風の追い剥ぎ団⑦
ミリアが肋骨を折られながら吹き飛ばされた瞬間、アリシアはぱちっと目を覚ました。
素早く、そして音もなく飛び上がると、メイスを拾い、流麗な動きでそれを腰に戻し、そしてシャルに近づき、首にかけている十字架を両手で握りしめて、片膝をついた。
「汝に巡る悪しき病を我が力をもって浄化してしんぜよう、リフレッシュ」
小声でいて、しかし口早に詠唱を行うと両手から光の雫がシャルの肉体に落ち、そして光が彼女を包み込んだ。
「ふ、ふあ……?」
やがてシャルは両目をこすりながら、上半身を起こした。状態異常回復のスキルであるリフレッシュによって睡眠が目覚めたのである。
シャルはというと、目が半開きで、どうやら寝ぼけ眼と言った様子だ。
「しっ! 静かに」
「ほえ? んぐ!?」
アリシアは素早くシャルの口元に手をやると、もう片方の指を立ててジェスチャーをする。
「うげ、あんた口元ヨダレだらけじゃないの……!」
声を出さないように手を覆ったのが運の尽き。アリシアの手のひらに伝わったのは、べとっとした何やら気色の悪い感触だ。どうやらシャルのヨダレがアリシアの手にくっついたようだった。
「もう最悪……っとに、幸せそうにグースカ寝やがって……いい? 静かに聞きなさい。少しでも声を上げたら、今度は永遠の眠りにつくわよ」
「んぐんぐ!」
ジトっとしたアリシアの恐ろしい視線と、まさかの脅迫にシャルは何が起こっているのかさっぱりわからなかったが、ここで逆らっては命がないと、背筋を伸ばして何度も首を縦に振った。
「よし、簡潔に言うわ。シャドウナックルをつけて固有スキルを使いなさい。コレには二つのスキルがあるけど、ハイディングスキルの方よ」
「?」
「い・い・か・ら……! 今すぐ装備しなさい……!」
「んぐんぐ! ぷはぁっ」
涙目のシャルが玩具のように首を前後に振りまくると、ようやくアリシアはシャルを解放した。
シャルはすかさず、言われた通りにシャドウナックルを両手に嵌め、捨てられた子犬のように不安そうな顔でアリシアを見る。
「えーっと、ハイドアンドシークって唱えなさい」
一方のアリシアはヨダレでベトベトになった自分の手をどこで拭こうか辺りを見回してみたが、拭くものが見当たらず、仕方がないのでシャルの背中にこすりつけていた。
「ちょ、やめてくださいー、汚いじゃないですかぁ……!」
「アンタのヨダレでしょうが……! いいから唱えなさい……!」
「うぅ、は、ハイドアンドシークっ!」
少し濡れた感触を背中で感じながら、シャルは仕方なく両腕を眼前で交差させて、小声ではあるが、はっきりと叫ぶようにスキルを唱えた。
すると、シャドウナックルの先から、みるみるとシャルの腕が見えなくなっていった。
「それがシャドウナックルの固有スキルのひとつ。使用者と使用者が触れているものを背景に溶け込ませるのよ。さ、完全に消えたら移動するわ。テントの影に隠れましょう」
そう言っている間に、透明化は一気に進行して、シャルの身体はもちろんのこと、背中に手を当てていたアリシアの身体までどんどん消えていってしまう。
「ど、どうしてこんな……!」
なぜアリシアが焦っていて、なぜ小声でしか話すことができなくて、なぜシャドウナックルのスキルを使わなくてはいけないのか。
寝ぼけているせいではない。なぜこんなことをしなくてはいけないのかわからない。兄妹の冒険者と一緒にお茶をしていたはずなのに。
そう思った刹那、金属がぶつかる音がシャルの耳を劈いた。
「!」
見ればフレンと、兄妹の冒険者の兄の方が相対して剣を振りあっているではないか。
「あ、あ……」
そして、その奥にはうつ伏せになって地面に突っ伏している妹の姿も見える。
シャルはドッと冷や汗が吹き出し、瞳から涙がこぼれるのを感じ、全身をガクガクと震わせた。
「わ、悪い人、だったんですか……」
「……そうよ」
「あんなに良い人そうだったのに……」
「私たちを眠らせて装備品を盗むつもりだったのね。まあ、いきなり襲ってこないだけまだマシって感じかしら」
「兄妹でこんなことを……?」
「さっきまでミリアって子もアンタの装備を見て、嬉しそうにしてたわ。高く売れるってね」
「フレンさんが守ってくれたんですか……」
「曲がりなりにもそうなるわね……さあ、それより移動しましょう。ここにいては巻き込まれるわ」
アリシアはシャルの腕を掴むと、力なくうなだれるシャルを強引にテントの影に引っ張った。
焚き火の前では、ライアスの刃をフレンがかろうじて避けているところだった。
「あのブーツは……!」
ライアスの側宙を目の当たりにしたアリシアは、その不自然な動きを見逃さなかった。
踏み込むことなく、あの跳躍と回転を生み出すのは普通の人間には不可能だが、それを可能にする方法があることをアリシアは知っていた。
「ウィンドウォーク。空中を地面のように踏み込むことで、空中での移動を可能にした、風魔法の応用スキルね。ブーツの効果がわからなくて様子を見ていた甲斐があったわ」
アリシアが目にしたのは、ライアスが小さく前方に飛び上がった後、まるで壁に足をかけたかのように空中を踏み込み、そこから横に回転している様だった。
「ふん、ネタがわかればこっちのもんね。コロシアムでは使い古されたネタだし。対策も……できる」
鼻を鳴らしたアリシアは、テントの影からキョロキョロと対策に使えそうなものを見渡し、そして焚き火とその周りに落ちている魚の骨を見てニヤリと笑った。
「シャル、私が合図したら飛び出しなさい。シャドウナックルのもうひとつのスキルを使えば、あいつともやり合える」
「……」
「シャル……ねえ、シャル……!」
「!」
アリシアの声が聞こえていなかったのだろうか。シャルはフレンとライアスが戦っている姿を見て、呆然としていた。アリシアがシャルの肩を掴み、そこで初めてビクっと反応したほどだ。
「聞いているの? 私が合図したら――」
「わかっています、先生。シャドウナックルのもうひとつのスキル、ですね」
「アンタ、知っていたの……?」
「昨日、先生たちと別れてから、塔で修行していましたから」
「な……!?」
巨大獣討伐を目標に掲げた後、フレンたちはそれぞれが準備をするために解散したのだが、シャルはひとり幻想の塔を昇っていたのだという。
「私は、仁義をないがしろにする輩が大嫌いです。東の国にはこんな言葉があります」
「しゃ、シャル?」
先ほどまで信用していた冒険者が追い剥ぎであったことにショックを受け、呆然と力なくうなだれていたシャルが、またブルブルと震えはじめた。
しかし、それは決して気落ちしているわけではない。そう――
「因果応報」
――シャルは怒りに拳を震わせていたのだ。
「ちょ、シャル! 合図は!? もぉ―っ! どいつもこいつも!!」
アリシアの言葉を完全に無視して、シャルは両方の拳をぶつけ合わせると、静かにそう言い放ち、テントの影から飛び出した。
「なんなの、私が悪いの!? やることなすこと裏目に出てるんですけどー!?」
恐らく何かしらの考えが、アリシアの中にずっとあったのだろう。
しかし、フレンもシャルもなにかに突き動かされるように行動するものだから、作戦もなにもあったものではない。
ひさびさに泣きたくなったアリシアは、叫びながらシャルとは逆方向のテントの影から飛び出すのだった。




