その41 戦い終えて
俺ジャン・ピエールは少々肝を冷やしていた。倒れ伏したリヴァーレ氏が起き上がらず、立会人を務めた軍務卿マティアス様が治癒術士たちを呼び寄せたんだ。
駆けつけた幾人かの男女が、リヴァーレ氏の状態を確かめたり回復魔術を掛けたりし始める。
俺の決め技は頭部への回し蹴りだった。相手が充分に身体強化をしているから強めに蹴ったが……やりすぎたか?
この世界の人たちは魔力で肉体の強化が出来るが、体の造り自体は地球人と同じだ。そのため脳に衝撃を与えたら障害が出てもおかしくはないし、最悪死亡することもある。強化で頑丈な体になっても、脳の構造までは変わらないから……。
「問題ありません! 気絶のみです!」
「念のため検査を行いますが、大丈夫かと!」
治癒術士たちの声に、俺も安堵の溜め息を漏らした。
蹴りは綺麗に抜けたから、衝撃も上手い加減で逃げてくれたらしい。どうやら軽度の脳震盪なんだろう。
こちらの世界には医療系の魔術があるから、頭に強い衝撃を受けた場合も後遺症は残りにくい。脳出血なども治癒魔術で対応できるんだ。もっとも異常を発見して適切な処置をしたら、だけど。
ちなみに理屈の上では、双方納得しての決闘だから何かあっても俺に責任はない。とはいえ、そう単純に割り切れる問題じゃないからなぁ。
「そうか……では、頼むぞ」
マティアス様もホッとしたようで表情を緩める。それに周囲にも安心が滲む声が広がっていく。
応急処置を終えたのだろう、治癒術士たちはリヴァーレ氏を担架に乗せて運んでいった。そしてリヴァーレ氏の介添人を務めた上官らしき人と若い王宮騎士も付き添って退場する。
王宮の治癒術士は優秀と聞いているから、任せておけば大丈夫だろう。ともかく、これで万事めでたし、だよ。
しかし俺はすぐに考えを改めた。周りの人たちが凄く興味深げな顔で見つめているんだ。やっぱり目立ってしまったか?
◆ ◆ ◆ ◆
一方の貴賓席でも、リヴァーレの無事が知らされ笑顔が戻っていた。
「頭の怪我は万一のこともありますし……でも無事で良かったですね!」
一際大きな歓声を挙げたのは、シノブと共に観戦をしていた英姫ミュリエルだ。彼女は治癒魔術を学んでいるから、余計にリヴァーレの状態が気になったのだろう。
「ああ。魔力波動は安定しているし、ルシールやカロルの弟子たちなら間違いもないだろう」
シノブは微笑みと共に大きく頷いた。どうやら彼は、ミュリエルを安心させようとしたらしい。
もっとも王宮の治癒術士たちが有能というのは事実である。ミュリエルの師でもある女治癒術士ルシールと彼女の助手カロルの指導で、『白陽宮』の医療技術はエウレア地方でも群を抜いているからだ。
「その……シノブ様、シャルお姉さま。結局どういうことなのでしょうか?」
華姫セレスティーヌは首を傾げていた。
メリエンヌ王国の王女として生まれたセレスティーヌは、極めて大きな魔力を持っている。しかし彼女は地水火風の四属性の魔術は得意としているが、身体強化の素質は普通の騎士と同程度であった。
そのためセレスティーヌは、ジャンの決め技の詳細までは掴めなかったようだ。
一方ミュリエルは、ある程度だが理解しているようだ。彼女は治癒魔術だけではなく身体強化の才能も持っており、アミィから教わった『アマノ式魔力操作法』で磨いてもいるからだろう。
「最後の回し蹴りですね……」
戦王妃シャルロットが説明を始める。どうも彼女は、セレスティーヌだけ蚊帳の外というのを嫌ったらしい。
「まず、リヴァーレの『猛虎天昇』と『牙落とし』は、マリエッタの説明で分かったと思います。それまで彼は拳のみ、基本は水平方向の攻撃でしたが、そこに上下の揺さぶりと足技を加えたのです。横を印象付けておいて突然の奇襲で決着、という考えだったのでしょう。
しかし相手を翻弄するために出した跳躍は……実力が近ければ通用したでしょうが、この場合は悪手でした。ジャンは着地の一瞬を突き、拳技『閃光』による一撃を加えたのです」
シャルロットは、まず決め技までの流れから語り出した。
耳を傾けるセレスティーヌも、そこまでは何となく察していたらしい。最初の拳技中心の攻撃と後の跳躍や足技も交えた攻撃は全く異なるから、奥の手を出したというのは見ていれば見当が付く。
そして回し蹴りの直前に出したジャンの突き技、リヴァーレの動きを止めた一撃。これも途中はともかく拳が決まり相手を吹き飛ばした瞬間は、殆どの者が見て取れたはずだ。
ただしセレスティーヌは、そこからに疑問があるらしい。
「続けてジャンが出した跳び蹴りですが、僅かな助走にしては威力があったようですね。おそらく瞬間的にかなりの強化をしたのでしょう。
一方のリヴァーレですが、体勢を崩した直後だけに両腕で防ぐのが精いっぱいだったようです」
「その後ですが、どうして後ろに回り込まれて気が付かなかったのでしょう?」
シャルロットが一息入れると、セレスティーヌは決め技に繋がる流れについて問うた。
貴賓席は決闘の場から少し離れているから、全体の動きを充分に把握できた。もちろんジャンが飛び蹴りに続いて後方宙返りをし、更に低い姿勢で相手の後ろに移ったことを含めてである。
しかし、それだけ派手な動きをして判らないものだろうか、とセレスティーヌは思ったのだろう。
「それはリヴァーレがジャンの術中に陥ったからです。私たちは横から見ているから容易に分かりますが、至近では違います。ジャンは相手から姿が見えなくなるように立ち回ったのです。
……まず、リヴァーレに腕を交差させて視界を封じます。続いての宙返りは派手に見えますが、あれは蹴り足でリヴァーレの腕を彼の顔に押し付ける意味もあったのでしょう。
その結果リヴァーレは更に時間を失い、逆に着地したジャンは低い姿勢から死角への移動を可能にしたわけです。ここでも瞬間的に相当の強化をしていたようですが……」
説明を終えたシャルロットは、夫へと顔を向けた。どうやら彼女は魔力波動について、シノブの意見も聞いてみたいようだ。
「その通りだよ。あの一瞬、ジャンは瞬発的に部分強化を行った。だから瞬時に背後まで跳べたわけだね」
「そうだったのですか……ようやく理解できましたわ!」
シャルロットに続くシノブの説明を受け、セレスティーヌは大きく顔を綻ばせた。そして彼女は再び視線を前へと転じ、勝者となったジャンを拍手で称える。
更にミュリエルやシャルロットも同じように祝福をし、貴賓席は言葉の代わりに賞賛の音で満ちていく。
──でも、実際の効果と感じる魔力に少し違和感があるんだよね……アミィたちはどう思う?──
シノブは両手を打ち鳴らしながら、密かに質問を思念に乗せた。どうやら彼は、ジャンの特殊性を察しつつあるらしい。
──特殊な加護を得ている可能性はありますね──
──私もちょっと指導したんですよ~──
アミィとミリィは、ジャンが神々の長兄ニュテスの加護を受けていると知っている。しかし彼女たちは、ニュテスが現時点では公開を望んでいないことも理解していた。
そのため二人は曖昧な返答のみに留めたようだ。それは共に並ぶタミィも同様らしく、彼女も黙したままである。
神々はシノブに多くの助けを送るつもりはないらしい。既に五人もの眷属がいるのだから、これ以上はシノブのためにならないと思っているのだろう。
そのため各地にいるはずの地上監視役の眷属たちも、シノブの前に姿を現すことはない。そこで神々がジャンの件を明らかにせよと示すまで、同じ扱いにしようとアミィたちは決めたのだろう。
──そうか……なら、しばらくは静かに見守ることにしようか──
どうやらシノブは、アミィたちの意図をおぼろげながらも感じ取ったようだ。彼は僅かに微笑むと、思念での会話を終わりにした。
◆ ◆ ◆ ◆
決闘に勝利した俺ジャン・ピエールだが、上官の東門大隊長ジョーゼフ殿と部下のディーターの側に移動していた。そして俺はディーターに預けていた『無形』と『夜闇』を受け取ると、そそくさと訓練場から立ち去ろうとする。
しかし一人の王宮騎士が、俺を呼び止める。
「お待ちください、勝者であるジャン・ピエール殿に陛下からのお言葉があります。供の方々も同道お願いします」
誘う騎士は、俺が付いてこないとか思っていないようだ。
そりゃあ主君が褒めてくれるわけだし、家臣としては喜ぶべきことだ。しかし長居してニュテスさまの加護がバレたら……マズすぎる。
とはいえ国王自ら声を掛けてくださるというのに、断われるはずもない。俺、ジョーゼフ殿、ディーターの三人は、王宮騎士の先導で観覧席まで歩んでいく。
そして俺たち三人は膝を突き、臣下の礼を取ろうとする……が、シノブ様が先に制した。
「そのままで……堅苦しいのは無しにしよう。
おめでとう、ジャン・ピエール中隊長。技も策も見事だったよ。ジョーゼフ大隊長、素晴らしい部下を持ったね。付き添いのディードリッヒ君もお疲れ様」
「……はぁ」
俺は思わず間抜けな声を漏らしてしまった。シノブ様の気さくな言葉に、毒気を抜かれてしまったんだ。
本来なら無礼極まりないんだろうけど、俺は賞賛への返答をするでもなくシノブ様の笑顔を見つめているだけだった。
「ジャン、やっぱりガルック平原からの勇士だね。素手の格闘も抜群の腕前だ。これもベルレアン時代からの修行の成果かな? あちらにいた時は北門所属だったと聞いているが……」
「いえ、自分は凡庸です。今ここにいるのも指導していただいた方々のお陰です。もちろん戦王妃様からの御薫陶もありましたが……」
俺には自覚がある。ニュテスさまの加護により魔力量こそ多いが、武術の天性には恵まれていなかった。それ故、武術に関しては愚直な訓練だけが強くなる手段だった。
子供のころですら、贅沢な悩みだとは思っていた。多くの人は魔力も少ないのだから。しかし身近に才能溢れる人々がいるだけに、どうしても比べてしまったのは事実だ。
「凡庸とは言えないでしょう。導かれるだけの何かがあり、それを指導者たちも伸ばそうとしたはずです。そして貴方は彼らの期待に見事に応えたのです。
……己の努力と成果を誇りなさい、ジャン・ピエール。その矜持は騎士の根源であり、道なのです。そして、いつか受けた恩を返しなさい……次の世代に。貴方なら、できるでしょう」
シャルロット様の言葉に、俺は胸を打たれたような気がした。
多くの人の指導を受けたからこそ誇れと。それは指導した人たちの誉れであり、持つ者が誤らねば矜持は進むべき指標となるのだと。そして、ジャン・ピエールは矜持で道を誤る者では無いと。
俺は無言で頭を下げる。だから、嬉しくて目が潤んだのはバレていないはずだ。
「そうだね。それに君なら神々の定めを守り通すし、多くを助けるだろう……なにしろ、あの『岩竜の騎士』なんだからね。
……さて、わざわざ来てもらったのは話を聞くためだけじゃない。ジャン、勝者への褒賞だけど何か希望はあるかな?」
シノブ様が唐突に話題を変えた。というか、これが本題なんだろう。
「……ぶしつけな願いではありますが、アマノ牛の肉とヤマトから来たという調味料をいただけないでしょうか?」
しばらく俺は考えたが、結局は食材にした。
アマノ牛は街だと入手が難しい。産地が王都から800km近く離れているから当然だが。
そして日本に相当する国、ヤマトには醤油や味噌がある。これはメリエンヌ学園に留学しているヤマトのエルフたちも持っているそうだ。研究所の長であるミュレ先輩が言っていたから間違いない。
「やっぱり『岩竜の騎士』だね。でも、お金や地位は良いのかな?」
どこか面白そうな表情で、シノブ様は訊いてくる。
さっきもシノブ様は『岩竜の騎士』って言っていたけど……あの新聞連載小説のお陰で、俺のイメージは高潔な武人とかになっているんだろうか?
でも、それなら好都合だ。欲はないけど物好きな武人って線で押し通すか。アマノ牛はともかく、醤油や味噌をって理由は言えないからな。
「金子は戦の褒賞と給金で充分足りております。それに、実績の伴わない出世は無用な軋轢の元になりますゆえ。
それに私は少々変わり者でして、入手の難しい食材の方に興味があるもので……」
どうやら成功したようだ。俺を見るお歴々の表情は、感心したようなものとなる。食べ物に拘ったからだろう、微笑ましさ混じりな気もするが、それは気が付かなかったことにする。
「アマノ牛は王宮に納入されている以外だと少ないだろうね……もう少し流通改善が進んだらともかく。ところで……ヤマトの調味料って味噌と醤油かな?」
「あ、はい……たしか」
俺は敢えてちゃんと覚えていないふりをする。
研究所経由で噂になってもおかしくはないが、あまり早耳で不審に思われるのもマズイだろう。そこで詳しく知らないことにしておいた。
「でも食材のままで良いの?」
「はい、自分は趣味で料理もしていますので」
問うたシノブ様は、俺の返答に微笑みを浮かべる。
このときは理由が分からなかったが、後々エーディトさんに聞いたらシノブ様も時々シャルロット様たちに手料理を振る舞うそうだ。
「分かった、後で届けさせるよ……いや、面白い話が聞けて良かった。これからも頼むよ」
シノブ様の言葉に、俺とジョーゼフ殿、ディーターの三人は揃って頭を下げる。そして今度こそ俺は訓練場から立ち去った。
とりあえずは、切り抜けたらしい……でも、最後のシノブ様の言葉。『これからも頼むよ』っていう声が、何故か俺の胸に長く響いていた。
まさか、バレたんじゃないだろうな? そうやって思い起こすと、なんとなく意味深な表情だった気もするけど……少し、大人しくしておこうかな?
お読みいただき、ありがとうございます。
アマノ王国建国後、その王都アマノシュタットでの光景です。「その40」の直後、創世暦1001年11月上旬のことです。