その46 父 前編
創世暦1001年12月24日の午後、メリエンヌ王国の先代ベルレアン伯爵アンリ・ド・セリュジエは、数人の供を連れてアマノ王国の王宮『白陽宮』に現れた。しかも公式行事が行われる『大宮殿』ではなく、王族たちの住まい『小宮殿』に、である。
とはいえ驚く者は皆無だ。アンリは戦王妃シャルロットと英姫ミュリエルの祖父である。そのため侍女や従者も敬意の篭もった微笑みと共に迎え、奥へと誘った。
「お爺様、誕生祝いに来てくださったのは嬉しいですが、前日とはいささか気が早くありませんか?」
シャルロットは自身とシノブの居室に近い応接室で、祖父を持て成していた。
生憎シノブは国内の視察中、ミュリエルは商務省から戻っていない。そのため彼女は自身の息子リヒト、つまりアンリの曾孫を伴うのみだった。
もっともリヒトは生後七週間という幼さで、今も母の腕の中で眠っているだけだ。アンリを迎えたときは起きていたのだが、あやされているうちに疲れたらしい。
それはともかくシャルロットが口にした通り、彼女の誕生日は明日であった。そのため彼女は前日から来た祖父に少々呆れたようだ。
「孫や曾孫と一緒に過ごすのに、多少早くとも問題はあるまい。それに以前聞いたが『あちら』では今日も特別な日……だから土産も持ってきただろう?」
アンリは部屋の一角に目を向けた。そこには綺麗な飾りつけをした箱が幾つも積まれている。
ちょうど一年前、シノブはシャルロットに12月25日が地球の多くで特別な日とされていることを伝えた。その中にはプレゼントについても含まれていたから、アンリは早速倣ったらしい。
「私たちだけではなく、アヴニールやエスポワールも?」
シャルロットが口にしたのは彼女やミュリエルの弟たちだ。つまりベルレアン伯爵コルネーユの長男と次男である。
「もちろんだとも! あの二人に甘い顔を出来るのは今だけだからな!」
笑いを堪えているようなシャルロットに気付かなかったのか、アンリは自慢げに応じていた。そのためシャルロットの侍女やアンリの供たちも、微笑ましげな顔となる。
天下に名高い『雷槍伯』アンリも、孫に対しては好々爺となってしまうのか。それでも物心付いたら厳しく鍛えるのだから、強固な自制心と称えるべきか。どうも侍る者たちは、そのようなことを考えたらしい。
「お爺様……」
「もちろん、それだけではないぞ! 少々用事もあったのでな……。それはともかく、お前も懐かしいだろう?」
ようやく孫の表情に気付いたのか、アンリは少々居住まいを正した。
どうも用事とやらは、シャルロットやミュリエルとは関係のないことらしい。そのためだろう、まるで話を逸らすかのように、アンリは顔を横に向けた。
もっともアンリはシャルロットの追及を逃れたわけではなかった。彼は供として連れてきた者たちに、シャルロットへの挨拶を促したのだ。
「お久しゅうございます」
「セザール、元気そうで何より。息子に後を譲り、教導役に回ったのでしたね?」
進み出た四十歳前後らしき落ち着いた騎士に、シャルロットは懐かしそうに応える。すると騎士は整った顔を綻ばせ、更に二言三言と言葉を交わす。
続いて他の供たちも、最初の騎士と同じくシャルロットに挨拶していく。そしてアンリは満足げな笑みを浮かべ、孫と家臣たちの交流を見守っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
創世暦1001年12月27日、戦王妃シャルロット様生誕祭の二日後。祭りで沸く王都の者たちを相手にし更に後始末を終えた俺ジャン・ピエールは、東区の神殿で緊張していた。
何しろ今日は、結婚式当日だ。二度の人生で初めて、おまけに年下の可憐な少女が花嫁だから、緊張するなって言われても無理ってもんだ。
とりあえず俺は、気を紛らわせようと自身の格好を確認する。
今の俺の服装は第一礼装の軍服、それも特別なときに備えた取って置きの一着だ。たとえば今回のような結婚式、あるいは王宮で叙勲とかされるときに備え、多くの者は予備を大切に仕舞っている。
それに俺は帝国との戦いでいただいた勲章があるから、規定の飾り布に付けている。そのため中隊長の礼装は更に華やかさを増していた。
ちなみにシノブ様はタキシードだったらしいけど、上級の貴族でもない限り衣装に金をかけるっていうのは難しいんだよ。
「おかしなところ、ないよな?」
「ええ、実に立派なお姿です」
何度目かの俺の質問に、副官のディーターことディートリッヒ・アインスバインが真顔で答える。
俺の両親や兄達は遥か遠方のセリュジエールにいるから、出席できない。そこで世話役兼任でディーターが付いてくれたんだ。
両親を招けないのは、正直なところ少し寂しい。しかしセリュジエールからだと並の駅馬車で片道一ヶ月、貴族とかが使う上等のものでも二週間も掛かる。
手紙では伝えたし、大喜びしてくれた……だから、充分だよ。
「……ところでディーター、少しくらいエーディトのところに行かないのか?」
結婚式を迎えるということもあり、俺は呼び方を改めていた。披露宴とかでエーディト『さん』などと言ったら失笑されそうだしな。
まだ慣れないから、言うたびに頬が赤くなるような気がするが……。
「……妹とはいえ、女性の身支度ですから」
「そ、そうか……」
黄昏るディーターに、俺は何と答えるべきか迷ってしまう。
そこで気まずさを解消できないかと、俺は辺りを見回した。すると結婚祝いの品々が目に入ってくる。
スペースの都合上、祝いの品は男部屋に纏められているんだ。祝いの場でお披露目した後、家に送ってくれるとか。
「沢山いただいたなぁ……」
「軍からも多数、それに妹の同僚や上司の方々もありますからね。それに魔道具子爵様やドワーフの方々からのお祝いまでありますし」
俺の呟きに、ディーターは自慢げな顔で応じた。
こういうのは周囲と良い関係を築けているか示すバロメーターらしい。そのため少なかったり上司や関係部署からが無かったりすると、後々辛いそうだ。
まあ、そんなことはともかくディーターの機嫌が直って良かった。
「実用品はありがたいですね」
ディーターが目を向けたのは、衣類などの積まれた場所だ。もちろん包装済みだから、直接見えはしないがね。
祝いの殆どは衣類や家具などの実用品。気が早い人は赤ん坊用の衣類なんかを贈ってくれた。そういうのはエーディトの職場の方々、王宮侍女の皆様が多いな。
「まあな。家具も助かる……色々ご苦労様」
軍の方は家具が多いようだ。被らないようにディーターが調整したそうだが、箪笥ばかり沢山あっても困るからな。
ちなみに家具のような大物は既に家に運び込まれ、ここにあるのは目録のみだ。入りきらないし、運ぶのも一苦労だからね。
「副官として当然のことです。しかし写真の魔道具ですか……」
「見せびらかすとマズそうだが、嬉しいね」
俺たちは一抱えもある大きな箱に顔を向ける。
魔道具子爵ことミュレ先輩からは写真の魔道具……要するにカメラだった。開発者のミュレ先輩ならではのプレゼントだね。
この写真の魔道具は三ヶ月前に完成したばかりで、今のところ個人だと王族や一部の上級貴族しか持っていないそうだ。少しビビるが、エーディトの花嫁姿を残しておけるのは非常に嬉しい。
「こちらも素晴らしいですね」
「ありがたいけど、これも使いどころがね……」
素直に感嘆するディーターに、俺は苦笑いを返した。
最も異彩を放っているのは、ドワーフの職人ムハマさんからの贈り物だ。何とハルバート、槍・斧・鉤爪を組み合わせた長柄武器である。刀身部分にミスリルを使用した儀礼用と見紛うばかりの装飾の施された品で、穂先中央に岩竜をかたどった装飾が施され、頭部が斧、翼が鉤爪となっている。
とても格好いいんだけど……俺には少し派手かな。威嚇のためか刃の部分はどれも巨大だし、前世で知っているものだと実在の品より漫画やアニメみたいでさ……余計な記憶が憎い。
その辺りを除いても日常の勤務で使うのもアレだし、式典とかで一人だけ持つのもねぇ?
◆ ◆ ◆ ◆
「新婦殿の準備が整いました。こちらにどうぞ」
しばらくして神官が呼びに来たので移動する。神官と言うより式場の係員みたいだけど、実際そんなところのようだ。
こういうのを担当するのは神官でも若手で、呼びに来た人も俺より年下らしく初々しい。
それはともかく案内された新婦控室に入ると、俺は言葉を失った。
イメージとしては怪盗三世の劇場版『おじさま』呼びするお姫様のドレスが近いかな。純白だけどスカートや袖の裾には山々や雪の結晶をあしらった刺繍が水色の糸で刺しゅうされていて、胸元には婚約で贈った赤いバラのネックレスが輝いていた。
「父さん……ついにエーディトが……」
俺が見惚れている横で、ディーターが感涙にむせび泣いていた。確かに、亡き親父さんに妹の晴れ姿を見せたかっただろうな。
義母さん……エーファさんもハンカチで目元を拭っているし、付き添いの御婦人たちも瞳を潤ませていた。そのため室内に温かな静けさが訪れる。
「あの……似合いませんか?」
不安げにエーディトが聞いてくる。うん、萌え死にしそうです。
「いや、可憐です……結婚してください!」
「これから結婚式でしょう!」
俺のボケにディーターが速攻でツッコミを入れる。うん、いい反応だ。
これでエーディトの緊張も解れたようで、大きく顔を綻ばせた。ああ、いい笑顔だな……と俺は、そしてディーターやエーファさんたちも見惚れる。
「お取込みのところ悪いが、邪魔させてもらうよ」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこには笑顔の中年男性と困ったような神官さん、そして男性と同じく俺の良く知る女性が立っていた。
微笑む男は俺と同じ金髪碧眼、背は高めだがスマートでだが引き締まった印象を受ける。
年は実年齢より若く感じるが、落ち着いた雰囲気を醸し出すダンディ。どこからどう見てもイケメン。似たような顔のパーツなのにこれほど印象が変わるのかと、昔から嫉妬を抱いてしまう人だ。
「何でここにいるんだよ、親父!?」
絶叫する俺に驚いたのか、それとも発言の中身だろうか。エーディトを始め、室内にいた者は全て同じ方向を向く。
もちろん皆が注視しているのは、神官が案内してきた二人……俺の親父セザール・ピエールとお袋のタチアナだ。
「祝いに来た両親に何という暴言……父さん、そんな子に育てた覚えはないぞ?」
「貴方が伏せておくからでしょう……」
大袈裟に肩を竦めてからウィンクする親父と、どこか呆れたような顔のお袋。確かに本物だ……誰かが変装の魔道具で成りすましたとかじゃない。
「全く……でも、嬉しいよ。ありがとう」
俺は親父たちへと足早に寄っていく。不覚にも目頭が熱くなったから、エーディトたちに見せたくなかったんだ。
誤魔化せたのは僅かな時間だったに違いない。驚きから醒めたエーディトたちも俺の後に続いたからだ。でも、細かいことはどうでも良いさ。俺とエーディトを祝ってくれる人たちに囲まれているのだから。
お読みいただき、ありがとうございます。
アマノ王国建国後、その王都アマノシュタットでの光景です。「その45」より後、創世暦1001年12月下旬のことです。