その43 告白
ジャン・ピエール殿と対峙して確信した。このリヴァーレ・カバリェーロ……王宮守護隊に所属しているとはいえ、まだまだ未熟な自分が敵う相手ではないと。
しかし決闘を申し込んだのは私なのだ。勝てぬからといって退けはしない。
もっとも結果は予想通り……いや、予想以上に簡単にあしらわれた。
繰り出す拳は全て見切られ、とっておきの蹴りですら見破られ止められた。せめて一撃と必死に繰り出した大技も、あっさりと見抜かれ躱された。
それどころか私はジャン・ピエール殿の放った強力な蹴りを食らい、防ぐのに手一杯になってしまう。しかも情けないことに相手の姿を見失い、発見できぬまま衝撃を受け意識を失ったのだ。
気が付くと、そこは治療院の一室だった。
「目は覚めたか?」
声をかけてきたのはイナーリオ男爵、陛下の親衛隊長のエンリオ様だ。
厳しくも優しい声音の問いかけは、決して目覚めについてではないだろう。エンリオ様の全てを見抜くような金眼を見れば明らかだ。
「……はい、これ以上ないくらいに。あれほどの御仁と知っていれば……いえ、聞き及んだ逸話を素直に信じられなかった私の目が曇っていたのでしょう」
私はジャン・ピエール殿に、尊敬の念すら抱いていた。
肌身で感じた強さは、ジャン・ピエール殿が自分自身の力で現在の地位を掴んだことを証明している。彼が中隊長に昇進したばかりだというが信じられないくらいだ。仮に上に取り入ったり自身を売り込んだりする人物なら、もっと早くに昇進しているだろうし更に華やかな地位にいるだろう。
「そうだな。メリエンヌ王国から来た人々は、むやみに力を誇らない……むしろ謙虚ですらある。リヴァーレよ、そなたは伝え聞いたことを素直に信ずるべきだった」
エンリオ様は、何かを思い出すかのような遠い目をなさっていた。
もしかするとカンビーニ王国の獅子王城で、陛下と初めてお会いしたときのことだろうか。アマノ王国建国の前、まだ陛下がメリエンヌ王国のフライユ伯爵だったときの。
そのとき私はカンビーニ王国騎士の次男に過ぎず、陛下とお会いできたのは中央闘技場で行われた選抜の競技大会を終えた後、好成績を賞していただいた僅かな時間だけ。そのため他の宴はもちろん、神殿に転移を授かったときや海竜様がいらっしゃったときも、後で話を聞くのみだった。
しかしエンリオ様は歓迎の祝宴にも出席され、競技大会でも陛下たちのお側で説明役を担当されたそうだ。そのためメリエンヌ王国の方々、そして今はアマノ王国の中核を担う方々を、私などより遥かに御存じなのだろう。
「あのジャン・ピエールという若者も、典型的なメリエンヌ生まれの武人なのだろう。素晴らしい活躍をしつつも自らは誇らない……周囲が二つ名や称号で讃えても、まだまだ自分は、と謙遜するような……。
しかし時には実力を示してもらった方が良いこともあるな。特に我らのようなカンビーニ生まれ、自身をありのままに示し誇る者たちには……そうだろう?」
エンリオ様は、意味ありげな表情で私を見つめた。流石はエンリオ様、全て御見通しらしい。
「はい。ですが、これでジャン・ピエール殿を侮る者はいなくなるでしょう。並の王宮騎士では歯が立たない腕利きだと、明らかになったのですから」
私は一ヶ月少々前を思い出す。それは酒場でジャン・ピエール殿に決闘を申し込んだときのことだ。
酒場にはエンリオ様もいらしたのだが、既にジャン・ピエール殿を御存じのようだった。しかしエンリオ様は、彼が決闘を断ろうとしたのを押し留めた。
エンリオ様が決闘をすべきと仰ったのは、決して私の肩を持ってくれたからではない。それは雰囲気から理解できた。
ならば何故、と考えたとき……私は一つの結論に達した。
ジャン・ピエール殿を……あるいは彼のように謙虚な実力者たちの本当の姿を明らかにする。私のようなカンビーニ出身者、あるいは近い気風のガルゴン王国から来た者に、真実を理解する機会を与える。
それがエンリオ様の狙いだったのだと。
「ふむ……判っておったか。しかし、それで悪役を演じ切るとは損な性分だな。
ジャン・ピエールにも落ち度はあった。もっと早く婚約していれば『女をもてあそんでいる』などという噂が立つこともなかっただろうに……」
酒場でエーディト嬢の兄上が案じていたと、エンリオ様は教えてくださる。そして私が憤慨したのも理解はできる、と言ってくださった。
「私の見る目が無かったが故、彼に恥をかかせたのです……この程度の償いはすべきでしょう。もっとも私は本気で戦い、そして敗れただけですが。
ともかく、これで安心してエーディト嬢との仲を祝福できます。とはいえ二人からすれば私など、とんだ道化……静かに遠くから祝いますよ」
微笑むエンリオ様に、私は頬を染めつつ言葉を返した。するとエンリオ様は、更に笑みを深くする。
「まだ若いのだ、それほど気に病まずとも良い。なにしろ儂など、この老齢で我が子の腕を見誤ったのだからな。
……メグレンブルク伯爵アルバーノか。あの悪童が随分と出世したものよ」
エンリオ様は照れくさそうな表情をしていた。
長男のジャンニーノ様は王都カンビーノ守護隊司令、そして次男のトマーゾ様は獅子王城の守護隊長。堅実に務める上の二人とは違い、三男のアルバーノ様は若いころ奔放だったと伺っている。
しかも二十年も行方不明になっていたのだから、エンリオ様もアルバーノ様と再会されたとき喜びつつもお叱りになっただろう。そのためアルバーノ様が伝説的な力量を身に付けられたと看破できなくとも、無理はないと思う。むしろ肉親だからこそ、溢れる感情で目が曇るのではないだろうか。
もっとも私ごときがエンリオ様に何か言えるわけもなく、思い浮かんだことは胸の内に留めたが。
「……話が逸れたな。ともかく、これで一件落着だ。ジャン・ピエールは一廉の武人だと明らかになったのだから。
そなたを好奇の目で見る者がいるやもしれぬが、それは精励あるのみ。己の蒔いた種でもあるしな」
「はい……ところでエンリオ様。ジャン・ピエール殿の最後の技、どのようなものだったのでしょう?」
エンリオ様の言葉に、私は静かに頷いた。そして私は、自身の意識を刈った技についてエンリオ様に問いかける。
ジャン・ピエール殿とエーディト嬢のことは心配いらない。二人をどうこう言う者など、もはや出ないだろう。もっとも一番の愚か者は私なのだから、とても口に出せはしないが。
◆ ◆ ◆ ◆
儂はジョーゼフ・ド・ジョスト。幸運にもアマノ王国で男爵の位をいただき、王都の東門大隊長を務めておる。
かつて儂は、メリエンヌ王国フライユ伯爵領の騎士であった。当然、旧帝国との戦争も経験したよ。あの二十一年前、創世暦980年の大戦も。
当時のフライユ伯爵アンスガル様、つまり英姫ミュリエル様の御爺様の指揮下、儂も奮戦した。もっとも儂など、まだ二十を幾つか過ぎたばかりの若手騎士でしかない。多少の戦果も挙げたが、血気盛んなあまり、しくじったこともある。
あのときは多くの命が散り、未帰還兵も大勢出た。しかし王領軍にベルレアンを始めとする伯爵領軍の力も借り、何とか守りきった。
それで安心されたのだろう、アンスガル様は大戦の二年後に隠居され、嫡男に爵位を譲られた。そう、あの敵に内通し領民を奴隷として売りとばした反逆者のクレメンだよ。
当初クレメンは領政に心を砕き、新たな産業をと奔走していた。おそらく、そこを付け込まれたのだろう……新たに雇った家臣サミュエル・マリュス、実は帝国の間者の誘いにクレメンは乗ってしまった。後の調査によれば、それが十一年前、創世暦990年ごろのことらしい。
そして同じころ、儂は領都シェロノワから西の都市シュルーズ近辺の村に駐在騎士として派遣された。
ああ、左遷だよ。そのころ領軍内で獣人族を蔑視するような者が増え、それを儂は咎めたのさ。今にして思えば、奴らは帝国の間者か同調者だったのだろう。
当時の儂は、そんなこととは知らないが、種族を理由に同僚を見下すような連中と一緒にいるのが我慢できなかったから、渡りに船だった。むしろ儂は喜び、家族を連れて移住したよ。
そして更に十年が過ぎて創世暦1000年12月、世にいう『二週間戦争』でクレメンが討たれ、新たな領主としてシノブ様が立たれた。
このときフライユ伯爵家の家臣は大きく減った。クレメンと共に自死した者もいるし、罪を問われて処刑されたり職を解かれたりした者もいるからな。そこで少しでも多くの人材が必要だと、儂も領都シェロノワへの復帰を求められた。
しかし儂はクレメンの陰謀を見抜けなかったことを恥じていた。そこで儂自身は前線に回り、シェロノワは娘婿に任せた。娘婿はシュルーズから近い男爵家の次男で婿入りしてからも短く、クレメンの事件と無関係なのは明白だからな。
そんなわけで儂は後顧の憂いなく戦い、帝都決戦にも加わった。そして旧帝都の駐留軍に残った儂はアマノ王国の建国に合わせて籍を移し、以降は王都東門を預かっておる。
アマノ王国の騎士となってから半年近く、儂は平和と日に日に発展する国や王都を満喫している。そのためか最近は、預かっている者達の育成に励むようになった。
特に一人の騎士が気になってな。そいつはジャン・ピエールと言うのだが、息子がいたらこんな感じなのだろうと可愛がっておるよ。
◆ ◆ ◆ ◆
俺ジャン・ピエールは大隊長室にいた。もちろん俺が一人でいるのではなく、上官の大隊長ジョーゼフ殿もいらっしゃる。
実は相談したいことがあり、休憩時間に押しかけたんだ。私用で相談するのも気が引けるけど、内容が内容だけに大隊長のご意見を伺いたかったんだ。
「……という状況でして。この場合、普通はどのようにすべきでしょう?」
「ハハハ、戦場で勇猛果敢でも、こちらではそうはいかんか。まぁ良い」
相談事というのは、エーディトさんへのプロポーズだ。つまり家と家とか、騎士として一般的にはどうすべきかってことだ。
俺も騎士家の生まれだけど、三男だったから跡は継げない。だから騎士あるいは騎士の嫡男だったら、どのような仕来りがあるか知らないんだよ。
同僚達も似たような次男三男か、傭兵から採用された者が殆どで、元々騎士の当主だったジョーゼフ殿のような例は少ない。それで確実な相手に、と思ったわけさ。
ともかく本人や家族が望んでいるとはいえ、けじめはキチンとしないとね。
「まず、エーディト嬢への贈り物は必須だな。それに結納も必要だろう……ただし結納はあまり奮発すると、相手がお返しで困るから程々にしておけ」
ジョーゼフ殿は、儀礼的な意味で必要なのは本人への贈り物と実家への結納だと語る。案外普通だが、並の騎士家くらいだとあまり派手なことはしないそうだ。
本人への贈り物は、装飾品の例が多いが種類は問わない。とはいえ気持ちを伝えるための品だから、それなりのものが必要だとか。ここでケチると、後々奥様同士で比べられたときに恥を掻くって。
「本人への贈り物は、ネックレスや指輪が良いんじゃないか? お前さんにはドワーフの友人もいるだろう? そういえば、陛下もセランネ村のネックレスだとか……」
「やっぱり、その辺りが妥当ですかね」
ジョーゼフ殿の言葉に、俺は笑みを浮かべる。
俺が知っている数少ない例は、シノブ様の場合だ。シノブ様はセランネ村でドワーフの名工が作ったネックレスを求め、それをシャルロット様に贈った。このネックレスが幾らだか俺は知らないし、そもそも見たこともないが、おそらくは最高級品なのだろう。
値段はともかくシノブ様の例が頭にあったから、俺はムハマさんに依頼をしていた。そのため今さら他が良いとか言われなくて安心したんだ。
「結納だが、ディーターは従士だから豪勢にしすぎるのも良くないだろう。アイツは真面目だから、もらった分をキッチリ返そうとするだろうからな」
「彼は会食で良い、と言っています」
次の結納品だが、こちらはエーディトさんの兄で俺の副官でもあるディーターことディートリッヒ・アインスバインに訊いてはいる。
ディーターは、後日どこかで会食する程度で良いという。今のアインスバイン家は従士階級だから、あまり大仰なことはしなくて良いそうだ。
もっとも、これは旧帝国の従士家なら、という但し書きが付く。アマノ王国は出来たばかりだから、多くのことはメリエンヌ王国を前例としている。なので、念のためにメリエンヌ王国の場合を確かめておくべきだと思ったんだ。
「なんだ、ちゃんと手を打っているじゃないか。もしや……」
「うっ……その……」
流石ジョーゼフ殿、気が付いたか……。実は、ここからが本題なんだ。
「ジャン・ピエール、お前さんは『どういう風に婚約を申し込むのが良いのでしょうか?』と言う」
「……どういう風に婚約を申し込むのが良いのでしょうか? ってジョーゼフ殿ぉ!?」
してやったりという表情で見つめるジョーゼフ殿に、俺は叫び返した。俺の言おうとしたことを一瞬前に言うんだもんな……この観察力というか推理力というか、それがあるから大隊長という職が務まるんだろうか……恐ろしいモノの片鱗を味わったぜ。
いや、今はもっと大切なことがある。そう、俺はプロポーズについて、少しでも先達の助言をもらいたかったんだ。
一生に一度のことだし、場所や状況が悪いとエーディトさんを幻滅させそうだってね。小心者だと自分でも思うが……。
「……そうだな、儂の場合は食事の後、シェロノワの広場で星空の下だったな。家同士で既に決まっていたとはいえ、やはりお互いの気持ちがシッカリしていた……だから恥ずかしい言葉も、すんなりと言えたよ」
ジョーゼフ殿は真面目な顔になると、力強く優しい声で自身のときのことを教えてくれた。やっぱり心からの言葉っていうのが一番大切らしい。
「ありがとうございます! それで式のときですが……」
礼を言った俺は、式の際には仲人として参加していただけないかと伝えた。するとジョーゼフ殿は快諾と共に、後々のことも相談に乗ると言ってくれた。
◆ ◆ ◆ ◆
数日後、ジャン・ピエールとエーディト・アインスバインは夕食を共にした。そしてジャンはエーディトを侍女宿舎に送っていく。
王都アマノシュタットは治安が良いとはいえ、婚約した女性を一人で歩かせるようでは問題だろう。そのためジャンは毎回送っているし、エーディトも幸せそうにしているが常と変わらぬことでもある。
だが今回は、途中でジャンが大神殿に寄り道をする。
これにはエーディトも驚いたらしいが、何か予感するものもあったのだろう。彼女は僅かに頬を染めつつ婚約者の後に続いていく。
聖堂に入った二人は、聖壇の前に進み出る。そしてジャンは神像の前で月明かりが差し込む中、綺麗な装飾を施した箱をエーディトの前に差し出すと、こう言った。
「エーディト・アインスバインさん、ニュテスさまの御許に旅立つその日まで、私と人生を共に歩んでいただけませんか?」
ジャンは静かに箱を開ける。
現れ出でたのは、小振りだが紅玉で作られた一輪の薔薇の花……否、薔薇を模したネックレス。国王夫妻が薔薇園で愛を育んだという逸話からモチーフとしては一般的だが、ジャンの友人ムハマの苦心の作は立体的な美しさと緻密な彫刻による名品であり、別格と言うべき出来であった。
「はい……喜んで……」
青い瞳を涙で濡らしたエーディトは、手の中の宝飾に勝るくらいに頬を赤く染めていた。そして彼女は婚約者の胸の内に飛び込む。
涙と笑みを一度に浮かべたエーディトと優しく支えるジャンを照らすのは、窓から差し込む月明かりだ。そう、夜を司るニュテスの象徴である。
そしてニュテスの祝福なのだろうか、月光に照らされた神々の像は慈愛の表情で寄り添う二人を見守っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
アマノ王国建国後、その王都アマノシュタットでの光景です。
先頭部分は決闘が終了した直後、「その41」のすぐ後、創世暦1001年11月上旬のことです。
他は「その42」の後、同年11月中旬以降のことです。




