撃コースだ。
「メ、メルっ! ウィンドウォークだよウィンドウォーク!」
「あっ、そっか! ふけよかぜ! やさしくたわむれるかぜのせいれいよ! われにつばさを!」
「ウィンドウォークッ!」
二人は詠唱を唱えると、緑色に光り輝く風を全身でまとい始める。
そしてアリシアの眼前で空気を蹴り上げ、寸前で方向を変えると、そのままゴロゴロと地面に転がりピタリと着地した。
「あ、あは、あはは……」
生きた心地がしなかったのはアリシアであった。謎のボールが空から降ってきたかと思ったら、目の前で爆風をまき散らしながら避けていったのだ。あと一瞬でも、その動きが遅かったら直撃していただろう。
「ふぃー、あぶないあぶない」
「びっくりしたねメル。驚きすぎて魔法を使うのを忘れちゃったよ」
「あっひゃっひゃ! ニアってばおっちょこちょいなんだからー!」
地面を転がり砂埃にまみれた服をぱんぱんと叩きながら、二人は呑気に笑い合う。
が、次の瞬間、首根っこを掴まれ、二人はぐおお、と持ち上げられた。
「誰だお前らああッ! 死ぬかと思ったんぞおおお!」
「ぐええ、ぐるじぃ」
「わわ、ごめんなさいー!」
絵本で見た悪魔というものが現実にいたら、きっとこういう顔をしているのだろう。
メルとニアは目の前にいる女性っぽい人の顔を見て、同じことを考えていた。
※
「やっぱり放ってはおけません!」
ライアスに引き止められたシャルは、アリシアがなかなか戻ってこないことに焦っていた。謎の地響きと咆哮が一体なんなのかはわからないが、ただ事ではないのなら、アリシアの身にも危険が迫っている可能性がある。
「フレンさん、先生を助けに行きましょう」
「やめておけお嬢ちゃん! これは恐らく巨大獣が出現したんだ」
「巨大獣が……?」
「そ、それならチャンスじゃないですか! 私達、巨大獣を討伐しに来たんですよ!」
風の追い剥ぎ団との戦闘ですっかり忘れそうになっていたが、当初の目的は巨大獣の討伐による功績値の獲得だ。
その目的が目の前に現れたのだとしたら、狙わない手はない。
「よーしっ、行きますよーフレンさん!」
「ああ、ちょっと待ってよシャル!」
制止も虚しく、シャルは勢いのままアリシアやガーディアンズが向かった先へと猛突進していく。
「もうっ、バラバラで向かっても危険なだけじゃないか……」
仕方がない、とばかりに肩を落としながら、フレンもシャルのあとを追いかけるようにトボトボと歩き出した。
「待て、坊主!」
「?」
「このブーツ、持っていけ」
背後から声をかけられ振り向くと、捕縛されているライアスが無理やり脱いだブーツを蹴って寄越した。
「こ、これは……もらえません」
ウィンドウォークのスキルが込められたマジックアイテム。
まさにレアアイテムである装備だが、これは追い剥ぎによってライアスが所持していたもの。元々の持ち主が死んでしまっているとはいえ、持ち主に返さなければならないものだ。
「甘いことを言うな……冒険者はいつも死と隣り合わせで生きている。利用するものは藁でも利用するもんだ」
戦闘中にどやされた時とは違う。諭すように、言い聞かせるようにライアスは言葉を発する。
「で、でも――!」
「お嬢ちゃんたちが死んじまってもいいのか?」
「!」
「お前のその、子どもじみたプライドのせいで、最善を尽くさなかったせいで、あっさり落とす命だってある……」
ライアスの言う通りだった。
ここで強力な装備品を手に入れることが、パーティにとってどれだけのプラスになるかわからない。それも、こんな危機的状況であれば尚更だ。
人から奪ったものであっても、全てを利用して生き残る。そういう冒険者のプライドがあっても、間違いではないのかもしれない。
「わ、わかりました……必ず返しますから、ちょっとだけお借りします」
「はっ、それでもいいさ」
地面に転がったブーツを手に取り、フレンは急いで装着する。
呆れるように笑う兄の様子を見て、ミリアは自分の兄が、もう冒険者をするつもりがないんだとはっきりと悟った。それは処刑によって命を落とすからなのか、冒険者の資格を剥奪されるからなのか。
いや、違う。
(きっと兄ちゃんは、もう冒険者をやれない。それくらい、この子の冒険者としての生き方が眩しすぎた……)
「ねえ、兄ちゃん? どうしてこんなに泥まみれになっちゃんたんだろうね」
「さあな、俺たちゃ泥棒だからな。泥まみれにならないほうがおかしい」
フレンの耳には届かないほど小さい声で、二人は笑いあった。
今ならガーディアンズもいないのだから、ロープを切って逃げることもできるはずだが、それをしなかった。もう何かから逃げることはしたくなかった。
※
「おっとっと」
早速、ウィンドウォークを使用してシャルを追いかけるフレンだが、どうにも扱いが難しい。角度をしっかりと見定めないとあらぬ方向に飛んで行ってしまうのだ。
とはいえ、ただただ連続して跳躍していくだけでも、自力で走るより断然早い。あっという間にシャルに追いついてしまった。
「おーいシャル―!」
「フレンさん! 来てくれたんですね!」
「うん、早くアリシアと合流しないと……!」
「どうやら本当にただ事ではないみたいです……。さっきから他の冒険者さんたちが階段の方に逃げていっているし、小さなモンスターも襲いかからずに身を隠してばかりです」
3階層はすっかりと阿鼻叫喚の様相を呈していて、いろいろな場所から恐怖に怯える声や、モンスターの鳴き声が聞こえてくる。
「うん、急ごう。アリシアが心配だ」
ウィンドウォークを解除して、地面に着地したフレンはシャルと速度を合わせて、ひときわ声が大きい方へと駆け出していく。
「あ! あれって先生じゃ――!」
しばらく走った先の大きな空間が広がる部屋の端っこで、何やら小動物を抱えるアリシアの姿が見える。
「アリシアっ!」
「フレンくんっ!」
フレンが声をかけると、アリシアは振り向いて驚いたような少し嬉しそうな顔を浮かべた。
どうやら無事のようだ。フレンが元気そうにしているアリシアに駆け寄ろうとしたその時――
オオオオオオオッ
「!?」
鼓膜が破れそうなほど、大音量の咆哮が響き渡る。
「な、な、なんですかぁこれ!?」
「まさかドラゴン!?」
アリシアに夢中で気が付かなかったフレンたちは、目の前にいる巨大な生物を見て驚愕した。人生で見たことのないほどの巨躯を揺らしているそれは、以前に見た、ランダムダイスのリッカが使役していたファフニールとは比べ物にならない。
「撤退よ! ここにいては巻き込まれるわ!」
「え、でもこれ私たちの目的じゃ……?」
「バカ、こんなの手に負えるわけないでしょ!」
珍しく必死の形相でアリシアはフレンたちに近づいてくる。その両脇には何やら小動物が抱えられているが、なんと、その小動物たちは声を発した。
「あんなのたいしたことないよー」
「大人しそうだもんね」
「な、なにそれ? アリシア」
動物だと思った何かはよく見れば人間の、それも子どもだった。丸っこちい姿をしている二人の子供は、まるで鏡合わせのように瓜二つの顔をしている。
「知らないわよっ! いきなり降ってきたの! とにかく撤退!!」
「ら、らじゃー!」
だがそんなことはどうでもいいと言わんばかりのアリシアの様子に、フレンとシャルは問答無用で従うしかなかった。
2020.11.22
あまりに長かった風の追い剥ぎ団戦がようやく終わりました。遅筆ですみません。
当初、絡んできたチンピラ追い剥ぎ団を新しく覚えたスキルでフレンとシャルが適当にあしらう、という話しを想定していたのですが、ぼんやりと冒険者を相手取る「追い剥ぎ」という生き方について考えてたら、ライアス(すぐ名前間違える)とミリアが産まれてしまい、いつの間にか長くなっていました。
なのでぶっちゃけると設定的には重要ではないお話し。
とはいえ、せっかくなのでフレンにウィンドウォークのブーツをプレゼント。当初の予定よりもフレンはちょっと強くなりました。




