その45 母
私の名はエーファ・アインスバイン。旧帝国の騎士の未亡人だけど、今はアマノ王国の王都アマノシュタットで下士官宿舎の寮監をしているの。
子供は二人、どちらも成人しているわ。息子のディートリッヒは王都守護隊の東門大隊、娘のエーディトは王宮侍女。元敵国人なのに、私を含め三人とも雇っていただけたのよ。
帝国時代は少しの過ちで厳罰、処刑も珍しくなかったのに……。新しい国は大違いと、感謝しつつも驚いたものだわ。
優しく接してくれたのは、国だけじゃないわ。かつての敵国の生まれでも、皆さん良くしてくださるの。それどころか、娘を妻に迎えてくれる方まで現れた。
夫は宮廷勤めだったとはいえ、普通の文官だった。だから個人的に敵と憎む人はいないでしょう……それに、あの戦いで異形とされて命を落としている。
そういう経緯もあって昔のことは不問としてくださったけど、良縁は難しいと思っていた。でもディートリッヒの上官、ジャン・ピエールさんが娘を望んでくださったの。
ジャンさんは戦王妃シャルロット様と英姫ミュリエル様のお父上が治めている、メリエンヌ王国のベルレアン伯爵領のご出身。しかも父祖の代から伯爵家にお仕えした名家の生まれなの。きっと縁談など山のようにあったに違いないわ。
宿舎での様子やディートリッヒから聞く話だと気さくで飾らない方のようだけど、武術の腕も飛び抜けていらっしゃるみたい。あの宮殿での戦いでも突入部隊に選ばれ、混乱の中でエーディトを救ってくださったくらいだもの。
まだ若いのに中隊長に昇進、上の方の覚えも良いみたい。これでエーディトも幸せになれると、私も大喜びしたものだわ。
とはいえ活躍目覚ましいジャンさんに嫁ぐなら、親としても出来る限りのことをしないと。私たちは没落騎士家で現在は従士階級だけど、ジャンさんは出世頭というべき方だものね。
結婚式でも上役や先輩格の方がお見えになるでしょうし、エーディトの同僚の皆様は王宮侍女。そういった方々なら、他所の結婚式も沢山ご覧になっているでしょう。私たちはともかく、ジャンさんに恥を掻かせるわけにはいかないわ。
そこで私は、ある方に相談することにしたの。
◆ ◆ ◆ ◆
「遅くに申し訳ありません」
私が訪ねたのは、仲人をしてくださるジョスト男爵の公館。目の前には主のジョーゼフ様と夫人のスザンナ様がいらっしゃる。
ジャンさんやディートリッヒが所属する東門大隊の大隊長が、ジョーゼフ様。その御縁で仲人となってくださり、困ったことがあれば相談して欲しいと先日の顔合わせでお言葉をいただいたの。
言われるままに頼るのは恥ずかしいけど、他に方法がないのも確かだった。
アマノ王国の上流階級の生活は、上の方々の多くがいらしたメリエンヌ王国風。だけど、旧帝国人の私たちには馴染みがないし知らないことも多い。建国してからようやく半年だから、日常のことはともかく結婚式のようなものまで詳しくないものね。
そこで私は寮監の仕事を終えた後、ジョスト男爵と奥様のお知恵を拝借すべく伺ったのよ。
「なんの。早速のご来訪、嬉しい限りですぞ」
「ええ、遠慮など無用です。式まで時間もありませんし」
夜も更けているというのに、ジョーゼフ様とスザンナ様は笑顔で応じてくださった。顔合わせのときも感じたけど、とても気さくな方々だわ。
「十二月中というのは、少し早すぎましたかな?」
「いえ、娘も早く嫁ぎたいと申しておりますので」
心配げなジョーゼフ様に、私はエーディトも望んでいることと応じた。……本当は娘より、私の方が急いているのだけど。ここまで来たら、やっぱり早く晴れ姿を見たいわ。
それはともかく、あまり時間がないのは確かだった。
式の日取りはジョーゼフ様も交え、十二月中に済ませてしまおうとなった。お互いの仕事の予定から考えると、それが一番良いの。
メリエンヌ王国など西の国々の例に倣い、アマノ王国も新年の祝賀から一週間ほど各種の行事が続く。そしてジャンさんは王都守護隊でエーディトは王宮侍女だから、忙しくて時間が取れないでしょうね。
そこで間を空けるより先に済ませてしまおうとなったの。
「そうですね。ピエール中隊長は軍人、それも優秀な方ですもの。何かあれば一番に声が掛かるのは間違いありませんわ」
スザンナ様は夫が軍人だから、そういうことも多かったのでしょう。
先日の顔合わせで、スザンナ様が私より少し年長、ジョーゼフ様が更に何歳か上とお伺いしたわ。お子様は既に成人され、メリエンヌ王国の騎士様に嫁いでいらっしゃるの。
それだけ長い間には何度も突然の出陣があったはず……。何しろジョーゼフ様とスザンナ様のご出身であるフライユ伯爵領は、旧帝国との戦いの最前線だったから。
「ええ、ですから私も早くにと望んでいますが……」
「花嫁の衣装が、というわけですな」
流石は大隊長を務めるお方ね。ジョーゼフ様は私の悩みにお気付きだった。
やはり、この方たちを頼って良かった。そう思いながら、私は抱えていた悩みを言葉にしていく。
◆ ◆ ◆ ◆
騎士や従士の家だと花嫁衣裳は母から娘へと受け継ぐことが多い。これはメリエンヌ王国なども同じみたいだけど、貴族でも上級でなければ意外と倹約しているの。
でも帝国風の衣装は、今のアマノ王国にそぐわないと思う。特に私のような普通の騎士家だと、花嫁衣裳も木綿だから尚更ね。
この辺りは帝国だったころから、衣類は麻や毛織物が主流。今でこそ安価に輸入されているけど、木綿が高級品で絹なんてなかった。
だから騎士の娘くらいだと、花嫁衣装の生地は木綿で飾り気も少ないの。むしろ今エーディトが着ている王宮侍女服の方が、よっぽど晴れ着に合っているわ。
これではジャンさんの横に立った時に、みすぼらしい印象を受けてしまう。
「娘がジャンさんとお付き合いを始めてから、準備はしてきたのですが……」
幸い、貯えはあった。夫が仕えていたのは旧帝国だけど、国から遺族手当てが出たの。
帝国の代わりにこの地を治めるなら、亡くなった人や残された人への対応も必要。そう陛下や宰相様が仰ってくださったそうよ。
それに今まで下士官宿舎の寮監として働き、貯めたお金もある。帝国時代は神殿への喜捨が義務付けられていたため貯えは少なかったけど、これなら立派な晴れ衣装を新調できると思う。
ただ、私が詳しいのは帝国時代からのお店ばかり。新たに出来たお店も少しは知っているけど、一生に一度のことだから確かなところを選びたい。
そこで恥ずかしながら、ジョーゼフ様やスザンナ様の伝手を頼ることにしたの。
「こちらのお店だとリューメマン、メリエンヌ風でしたらラサーニュかモルガーヌが良いと思います」
スザンナ様が、早速ご贔屓を教えてくださった。既に半年以上もお住まいだから、それぞれでお仕立てになったそうよ。
リューメマンは帝国時代からのお店で、私も知っている。もっとも貴族向けが中心だから、あまり覗いたことは無かったけど。
後の二つはメリエンヌ王国から来た服飾店ね。ラサーニュがベルレアン伯爵領、モルガーヌが王都メリエに本店を構えていると、聞いてはいた。
とはいえ多少の噂を仕入れただけで、注文したこともない。だからスザンナ様が語ってくださる事柄は、とても参考になった。
「この三つなら自信を持って推薦できますわ。そうです、紹介状を書きましょう」
「いや、儂も良いところを知っておる。これはジャンとも縁がある場所でしてな……」
スザンナ様のお言葉に、何故かジョーゼフ様は首を振られた。そしてジョーゼフ様は、北区のドワーフに相談してはどうか、と勧めてくださったの。
私はスザンナ様のご贔屓が良いのでは、と思った。でもジョーゼフ様が一度足を運んでみるだけでも、と言われるので、北区に行ってみた。
するとジョーゼフ様が是非にと推された理由が分かったわ。
ドワーフの服職人ならドワーフ風の衣装だけ、と思っていたのは浅はかだった。
ドワーフのお針子さんたちは、メリエンヌ風の衣装でも本家本元に劣らぬ腕。しかもエーディトを一度採寸しただけで、見事なものを仕上げてくれたの。
それにドワーフの皆さんはジャンさんに一目置いているようだった。『ジャンさんのお嫁さんなら』と腕を振るってくれたわ。
帰りの馬車の中で、私は昔を振り返っていた。夫が生きていたころ、そして私の娘時代。特別な衣装を胸に抱いているから、感傷的になってしまったのね。
本当に良い世の中になったと思うわ。出来れば夫にも見せたかった……いえ、私の目を通して見てもらおう。エーディトの結婚式、そして先々のディートリッヒのときも。
でも、もしかすると夫は既に生まれ変わったかも。新しい神殿では、闇の神ニュテス様が輪廻転生を司っていると教わった。
もし叶うなら、ジャンさんとエーディトの子として生まれ変わってほしい。ディートリッヒの子でも良いわね。通りの向こうに大神殿が見えたからだろう、私はそんなことを考えていた。
◆ ◆ ◆ ◆
12月5日は華姫セレスティーヌ様の誕生日で、しかも王子リヒト様が誕生して一ヶ月だ。そのため街は祝賀気分、お祭り騒ぎだった。
パレードとか街でのイベントはないんだが、王家からの振る舞い物や公衆浴場などの無料開放がある。しかも割引セールをする店には国が補助を出すから、ますます大賑わいだ。
そんなわけで王都の通りはどこも人で溢れ、店は買い物や飲み食いをする客で一杯なんだ。
もっとも俺ジャン・ピエールは大隊本部で勤務中、残念ながら楽しむ側じゃなかった。
これは俺や俺の小隊の出身者が、魔力無線通信機の扱いに慣れているからだ。今は全面的に使っているが、それでも開発時に試験運用した俺たちに勝るところはないらしい。
俺に地球で生きていたころの記憶があり、通信という概念に馴染んでいるのも大きいんだろう。通信機を用いた人員配置や状況把握、適宜の指示とかね。
ただし今回に関しては、俺が当番となった理由は通信機だけじゃなかった。
「事件といっても酔っ払いの喧嘩くらいだけどな……まあ、これも結婚式のためだ」
「すみません……」
俺が呟くと、副官のディートリッヒことディーターが頭を下げる。
王都守護隊の大隊には五つの中隊がある。しかし早番、日勤、夜勤の三交代とシフト明けに休暇があるから、同時に勤務しているのは交代時間付近を除けば一個中隊のみだ。
しかし俺は今月の27日に結婚するし、そのときは前後も含めて多少の休暇をいただく。そこでシフトの調整が入ったわけだ。
今ごろ本来この時間帯を担当するはずだった中隊長は、街で飲み食いしているだろう。それとも奥さんや子供を連れて家族サービスかな?
「お前が謝ることはないだろう。それに王都は平和そのもの、喧嘩以外は落とし物や忘れ物、それに迷子といった程度だ。少し暇すぎるくらいだな」
「だからといってウロウロして良いわけじゃありませんが……」
俺が不謹慎めいたことを口にしたからだろう、ディーターが困ったような顔をした。とはいえ最初のころのように不満を顕わにしない辺り、だいぶ俺のやり方に馴染んできたようだ。
「これも役目のうちだよ。神殿からの応援だぞ? 礼くらいしなくちゃな」
俺は敢えて真面目な顔と声で応じる。
今、俺とディーターは臨時の迷子預かり所へと向かっている。迷子の世話役として、神官たちが来ているんだ。でも任せきりは悪いから、多少は肩代わりをしようってわけだ。
「飽きたから子供と遊びたいだけじゃないですか? そんなに急がなくても、来年の今ごろになれば幾らでも楽しめますよ」
やっぱりディーターは随分と丸くなったようで、冗談で返してくれた。
ディーターは責任感が強いから、早く妹に良縁をと気にしていたんだろうな。でも肩の荷が下りたからだろう、ここのところ笑顔が増えたような気がする。
「結婚式でお世話になるからだよ」
つい先日、俺は東区の神殿に結婚式の申し込みに行った。そして俺たちの結婚式は12月27日と正式に決まった。
ほぼ一ヶ月前の申し込みで大丈夫かと案じていたが、空きはあった。受付をしてくれた神官によると、結婚式は東区全体で二日に一度ほどらしい。王都の全人口が九万人だから、まあそんなものなんだろう。
それに東区の神殿は一つじゃないから、重なった場合でも全てが埋まることは滅多にないそうだ。
もっとも今日みたいに特別な日は別だ。俺たちの式の近くでも、25日はシャルロット様の誕生日だから結婚式は受け付けないそうだ。それに元旦とか続く数日も行事があるからね。
「そうですね……しかし隊長、司式は大神官補佐のミリィ様って……フライユ伯爵領時代のご縁ですか?」
「ま、まあ、そんなところだ」
ディーターの問い掛けに、俺は少し焦りつつ答えた。
俺がニュテスさまの使徒だからって明かすわけにはいかない。となるとアマノ王国に来る前に知り合ったというのが無難だが、後でミリィ様と口裏を合わせた方が良いかもな。
ちなみにミリィ様だけど、結婚式の申し込みをした直後に大神殿から連絡があったそうだ。俺の結婚式の司式をするって……どこから聞きつけたんだろう?
双方とも上役に伝えているから、そちら経由で耳に入ったんだろうか。
ともかく準備は万端だ。実家の両親、向こうでの上役や同輩、知人に世話になった人。各所への連絡も済ませたし、近場の人には招待状も送った。
俺の衣装は第一礼装の軍服だから、改めて用意する必要はない。それに住まいも今の公館だから、そちらも大丈夫だ。
「さあ、子供たちの相手だ! お、あの人はお母さんか?」
迷子預かり所の前に、男の子を抱いた若い女性が立っている。どうやら迷子になった子と無事に再会できたらしい。それとも、あの男の子とは別の子を迎えに来たのかな?
エーディトさんも、ああいう感じになるのかな……なんてことを思ったからだろう、俺は知らず知らずのうちに女性を見つめていた。
「隊長、他所の女性に見惚れては困ります。私が用件を聞きに行きますから」
「あのな……ディーター」
がっくりと肩を落としてディーターを見送った俺だが、余計なことは言わずにおいた。君子危うきに近寄らずってね。
落ち着いたら、ディーターにも嫁さんを見つけてやるか。エーディトさんの後輩とか、どうだろう?
お読みいただき、ありがとうございます。
アマノ王国建国後、その王都アマノシュタットでの光景です。「その44」より後、創世暦1001年11月末から同12月上旬のことです。