その50 披露宴
創世暦1001年12月27日の午後、俺ジャン・ピエールは王都中央区の軍本部にいた。俺とエーディトの結婚披露宴を、王都本部で行うからだ。
エウレア地方では……というか他の地域も同じだと思うけど、よほど特殊な例を除くと神殿で結婚式を挙げる。しかし披露宴は別で、自宅、上役の家、職場、店など様々だ。
ちなみに披露宴の手配だが普通は親か仲人、俺の場合は後者で上官でもある王都東門大隊長ジョーゼフ殿だ。何しろ俺の実家は隣国だし、親は出席すら難しいと思っていたからね。
そして俺のケース……本人と手配する側の双方が軍人だと、まず間違いなく軍の施設を選ぶ。なんといってもタダで使えるし、騎士階級や男爵くらいだと公邸も広くないし。
ちなみに王都で子爵以上だと宮殿……『白陽宮』の広間を借りる例も多い。でも俺のように騎士階級だと、軍本部が定番だ。
「ミリィ様、待たせるなあ……」
俺がいるのは新郎用の控え室だ。
先ほどまではエーディトの兄、俺の副官ディーターことディートリッヒ・アインスバインもいた。しかし彼は広間の様子を見に行ったから、俺は一人で暇を持て余している。
「何かサプライズイベントがあるんだろうな。で、その準備に時間がかかって……ミリィ様は悪戯好きだから不安だぜ」
今更だが、俺は後悔に似た感情を覚える。
実は結婚式の司式に続き、披露宴の司会もミリィ様がしてくれる。アマノ王国の大神官補佐で、正体は神々の眷属の。
とても光栄だが、何が飛び出すか予想もつかない。やはり固辞しておけば良かったか……だけど、凄くやりたそうにしていたからなあ。
──ミリィが聞いたら悲しみますよ──
なんとなく笑いを堪えているような声が、唐突に伝わってくる。しかも音としてではなく、頭の中に。
若い男性の声だが、女性と勘違いしそうな高めの響きと柔らかさ。もっとも俺は声の主を熟知しており、間違えはしない。
「ニュテスさま!?」
思わず俺は、大きな声を上げてしまった。
闇の神ニュテスさま。ただし闇は夜や冥界の象徴、他の五柱と同じく大神アムテリア様を支える善神だ。
担当が担当だけに俺はニュテスさまの信者と名乗る人を知らないが、一日の半分と全てに等しく訪れる死を司る御方だから誰もが別格の敬意を払っている。
もっともニュテスさまは意外にもフレンドリーというか、親しみやすい御方だった。
俺は転生の経緯もあり、夢の中では何度も御言葉をいただいている。そのときは優しいお兄さんといった雰囲気で、質問にも気安く答えてくださるのだ。
とはいえ起きているときは初めてだから、神々が介入するような大事件かと身構えてしまう。
──静かに。まだディートリッヒは戻ってきませんが、念のためにね──
「済みません……」
ニュテスさまの指摘に、俺は今更ながら冷や汗を掻く。
独り言とは思えぬ叫びだから、誰かが聞いたら驚くだろう。それどころか俺の正気を疑うかもしれないし、最悪は結婚早々治療院送りだ。
「……何があったのでしょうか?」
──貴方に自由を──
俺が小声で問うと、ニュテスさまは意外なことを語り始める。
これまで俺はニュテスさまの使徒でもあったが、今日このときをもって解放する。今後も時々は語りかけるだろうが、使命を与えはしない。
加護や能力、授かった神具『無形』もそのまま。ただし度を越えた使用は不可、使徒だったと匂わせる言動も避けること。それらの注意をニュテスさまは並べていく。
◆ ◆ ◆ ◆
「お役御免ですか……」
何かマズいことをしたのだろうか。叱責されたわけじゃないが、俺は不安になる。
たとえばリヴァーレ殿との決闘。あのとき俺は、明らかに常人と思えぬ技を使った。
もちろん伝説級の武人なら可能だし、今のアマノ王国にはシノブ様やシャルロット様のように更に上すらいる。しかし俺は単なる中隊長、不審に思った人もいるだろう。
ミュレ先輩やムハマさんとの交流もある。ミュレ先輩は魔道具子爵として有名、ムハマさんもドワーフ職人として超一流、この二人と新技術を工夫するなど並の軍人には不可能だ。
かつてニュテスさまは、地球のことを明かしてはならぬと厳命した。
しかも『もし口にするなら、そのときは君を私の手に抱くことになる』とまで。つまり、あの世行きってことだ。
直接は触れていないはずだが、誰かが気付いたのだろうか。俺の背筋を冷や汗が伝う。
──卒業と思ってください。……エーディトと結婚し、貴方は今の自分を肯定しました。前世に区切りをつけ、この星の命としての生を選んだ……もはや私が見守る必要はありません──
相変わらずニュテスさまは穏やかなままだ。
とはいえシノブ様にも明かしてはならぬと、ニュテスさまは改めて念を押す。やはり異世界の存在に触れるのは相当な禁忌のようだ。
「あの……ミリィ様にバレていますが、それは良いのでしょうか?」
──彼女は眷属ですから。それに貴方の過去を知る者は、私の配下にもいます──
俺が恐る恐るといった調子だからか、ニュテスさまは今まで以上に優しく言葉を紡いでいく。
ただし眷属相手でも俺から言い出したら処罰するし、最悪は輪廻の輪に戻す。つまり死で償わせるって。
口調は柔らかだが中身は厳しいから、俺は神妙な顔のまま耳を傾ける。
──シノブも人として生きる道を選びました。もちろん先々は私や弟妹と共に働くでしょうが、まずは地上の者として己を磨くと決めたのです──
どうもニュテスさまは、異世界出身者がシノブ様の成長を妨げると思っているようだ。あるいはシノブ様自身が、そう考えているのだろうか。
シノブ様はベーリンゲン帝国との戦いで地球の知識を活用したが、今は自然な発展を望んでいるらしい。そうでなければ、平和になってからも更に多くを紹介しただろうし。
しかし地球出身者がいると知れば、向こうのことを話したくもなるだろう。もし望郷の念が募って国王の務めに身が入らなくなったら、誕生したばかりのアマノ王国が傾きかねない。
下手に伝えない方が良いのだろうと、俺も思いはする。
「この星の進むべき道があり速度がある……少しばかり発達した社会を知っているからって安易に口出しすべきじゃないですね。それに地球でも、先進国の浅知恵で発展途上国がメチャクチャになった例は多いですし……」
そもそも俺は、こちらの人間として生きると決めたのだ。
エーディトと共に歩むのは、彼女の手を俺の思うままに引っ張るってことじゃない。同じ目線で同じものを眺めつつ、互いを尊重して語らいながら、寄り添って進むんだ。
そして周囲との関係も同じことだと、俺は宣言する。
──その気持ちを忘れぬように……。それと遅くなりましたが、結婚おめでとう。私も貴方たちの幸せを願っていますよ──
安心なさったのか、ニュテスさまの気配が遠ざかっていく。まるで身内のように優しげな声で、俺たちを祝福して。
もしかすると俺の前世は、ニュテスさまと何らかの縁があったのだろうか。
大神アムテリア様と六柱の従属神は地球出身、それも日本由来の神様らしい。ならば前世の俺、あるいは更に前の生涯で何かの繋がりがあっても不思議ではない。
いや、余計なことを考えるのはよそう。しかも先ほど地球と別れを決心したばかりなのに。
まだまだ修行が足りないと、俺は苦い笑みを浮かべる。
「隊長、準備できました! ……どうしたのですか?」
「いや、なんでもない! さあ、行こう!」
ディーターは扉を開けるなり叫ぶが、直後に首を傾げる。俺が新郎らしからぬ微妙な表情をしていたからだろう。
そこで俺は明るい笑顔を作り、早足で広間へと歩み出す。
◆ ◆ ◆ ◆
披露宴は普通に進む。ミュレ先輩やカロルさんのときみたいに劇で過去が暴かれることはないし、イーゼンデック伯爵ナタリオ様とアリーチェ夫人のように友人が珍しい芸を披露することもない。
そもそもミリィ様は俺たちの知人友人と接点がないから、いきなり頼みに行くのも不自然だ。最初のうち、そう安心していたのだが……。
新郎新婦が正面に据えられ、列席者が順に挨拶に来る。ごく普通の流れが終わりを迎えたとき、ごく普通とは思えないイベントが始まった。
まず、とある男女が入場する。そして新郎新婦……つまり俺とエーディトが弾かれたように立ち上がる。
「おめでとう。ジャン、エーディト」
この国の……いや、周りの国々も含めて知らぬ者などいない青年が、俺の前に立っている。
金髪碧眼の人族の若者。新聞にも毎日のように載るし、千エン銀貨にも横顔が刻印されている。そう、シノブ様が披露宴に来たんだ!
いくら新郎新婦でも、国王を前にして座ったままとはいかない。あまり酒が入っていないから良かったが、下手したら立てずに恥を掻いたかもな。
俺たち以外も全て起立したが、幸いにして転んだ者はいなかった。というか、どうも皆は知っていたらしいが……。
「おめでとうございます!」
今度はシノブ様の隣、狐の獣人の少女。つまり大神官のアミィ様である。
多くの国では大神官を特別な存在としているし、アマノ王国でも同様だ。入場時の案内だとシノブ様の従者として来たそうだが、額面通りに受け取る者はいないだろう。
これがミリィ様のサプライズイベントだ。俺の想像が正しいと示すかのように、彼女は満面の笑みを浮かべている。
「……も、もったいない御言葉」
「陛下と大神官様のお越し、恐悦至極にございます」
どもってしまった俺と違い、エーディトは落ち着いていた。
後で聞いたんだが、エーディトもシノブ様が来ると知っていたそうだ。正しくは、御来駕の条件を俺が満たしていると。
王都勤務で中隊長以上の騎士、しかも複数の戦功を挙げた者。これに該当する場合、披露宴に国王の御来駕を賜る……まさか、そんな規定があるとはね。
もっとも当てはまったのは俺が初めてらしい。アマノ王国の歴史は半年少々だし、王都守護隊だと中隊長は三十人ほどいるが既婚も多いから。
ともかく国王と大神官を立たせておくわけにはいかない……と思ったら、脇にソファーが二脚用意されていた。そこでミリィ様を含め、そちらに移る。
「まさか陛下がいらっしゃるとは……」
「知らなかったの? この規定、メリエンヌ王国にもあるんだよ」
俺の呟きに、シノブ様は意外そうな顔で応じる。
アマノ王国にはメリエンヌ王国出身者が多い。特に諸々の法を定めた宰相ベランジェ様は、現メリエンヌ王の実弟で公爵でもあった。
したがって向こうと同じか似た規定が多いのは事実である。
「自分が王家付きの騎士になると思っていなかったもので……」
親はベルレアン伯爵領の騎士、それに俺自身は三男だ。そのため王都でしか意味をなさない規定など、右から左に抜けていったのだろう。
逆にエーディトは半年少々前に学んだばかりだし、王宮勤務だから自身の相手が該当するかもと強く記憶したそうだ。
「そうか……。まあ、君らしいけど」
「出世とか気にしない人ですからね~。きっと驚いてくれると思いました~」
「ミリィ……」
納得顔のシノブ様、してやったりという表情のミリィ様、呆れ混じりのアミィ様。三者三様だが、どなたも俺が知らないのを自然に感じたようだ。
国王に来ていただけるように頑張るとか、そういうタイプじゃないのは確かだが。
「出世欲なし……そういう人こそ要職に就くべきだね。王都守護隊の司令官になってもらおうか?」
「だいぶ先だと思いますが、良いかもしれません」
シノブ様の冗談に、アミィ様が笑いながら応じる。
王都守護隊の司令官ねぇ……きっと書類に埋もれて身動きが取れないんだろうな。中隊長でも事務仕事が増えて面倒と感じる俺に、務まるとは思えない。
「自分には無理だと思います」
「現場志向かな? 確かに武勲は申し分ないし……でも結婚早々どこかに行ってもらうのも可哀想だから、当分は王都勤務だね」
宴席での笑い話、普通は『光栄です』とでも返すだろう。そう思った俺だが、本気にされても困るから野暮を承知で真面目に応じた。
するとシノブ様は鷹揚に頷き、今度は正反対のことを言い出す。とはいえ悪戯っぽい笑みを浮かべ、しばらくは今のままと保証してくれた。
エーディトが生まれ育ったのは王都アマノシュタットの前身、ベーリンゲン帝国帝都ベーリングラード。しかも今は王宮侍女だから、他の街に異動するなど考えたこともないと思う。
要するにシノブ様は話の種として使っただけなのだろう。
「あ、あの! 夫の活躍できる部署があれば、ぜひお願いします! 夫は他国にも詳しいですし……」
どうもエーディトは、自分が俺の枷になってはと案じたようだ。彼女は真顔で海外派遣でも構わないと言い始める。
俺は隣国の生まれだから、エーディトより外を知っているのは事実。それにエウレア地方の国々は地球の西ヨーロッパを思わせるから、他も大よそはイメージできる。
そのためエーディトは、俺を外国通だと思っているらしい。
「……分かった。何か彼に相応しい任務があれば頼もう。ただし、しばらくは新婚生活を満喫してもらうけどね」
どうもシノブ様は、エーディトを気遣ったようだ。最初こそ国王らしい威厳のある口調だったが、途中から先刻同様の微笑みを浮かべていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
アマノ王国建国後、その王都アマノシュタットでの光景です。「その49」の直後、創世暦1001年12月27日のことです。
次話も同時に投稿しています。
実質的に前後編ですので、合わせてお読みいただければ幸いです。