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その49 闇の神

 創世暦1001年12月27日、ジャン・ピエールとエーディト・アインスバインが結婚式を挙げているころ。二人の披露宴の場として手配された軍本部の施設に、シノブとアミィが向かっていた。


「王都勤務、そして中隊長以上の騎士で複数の戦功を挙げた者の結婚だと、王から祝いの言葉がある……か。ジャンは気付いているかな?」


「そういうことを気にする人ではなさそうです。ミリィは絶対驚くだろうって……」


 大通りを進む馬車の中で、シノブとアミィは笑みを交わす。

 そもそも、この条件に該当する者は多くない。たとえば王都守護隊だが各区に中隊長は五人ずつ、五区あるから合計二十五人だ。

 王宮守護隊や軍本部だと中隊長級以上も多く、司令官や大隊長も含めたら百人は優に超える。しかし貴族も多いから騎士の独身者で中隊長というのは意外に少ないし、最低でも二度の戦を経験した者だから更に絞られる。

 更にアマノ王国は建国から半年少々ということもあり、当てはまるのはジャン・ピエールが初めてだ。該当しない場合は名代が祝辞を述べており、彼がシノブの来訪を知らなくても不思議ではない。


「そうか……でも残念だね。貴族か大隊長以上ならシャルロットたちも伴えるのに」


「中隊長の騎士に王家が総出というのも……ベルレアン出身者を特別扱いするのも問題ですし。ジャンさんが妬まれて苦労しますよ?」


 シノブの表情から本気ではないと察したのだろう、アミィは冗談めいた言葉で応じる。

 確かにジャン・ピエールはベルレアン伯爵領の出身で、シャルロットやミュリエルとは故地でも主従の縁がある。しかし出身での優遇は不平不満の元になるから、シノブも例外を作るつもりはなかった。

 特にジャンは先月の決闘で注目の的となったばかり、新たな火種を投入するのは避けるべきだろう。


「まあね……ともかくアミィだけでも一緒で良かったよ」


「今の私は従者ですから」


 シノブとアミィは再び笑みを交わす。

 アミィには大神官の他にシノブの第一の従者の肩書きがあり、今日は後者として同行している。そして大勢を引き連れたら新郎新婦や列席者が気を使うだろうと、シノブはアミィのみを連れていた。


「そろそろ帝都決戦から十ヶ月か……。俺たち……そしてジャンがメリエンヌ王国軍として突入し、エーディトは『黒雷宮』にいたんだ……俺たちが住む『白陽宮』となった場所に。何だか不思議な気がするよ……ジャンとエーディトが結婚するなんて」


 シノブは馬車の外、大通りの風景を見つめている。

 昨年の十二月下旬、シノブたちはベーリンゲン帝国軍と初めて戦った。メリエンヌ王国史に『創世暦1000年ガルック平原の会戦』として特筆大書される激戦だ。

 そして帝国の侵攻を押し留めたシノブは年が変わるとフライユ伯爵に就任し、二月の半ばからは逆撃を開始する。仲間を捕らえられた竜たちも対帝国戦に加わったから帝都まで進んだのは三月上旬、そのときジャンとエーディトは出会う。

 メリエンヌ王国の騎士と、ベーリンゲン帝国の騎士の娘として。


 その二人が十ヶ月もしないうちに結ばれたのだ。シノブならずとも驚くだろうし、様々な思いが湧くのも当然である。


「新たに来た人が、元からいた人と……本当に嬉しいことですね」


 共に歩んできたアミィだけに、シノブの思いを正確に読み取ったようだ。

 手を取り合ってくれたらと融和を進めてきたが、結婚まで強制したくはない。王が募れば手を挙げる者はいるだろうが、それは本末転倒だろうとシノブたちは避けた。


 しかしジャン・ピエールとエーディト・アインスバインは、自身の意思で愛し合うようになった。

 先日までの敵国同士、しかもエーディトは父を戦いで失っている。それが皇帝による竜人化であっても、シノブたちが来なければと思ったこともあるだろう。

 だがエーディトは怒りや嘆きに溺れず、ジャンは偏見なく彼女を選んだ。それはシノブたちが待ち望んだことの一つだったのだ。


「ああ。これが本当の始まり……そんな気がするよ。先は長いだろうけどね」


「そうですね……。出身国を意識しなくなるには、少なくとも数世代は必要だと思います」


 焦る心を抑えるような口調のシノブに、アミィは眷属の叡智を感じさせる落ち着いた声音(こわね)で同意した。

 急激な変革は新たな(ゆが)みを作り出す。そして心を伴わない改革も。それ(ゆえ)シノブたちは、ゆっくりでも着実な前進を願っていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 冬の柔らかな光が降り注ぐ大通りを、シノブとアミィは未来への希望を胸に進む。幾多の苦難を超えた絆が、二人の間に穏やかで満ち足りた時間を作り出す。

 しかし二人の表情が唐突に引き締まる。他にいないはずの車内に、新たな声が響いたのだ。それも肉声ではなく、優しくはあるが底知れぬ深みを伴う波動で伝わってくる。


──シノブ──


「ニュテスの兄上……何か異変があったのですか?」


 声の主は闇の神ニュテスであった。そのためシノブの驚きは少なかったが、どうして今ここにという疑問は残る。

 アミィも同じことを思ったのだろう。彼女は神への敬意からだろう口を(つぐ)んだが、(おもて)には僅かに戸惑いの色が浮かんでいる。


──今日は私の役目を果たしに来たのです。とある魂を慰めるため、娘の結婚式に参列させましてね……ああ、もちろん密かにですよ──


 ニュテスは相変わらず思念のみで、姿を現しはしない。バアルやヤムなど異神たちが消えた今、この星を守護する神々も干渉を最小限にしているようだ。

 シノブとも神々の御紋で語らう程度、例外はリヒトやエスポワールが誕生したときくらいだ。


「娘の……まさか?」


 シノブはエーディト・アインスバインの父を思い浮かべた。帝都決戦で竜人と化して亡くなった、ベーリンゲン帝国の官僚として生きた人物である。

 彼の妻子は運よく難を逃れ、今は長男のディートリッヒを当主とする従士家としてアマノ王国に仕えている。そのためシノブも、穏やかな文官だったという故人について略歴程度だが把握していたのだ。


──ええ、その彼です。彼の嘆きは別して大きかった……竜人にされて狂ったとはいえ、娘を殺そうとしたのですから。そこで特別に癒しを与えたのですよ──


「ジャンが救ったという、あのときの……」


「そんな……」


 ニュテスの示した事実に、シノブは強い衝撃を受けた。アミィも声を震わせ、目を見開いている。

 エーディトは旧帝国時代も宮殿で働く侍女で、当日も『黒雷宮』で働いていた。そして彼女の父も同じく出仕していたから、どこかで出くわしてもおかしくない。

 あの混乱の中エーディトが危険な宮殿に駆け込んだのは、父を捜し求めたからだという。しかし彼女の父は既に異形へと変じており、邪道の薬と皇帝の(めい)によって殺戮に身を投じていた。


 それらはシノブたちも知っていたが、あわや父が娘を殺めるところだったと聞いては平静でいられない。

 しかもエーディトを救ったジャンが、彼女の夫となる。知る(よし)もなく仕方がないこととはいえ、ジャンは将来の義父を手に掛けたのだ。

 あの当時、竜人となった者を元に戻す(すべ)など存在しなかった。したがって倒すしかないのだが、何たる悲劇と嘆くのは無理からぬことだろう。


「ジャンやエーディトは、このことを?」


──知りませんし、知らせる必要はありません。これは新たな生に旅立つ魂を清めるため、今を生きる命には手の届かぬことです──


 思わず問うたシノブに、ニュテスは重々しい思念で応じた。

 まるで全てを包む夜のような。どこまでも広がる宇宙空間のような。万物を見守るに相応しい強く揺らがぬ思念は、それでいて大きな愛を秘め、果てが見えぬほど奥深い。シノブは冥神ニュテスの一端に、僅かながらも触れたように感じていた。


「そうですね……未来を切り開く二人には不要なことでした。……ところで兄上、同じように悲劇の最期を迎えた人は多いと思いますが、その方々も兄上が?」


 冥界の掟に口を挟むなど畏れ多いことだ。そう思ったシノブだが、一つ気になることがあった。

 帝都決戦で没した魂たちを癒すため、遺族の節目に地上へと連れてくる。そうするとニュテスは、自分が思っていたより頻繁に側に来ていたのだろうか。

 問うてならないことなら、今回の訪れも明かさないだろう。ならば逆に知るべきことなのでは。生じた疑問を解消すべく、シノブは長兄たる神に教えを請う。


──いえ、普段は配下の眷属たちに任せています。しかし今回はジャン・ピエールが関わっていたので……彼は私の加護の持ち主です。それも特別に強い……使徒と呼んでも良いくらいの──


「そうでしたか……」


 ニュテスの言葉で、シノブは前々からの疑問が氷解した。

 先日の決闘で、ジャン・ピエールは別して強力な技を行使した。しかもシノブは、彼が何らかの手段で魔力を抑えていたのでは、と疑っていた。

 たとえば神々から特殊な加護を授かったか、それとも過去の眷属が遺した魔道具でも使ったか。そのようなことを、シノブは想像していたのだ。


 そこで改めて軍から情報を取り寄せたが、どうもジャンには単なる軍人とは思えない逸話が多い。

 魔道具子爵ことマルタンと親しいのは同じベルレアンの出身だから自然だが、開発中の魔道具の試験まで手伝うなど誰にでも出来ることではない。それにドワーフたちの工房に足繁く通って先進的なデザインの武具や防具を作らせるなど、独特な感性の持ち主だという。


 それらの行動はエウレア地方の文化を底上げした眷属たち、使徒と呼ばれた存在を思わせる。文明を変えるほどの大発明はしていないようだが、異神の危機を脱したから自然な進歩を望んだのかもしれない。

 そもそもミリィが結婚式の司式を買って出た件も、かつての同僚だからではなかろうか。眷属の過去を問うてはならないと知っているから訊ねはしないが、薄々感じるものがシノブにあったのは事実だ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



──しかしジャン・ピエールはアミィたちと違い、人の子として生まれました。ですから私は、これを期に彼の役目を解こうと決めたのです──


 ニュテスの言葉は突然だったが、シノブには理解できるものだった。

 ジャンはベルレアン伯爵家に仕える騎士ピエール家の三男、父母は結婚式にも列席しているセザールとタチアナだ。これはフライユ伯爵領でジャンを家臣としたときシノブが目を通した書類にも明記されているし、シャルロットを含め少年時代の彼を知る者も身近にいるから確かである。

 それに対しアミィたちは現在の姿で降りたから、地上に親などいない。彼女たちは肉体を得て能力の制限も受けているものの、あくまでも眷属なのだ。


 ジャンはエーディトと結ばれた。当然ながら子も残すだろうし、その後も人としての営みを続けていくはずだ。したがってジャンを自由な生へと移すのを、とても望ましいことだとシノブは感じていた。


──ただし君が望むなら、アミィたちと同様に働かせても構いません。どうです、少々出自は違いますが君預かりの眷属としますか?──


 問いを発したニュテスは、そのまま沈黙する。どうやら彼は、シノブに考える時間を与えたようだ。


「いえ、私もジャンの自由を望みます。彼がどのような役目を持っていたにしろ、終わったのであれば思うように生きて欲しいのです」


 シノブは悩むことなく応じた。これに(るい)する件に関して、常々思うところがあったのだ。


 アミィたちが支えてくれるのは、シノブにとって本当に嬉しいことだ。しかし彼女たちは人としての生より神々の使命を優先させていると、感謝しつつも憂えてはいた。

 自分は神々の血族だが、まだまだ未熟な身だ。それ(ゆえ)アミィたちは支えてくれているし、シノブも自身には彼女たちの導きが必要だと感じている。

 これが個人の成長だけなら手を借りないと突っぱねたかもしれないが、備えた大きな力を鑑みれば理想論で済まないのは明らかだ。もし人々が知れば神の血族など充分な監視をつけて教育しろと言うだろうし、自身が第三者でも同じことを主張する。


 そのような役目をジャン・ピエールに背負わせて良いわけがない。特に彼は人間として生まれ育ったから、アミィたちのような純粋な眷属とは違う。

 もはや自分は後戻り出来ない。しかしジャンは、まだ間に合う。それをシノブは思ったのだ。


──そうですか……彼は──


「兄上、そこまでに。私は今を生きる命です……将来はともかく、まだ輪廻の輪に触れるだけの資格がありません」


 何かを言いかけたニュテスを、シノブは素早く遮る。

 まずは精一杯に生き抜き、集った仲間と手を携える。今生のことすら学び磨いている最中なのに、前世や来世まで手を出すのは早すぎる。

 前世を知ってどうするのか。誰も知りえぬ過去など口にしたら、ますます周囲が特別視するだろう。それに前世を知りたいと望む人々が現れたら、どうするのか。


 やはり人の知りえぬものに頼らず、一歩ずつ進むべきだ。シノブは自戒の念を深く心に刻み込む。

 自身が紹介した概念や技術、たとえば蒸気船や飛行船によりエウレア地方は大きく変わろうとしている。蒸気船は異神との戦いのため、飛行船は神像での転移や竜の磐船に頼らぬ手段を求めたから。どちらも当時は必要と思ったし、実際に大いに役立ってくれた。


 しかし急激に押し進めた弊害は、確かに現れている。

 実現したマルタンたち、メリエンヌ学園の研究者の能力と努力は素晴らしい。だが彼らの作品は、厳しい言い方をすれば示されたものをそのまま形にしただけだ。おそらく過去の眷属たちが伝えた技術と同様に、次の大きな進化は何十年も先だろう。

 写真や録音の魔道具も同じだ。これらもシノブやアミィとの会話で出たものが元となっており、純粋な意味での発明とは言い難い。

 平和な今は、着実に歩むべきとき。既に生まれた技術は活用するにしても、ここから先は見守ろう。シノブは、そう思うようになっていた。


──シノブ……成長しましたね。君の決断を尊重しましょう──


「申し訳ありません」


 何となく微笑んでいるようなニュテスの思念に、シノブは謝罪で応じた。

 案じてくれた(ゆえ)の言葉を、自分は拒絶したのだ。まだ手に負えないという思いは確かにあるが、神の勧めを素直に受け入れる道もあっただろう。

 シノブの心に、僅かながらの後悔が生じる。引き返すつもりはないが、それでも決断が正しかったかと思いはするのだ。


──いえ、良いのです。君が地上の者でと思っているように、私たちも君の自立を願っているのですから。この星の者たちが自身の意思で道を進む……それが私たちの願いであり選択なのですよ──


 ますます優しげとなったニュテスの声に、シノブは頬を染める。神々からすれば自分は幼な子に過ぎないのだと、改めて感じたのだ。


──それではシノブ、改めてジャン・ピエールを頼みます。一人の人間として、そして君の仲間として──


「はい。共に手を携え、アマノ王国を守ります……そして広がる世界を生き抜きます」


 ニュテスはシノブの宣言を、とても喜んだらしい。何故(なぜ)なら彼の気配は、シノブの心に深い安らぎを与えてくれたのだ。

 そして闇の神は、まるで夜のように静かに去った。シノブとアミィを包んでいた柔らかな波動は、現れたときと同じく何の予告もなく消失していた。


「……兄上、ありがとうございます。さて、もう軍本部の側だね!」


「はい! きっと皆さんお待ちです!」


 シノブとアミィは晴れやかな日に相応しい満面の笑みを交わす。

 ジャンとエーディトは、絶対に幸せを掴む。ニュテスは厳しくも優しい神だから、これからも彼らを見守るに違いない。そして生まれてくる子供たちも。

 明るい未来を思い浮かべる二人が乗る馬車を、冬の優しい陽光が輝かせる。そして東の空には、少々気の早い月が薄く浮かんでいた。


 お読みいただき、ありがとうございます。


 アマノ王国建国後、その王都アマノシュタットでの光景です。「その48」の直後、創世暦1001年12月27日のことです。


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