その47 父 後編
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十二月になったばかりのある日、先代ベルレアン伯爵アンリ・ド・セリュジエは、およそ一週間ぶりに自領の領軍本部へと顔を出した。現在のアンリはメリエンヌ学園の副校長だから、一日中セリュジエールにいるのは月に数回なのだ。
学園関係者とはいえ、日に何度も神殿の転移を使うわけにはいかない。そのためアンリも夜に孫たちの顔を眺めに戻る程度である。
しかし、この日のアンリは終日をセリュジエールで過ごす予定であった。そこで彼は息子のコルネーユに殆ど任せ切りの軍に向かったわけだ。
もっとも『雷槍伯』ことアンリが事務仕事などを手伝うはずもない。彼が赴いたのは領軍本部の訓練場だった。
「よし! 腕を上げたな、ジョルジュ!」
アンリは見どころのある若手騎士に指導を行っていた。晴れ渡る冬空の下、槍での模擬戦である。
「ありがとうございます!」
このジョルジュという騎士は、アンリが特に目を掛けている一人だ。弟のジャンはアマノ王国の騎士として王都の中隊長を務めるほどの逸材で、彼も兄として負けていられないと一層励んでいるからである。
そこに一人の男が現れる。先ほどアンリの教えを請うたジョルジュに似ている、熟年の騎士だ。
「お久しぶりでございます」
彼こそはセザール・ピエール。先の騎士ジョルジュと、何かと噂の騎士ジャンの父だ。
そしてアンリにとっては二十一年前のベーリンゲン帝国との大戦における勇士、特に信頼の置ける家臣の一人であった。
「セザールか。……ちょうど良い、お前たちに手本を見せてやろう!」
アンリが叫ぶと、訓練中の騎士たちは場所を空ける。
こうなると思っていたのだろう、セザールも模擬槍を手にしていた。そのため先代伯爵と熟練騎士の戦いは、間を置かずに始まった。
「うわっ! 俺の『稲妻』とは大違いだ!」
「先代様、俺たちには随分と手加減していたんだな……」
配属されたばかりの新人たちが、驚きの声を上げる。紫電のようなセザールの突き『稲妻』を、アンリは返し技の『稲妻落とし』で軽々と封じたのだ。
若手の一人が呟いたように、アンリの動きは先ほどまでより何段も鋭い。しかし、それだけの動きを引き出すセザールの腕も恐るべきものだ。
まさにアンリの腕は老いてますます盛ん、そのアンリに劣れども長き修行で会得したセザールの槍技は抜群、どちらも若手たちを唸らせるのは当然至極である。
一通りの技を披露した二人は、若者たちに場を譲った。そして彼らは騎士たちの訓練を見守りながら、語らい始める。
「今日はどうした、セザール。息子への手本になるとはいえ、それほど頻繁に出てくる必要はあるまい」
問うたアンリは、セザールの心を探るように静かに見つめる。といっても相手に不審を感じているのではなく、セザールに相談事があると感じたからのようだ。
実際アンリの声音は優しく穏やかで、訓練中の烈声とは大違いだ。
「はい……実は末の息子、ジャンがこのほど結婚することになりまして。今月の27日です」
僅かに顔を綻ばせたセザールは、三男のジャンの結婚に触れた。
セザールの子供は三人、そして全て男子である。長男のジョルジュは跡を継いで騎士、次男のジュリアンは領都で有数の商家に婿入り、三男は他国で騎士として活躍している。まさに順風満帆の騎士人生だ。
「ふむ、めでたいことだな」
「ありがとうございます」
アンリの祝福に、セザールは流麗な仕草で一礼を返す。そして慶事だと知ったアンリは朗らかな笑みを浮かべ、セザールも抑えつつも喜びが滲む顔となる。
「しかし年内か……。あれの所属は王都守護隊だったな……新年の慶事続きで忙しくなる前に済ませる算段か?」
「はい。アイツも騎士ですから、先延ばしにするより良いかと。今は安全極まりない王都アマノシュタット勤めですが、軍人には違いありませんから」
二人は早期の挙式を自然なことと思っているようだ。
アンリが挙げたように、新年になれば各種行事で忙しくなる。ジャンは王都守護隊の一員で、しかも中隊長だから気軽には休めないし、妻となるエーディトも王宮侍女だから同様だ。
それに戦でも起きれば祝い事など先送りである。したがって、こういったときに延期させてまで出席したいという者は稀であった。
そもそも他国や他領まで祝いに行く者は多くない。竜たちによる磐船は増やせないし、飛行船も誕生したばかりで数が少なく公務が中心だ。それに神殿の転移は神官たちへの負担が大きいことを理由に、最低限に留められていた。
「アマノシュタットか……親としては列席したいだろうが、少々遠いな。……なるほど、それで儂か?」
アンリはジャンの結婚式まで四週間を切っていることに思い当たったようだ。
ここベルレアン伯爵領の領都セリュジエールからアマノ王国の王都アマノシュタットまでは、直線距離でも1300kmほどはある。もちろん早駆けをすれば一週間ほどで移動できるが、それは特別な軍馬を使った上で替え馬も用意してのことだ。
したがって騎士や従士だと大金を投じての旅であり、簡単には踏み切れない。それにセザールは長男に跡を譲ったとはいえ今でも教導役の一員で、長期を空けるのは望ましくない。
「ご明察、恐れ入ります……。恥を忍んでお願いいたしますが、随員に加えていただけないでしょうか?」
納得顔のアンリに、セザールは再び頭を下げた。
12月25日は戦王妃シャルロットの誕生日だ。そして彼女はアンリの孫で現ベルレアン伯爵コルネーユの娘だから、ベルレアン伯爵家から誰かが祝いに行くのは当然である。
「27日なら、まだ向こうにいるな……それに飛行船にも空きはある。それでは供を頼むぞ。無論、夫人も連れてな」
今回アンリは、コルネーユたちと共に飛行船で移動する予定であった。
異神が率いたベーリンゲン帝国が滅んだ今、超常の手段である神殿の転移は可能な限り減らす方針だった。そこで飛行船の増産を優先して次々と航路や便数を増やし、王族や貴族も出来るだけ空の旅を選んでいる。
そのため今回の旅も空路となっていたのだ。
「ご配慮、心から感謝いたします」
セザールは三度頭を下げる。そして相談事を終えた二人は、再び若者たちの指導へと戻っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
創世暦1001年12月27日、俺ジャン・ピエールは驚きと喜びを同時に味わっていた。
遥か遠くのセリュジエール、俺の故郷メリエンヌ王国のベルレアン伯爵領にいるはずの両親が、結婚式……正確には式を目前にした控え室に現れたからだ。
一旦は幻かと疑ったが、現実であった。イケメン父セザール・ピエールと母のタチアナは、俺たちの前に間違いなくいるし、握手や抱擁すら交わしたのだから。
ちなみにお袋だけど、顔立ちは整っていると思うが親父に比べると普通な感じだな。もっとも長い侍女勤めで磨いた上品さはあるし、標準以上であるのは間違いない。
余談だが、俺は母に似ていると良く言われる。たぶん親父ほどのイケメンじゃないから、母親似だねって言うんだろうな……。
「それでは失礼します。式まで、ごゆっくりお過ごしください」
両親を案内した神官は、俺の身内と分かってホッとした様子で下がっていった。まあ知らない人が押しかけて奥まで入り込んだら、そりゃ不安になるだろうな。
そして奥では早速和やかな交流が始まっていた。
「こんな可愛いお嬢さんがジャンのお嫁さんになってくださるなんて……本当に嬉しいわ」
「そ、そんな! お義母様、厳しくご指導お願いします!」
「本当に……至らない娘で申し訳ありませんが、何卒お願いします」
挨拶を済ませたお袋はエーディトたちと語らい、それを付き添いの御婦人たちが囲んでいる。
客観的に見てエーディトは容姿も抜群、それに王宮侍女だから挙措や礼儀作法も完璧だと思う。まあ夫となる俺の評だから、それなりに補正は入っているかもしれないが。
しかしエーディト自身や母のエーファさんからすると、まだまだなのだろうか。二人は過剰なほど下手に出ていた。
一方の俺だが、女性陣を遠巻きに眺めるだけだ。それにエーディトの兄ディーターことディートリッヒも、俺の側に控えている。
あの中に入るのを躊躇ったのもあるが、先に知りたいことがあったのだ。
「で、どうやって王都まで来たの?」
俺は小声で親父に問い掛ける。
金を惜しまず替え馬と高級馬車を使えば可能だが、そんな浪費をする親たちではない。俺が金を出すと手紙で伝えたときも、無駄遣いするなと返事を寄越したくらいだからな。
となると飛行船や磐船、神殿の転移だが、どれも使えるのは公務などだけだ。とても一騎士の結婚式に参列する程度で許可は出やしない。
「ああ……先代様にお願いして、シャルロット様の誕生祝いの供にしてもらったんだ」
息子がビックリすることを平然と言ってのける親父。そこに痺れたり憧れたりすべきなんだろうか……いやいや、馬鹿なことを考えている場合じゃない。
先代様にお願いって、そんな簡単に会えるのかよ? っていうか、それで連れて来てもらえるのか?
「言ってなかったな。これでも父さん、それなりに評価していただいているし先代様と懇意な方なんだ」
「聞いてねぇよ!?」
そんなやり取りを俺たちがしていると、親代わりをお願いしていたジョーゼフ大隊長夫妻が入ってきた。
うわ~、これはマズイかも。代理を頼んだのに、両親が来ちゃったなんて……。
「大隊長……」
俺は事情を説明しようとジョーゼフ大隊長夫妻へと歩み寄る。しかし俺より先に親父が前に出ていった。
「よぉ、セザール! ちったぁ老けたか?」
「お前ほどの貫禄はないさ……若くて済まんな、ジョーゼフ」
何と親父は、ジョーゼフ殿と長年の親友のような気安さで挨拶を交わした。そして二人は、がっちりと握手する。
それにスザンナ殿……ジョーゼフ大隊長夫人もご存知なのか、にこやかに微笑んでいる。
「え……と、親父、大隊長と知り合い?」
「流石は中隊長のご尊父様、顔が広いのですね……」
驚く俺の隣で、ディーターが何やら感心したような呟きを漏らした。
いったいディーターの中では俺と親父はどういう扱いになっているのだろうか。……怖いから聞かないことにしよう。
「なんだ、話していないのか?」
「機会がなかったからな」
首を傾げた親父に、ジョーゼフ殿が肩を竦めてみせる。そして二人は代わる代わる、俺たちに説明をしてくれた。
◆ ◆ ◆ ◆
二人が言うには、あの二十一年前の大戦、創世暦980年のベーリンゲン帝国の侵攻のときの戦友だそうだ。先代様が『雷槍伯』の二つ名を贈られた、あの有名な戦いだよ。
しかし、出会いは最悪だったとか。
「ジョーゼフのヤツ、先代様の前で『屍肉漁り』って叫んだんだぞ。怖い者知らずだろ?」
「あのな……あれは『ベルレアンの屍肉漁りどもに後れを取るな!』って……」
若気の至りだろう出来事を暴露する親父に、ジョーゼフ殿が真っ赤な顔で言い訳めいたことを口にした。
昔はベルレアンとフライユって仲が悪かったんだよ……良く言えば武勲を競うライバルだけどね。きっと先陣を競ったとかだろうけど、それを加味してもねえ?
そんなことを思っている間にも、昔語りは続いていく。主に親父がジョーゼフ殿をからかう形で。
ジョーゼフ殿の慌てようは意外で新鮮だが、俺とディーターは黙って聞くのみだ。それに対しスザンナ殿は、どれも承知のことらしく笑いを堪えていらっしゃる。
「古いことは、もう良いだろう。……王宮に行ったのか?」
「ああ、ジェルヴェ殿やジュスト殿には会ったよ。それにシメオン様やシャルル様にもご挨拶に伺った」
ジョーゼフ殿と親父のやり取りに、俺は再び絶句する。
そりゃあ全員ベルレアン伯爵領の出身者だけど……。でも伯爵家では家令で今は侍従長のアングベール子爵、同じく館勤めから王宮守護隊長のラブラシュリ男爵、そして御一族のビューレル子爵家から内務卿と財務卿代行となったお二人だよ?
「ジュスト殿に会ったら平謝りされたよ……ああいうことは、先に知らせて欲しかったな」
親父は俺に向き直り、意味ありげな笑みを浮かべる。先月のリヴァーレ殿との決闘か……だけど、まさか親父がラブラシュリ男爵と懇意だなんて思いもしないからなぁ。
「親しいなら、そうと言ってくれよ……」
同じ伯爵家に仕えていたんだから、俺も顔くらいは知っていると思っていた。しかし、それほど親密だったとは。それにシメオン様やシャルル様ともね……もしかして親父のコネってすごかったの?
「跡取りでもないのに家名の重みを背負う必要はないだろう? それに下手に知って妙な方向に行くと困るからね」
どうも教えなかったのは、親父の気遣いからのようだ。確かに名家の三男坊なんて、甘やかさない方が良いのかもしれんが……。
「ジョルジュは跡継ぎだから、その辺はしっかり教育したよ。お陰で重圧に負けないように必死らしいがね。だけど三男のジャンに、そこまで押し付けるのもねえ?」
「ありがたい父心だと判ったけど……。でも帝国戦で先代様と一緒になったとき、もう少しちゃんと挨拶できたのに……」
親父と俺のやり取りを、ジョーゼフ大隊長夫妻は微笑ましげに見つめている。正確にはジョーゼフ殿はニヤニヤしているが、温かい視線ということにしておこう。
「ジョルジュも正式に婚約したよ。お相手は東門隊の騎士エッフェル殿の娘さんだ」
「ああ、マリアルイゼさんだね」
親父の挙げた相手だが、俺も知っていた。
マリアルイゼさんは来年成人なんだけど、エッフェルさんのところとは親しいからジョルジュ兄さんと結婚するかな、とは思っていた。十歳少々離れているけど、こういうのは似た家格で纏まることが多いからな。
ちなみにエッフェルさんだけど、東門勤務だったから裏切り者のマクシムの一件で一時期は随分と肩身の狭い思いをしたそうだ。とはいえ既に一年以上も前のことだから、今では笑い話らしいけど。
「ジュリアンも近々アマノ王国行きの合同隊商に参加するらしい。アマノシュタットにも行くそうだよ」
「そうか……会えるときが楽しみだな」
二番目のジュリアン兄さんは、義姉のレナさんと一緒に商売に精を出している。まだレナさんのお父さんは現役だから、遠征を任されたようだ。
そんなことを話していると、エーディトたち女性陣もこちらに来る。そしてピエール家とアインスバイン家が揃っての輪が出来上がり、更にジョーゼフ大隊長夫妻や付き添いの御婦人方なども俺たちを囲む。
しかし楽しい語らいは、一旦終わりになる。
「そろそろお時間です……後は披露宴でごゆっくりお願いします」
式の準備も整ったようで、世話係の神官が呼びに来た。しかし、よほど俺たちが楽しげに見えたのだろう、神官は済まなげな顔をしている。まあ実際、和気藹々だったけどね。
「それじゃ親父、お袋……今までありがとう。そして今日も……」
二人の登場で驚いたけど、緊張も解れたし両家の仲も深まった。親父たちには感謝しないとな。
「礼を言うのはこちらだよ。我が子の晴れ姿を見せてもらえるのだからね」
「ええ、楽しみですよ」
晴れやかな笑みを浮かべる両親に、俺は送り出される。俺は再び、新郎用の控え室で待機するんだ。
俺は扉に向かいつつ、エーディトに顔を向けた。すると彼女は恥ずかしげに微笑む。そのためだろう、歩む俺の胸に更なる幸せが広がっていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
アマノ王国建国後、その王都アマノシュタットでの光景です。冒頭部は「その45」と同時期で創世暦1001年12月初め、以降は「その46」の直後、同12月27日のことです。




