その37 悪い噂
十月に入り俺ジャン・ピエールは辞令の通り昇進し、東門大隊第二中隊の中隊長として勤務し始めた。
事前の研修で理解していたが、訓練以外は主にデスクワークというのは辛い。休暇を申請した隊員のシフト調整や報告書のまとめなど、なかなかに大変だ。
俺は元が現代日本人で働いてもいたから、事務仕事には耐性がある。しかし今までは現場の小隊長で、体を動かす方が多かったからなぁ。それに今の俺は二十一歳になったばかり、体力だって有り余っているし。
「隊長、各区の事件報告の回覧と今週の新聞です」
小隊で部下だったディーター……ディートリッヒ・アインスバインが書類と新聞を差し出す。中隊長付きとして一緒に異動したんだ。
前任者は前中隊長に付いていったけど、知らない間に引き継ぎをしていたようだ。普通なら隊長自身が側付きになる隊員を選ぶんだけど、大隊長のジョーゼフ殿が決めたって。しかも俺を驚かそうと、わざわざ伏せていたそうだ。
風格のある外見からは意外だけど、ジョーゼフ殿は結構お茶目なところがあるんだよ。相手の発言の先を読んで驚かせる、とかな。
もっともジョーゼフ殿の仕込みだけでもない。小隊の連中がエーディトさん……ディーターの妹との件もあって気を使った結果らしいのだが。
エーディトさんといえば、あの後も度々二人で食事に行っている。
とはいえ俺はシフト勤務の守護隊勤めでエーディトさんだって夜勤もある王宮侍女、お互い休みを合わせるのが難しい。そこで何日かに一度、仕事上がりに待ち合わせをしている程度だけど。
そんなことを考えつつも、俺は新聞を広げる。
最初に開く場所は、いつもと同じ。個人的に気になる場所があるんだ。
◆ ◆ ◆ ◆
『その日、駆け抜けた三騎は新たな時代を呼ぶ新風だったのかもしれない』
新聞の連載小説を読み終えると、俺ジャン・ピエールは微妙にムズ痒い気分になって机に突っ伏した。
何せこの小説のタイトルは『岩竜の騎士』、俺をモデルにしているんだ。モデル料ってことで新聞をタダでもらえるのはありがたいんだけど……知っている人には早々にバレて色々からかわれているからなぁ。主人公の所属や経歴は色々いじっているけど、俺を知っている者なら充分判る程度の変更だから。
新聞は建国当初から週一で定期発行されている。
特別な行事や事件があったら号外が出るが、まだ日刊じゃない。たぶん、編集や印刷とかの事情もあるんだろう。それに紙も現代日本ほど安価じゃないし。
つい先日までの新聞は、主に騎士や貴族、商人あたりが各地の情報を得るのに購入する程度だった。でも最近は、この連載小説とか様々な努力の甲斐もあって、少し普及してきたらしい。
最初の新聞は瓦版みたいなスタイルだったけど、徐々に枚数が増えていった。そして印刷技術が向上したからだろう、小説だけではなく漫画のようなものまで連載され、随分と親しみやすくなっている。
そのうち一面くらいはカラーになったりして。手間がかかるから多くはないけど、こっちにも多色刷りはあるんだ。もっとも今は高価な本くらいだから、新聞に使うのは随分先だろうけどね。
『継嗣の暗殺未遂という大事件に、領内は激しく揺れ動いた。しかし同時に人々は、最悪の事態を防いだ旅の魔術師に大きな希望を感じてもいた』
俺は再び紙面を眺める。
この連載小説は、主人公である『岩竜の騎士』ことジョン、王都勤めの軍人が過去を振り返る形で進んでいく。そして今回の回想部分は、シノブ様が初めてセリュジエールに来たときなんだ。
ヴァルゲン砦からのベルレアン北街道でシャルロット様たちが暗殺者の一団に襲撃され、シノブ様とアミィ様に助けられる。今ではメリエンヌ王国やアマノ王国どころかエウレア地方の誰でも知っているだろう事件だね。
で、新聞の発行元が国自体、しかもアマノ王国にはベルレアン伯爵領から来た者も多い。そのため内容が活劇仕立てという点を除き、かなり事実に即している。だから俺も、良く取材したと毎回感心するくらいだ。
もっとも細かいこと、特に主人公であるジョンについては脚色も多い。
たとえば前回、数年前のシャルロット様が出る場面だ。兵士の訓練に混ざったシャルロット様が片っ端から相手を叩きのめすがジョンは必死に食らいつき、負けるけど一目置かれるって内容なんだけど。
これが主人公の必死な様子に戦王妃様の貴重なエピソードが相まって、かなり好評だったそうだ。……実際には、もうちょっと頑張れって程度だったんだけどなぁ。
◆ ◆ ◆ ◆
仕事を終えた俺は、ディーターと共に酒場『旭日の歓待』に行った。今日も今日とて酒場での夕食ってわけだ。
中隊長になった俺は独身寮から戸建ての公館に移り、その公館はミッターマイヤー夫人という中年婦人が通いで管理してくれている。だけどミッターマイヤー夫人にお願いしているのは掃除が主だった。まだ使用人がいる生活になれていないから、炊事洗濯は自分でやっているんだ。
とはいえミッターマイヤー夫人がいてくれて大助かりだ。つい先日、番犬……正確には番狼のノワールがウチに来たからな。俺は夜勤もあるから、餌やりしてくれる人がいないと飼うのも難しい。
そうそうミッターマイヤー夫人って、ノワールが狼だって説明しても全く動揺しなかった。これなら狼どころか人狼でも平気そうだと思ったよ。
もっとも、こっちでは人狼なんて聞いたことがないけどね。狼の獣人はいるけど。
……話は戻るが、相変わらず俺は外食が多かった。そして一人で食べるのも詰まらないから、こうやって誰か誘ったりする。
そんなわけで今日も俺はディーターと酒盛りをしているんだが、周囲の喧騒と一緒に隣の男たちの声が耳に入る。
「アマノスハーフェンの海の幸、また食べたいなぁ……。先月の東域探検船団出航式典、運よく応援に加われたけど……」
「あのときは良かったな。しかし、今後は滅多に無いだろう。向こうにも常駐の商務担当を置いたからな」
どうも隣は商務か何かの内政官らしい。雰囲気からすると俺と同じ外国出身、おそらくは海がある地方の生まれだろう。
「そうだよなぁ。公務なら磐船で運んでもらえるが、私用なら街道を何百kmも旅するからなぁ……」
「ああ。二日や三日休暇を取ったくらいじゃ、往復すらできん」
現在のところ急ぎの移動手段は、神殿の転移、竜が運んでくれる磐船、最近登場したばかりの飛行船の三つがある。しかし、どれも気軽に使えるとは言い難い。
まず神殿の転移だが、帝国打倒の最中ならともかく今だと要人中心で並の内政官や軍人には縁がない。かなり高位の神官でも一度に運べるのは十数人で、しかも長時間の祈念が必要だから当然だろう。シノブ様やアミィ様たち、それに竜の皆さんは一瞬で十倍以上も転移させるらしいけど……。
そして磐船だが、これも公用の移動や輸送が中心で旅客には使われていない。あくまで岩竜と炎竜の皆さんの協力があってで、しかも彼らは合わせても十数頭で更に半数くらいは狩場の維持をしているそうだ。だから、そんなに便数も多くない。
最後の飛行船だが実験段階を抜け出したかどうか、というところだ。詳しく知らないが試作機が十未満、しかも一機あたりの乗員も十人から二十人らしい。
したがって旅行といえば従来通りに徒歩か馬車だ。蒸気機関車が誕生したけど、これも鉱山鉄道で使い始めた程度だからなぁ。
そんなことを考えつつ、俺は隣の会話に注意を向けていた。元日本人だから海産物は好きだし、何かの情報が入ればってね。
一方、ディーターは飯を食うのに忙しい。というか、たぶん海に興味が無いんだろう。旧帝国生まれだから、当然だが。
シノブ様がアマノスハーフェンを造るまで、海岸線は断崖絶壁ばかりで海に降りる道は無かったし、その海岸線も遥か東のイーゼンデック伯爵領だけだ。
そしてディーターは生まれてからずっと、ここの育ちだ。今も肉、パン、野菜、酒だけで満足そうにしている。しかし酒が少し多いようだが……俺と同じでデスクワークに疲れたのかな?
「鮮魚の輸送、無理かなぁ……」
「どうやって運んでくるんだ? アマノスハーフェンから王都まで700km以上あるんだぞ」
二人の会話は、輸送関連になっていた。
やっぱり問題はそこだよな。内政官らしき男たちが口にしているように、王都は海から遠い。
荷馬車の場合、一般な旅程は一日50km程度とされている。ちなみに大貴族や有名商人が使う高級馬車が激走しても一日200kmほど、普通の旅や輸送だと上限は半分程度だろう。
これでは王都まで生物を運ぶのは難しい。とはいえ地球と違って魔道具があるから、優れた保存技術もあるにはあるんだが……。
「冷蔵の魔道具を使って磐船や飛行船で……」
「魔力の消費が激しすぎるし、それほど輸送量も多くはできないだろ? それに充分な量を運ぶには、どちらも絶対数が足りない」
磐船は詰め込めば千人だって乗れるから、輸送力自体はある。しかし他にも運ぶ物は沢山あるからなぁ。
もう一方は噂でしか知らないが、聞いている範囲だと飛行船の積載能力はまだまだみたいだ。それに推進機関が魔力を使った蒸気機関、更に魔獣避けや魔力無線など魔道装置を多用している。これでは保冷用の装置に魔力を回す余裕はないだろう。
そもそもアマノ王国の人は海産物に馴染みがないから、食肉の輸送を望む人の方が多いんじゃないかな。ディーターもそうだが、魚は川魚で充分らしい。
「じゃあ、蒸気機関車で……」
「それこそ一朝一夕で線路を敷設できるもんじゃないだろ?」
俺も一番実現性があるのは列車だと思う。とはいえ彼らが言う通り、道は険しい。
これもアマノスハーフェンからだけを優先するわけにはいかないだろう。たぶん鉱山から、つまり山地から平地の方が先になりそうだ。鉱山鉄道の延伸だな。
「アマノ川を蒸気船で遡って……」
「途中に滝があって無理だ。一応、迂回用の運河の計画はあるが、こっちも数年がかりの計画だからな」
船も有望視はされている。国一番の大河アマノ川は遥か東の源流から王都の脇を通過し、そして河口がアマノスハーフェンの近くだから。
でも、問題は滝なんだよな。領境の辺りはどこも落差の激しい滝だから、今は一旦陸揚げして迂回しているそうだ。それに上流へと遡るなら、速度もあまり期待できない。大量輸送には向いていそうだけど。
「陛下のお力なら数日で終わりそうだけど……」
「駄目だ、建国初期の街道整備でずいぶん頼ったんだ。この先は俺たち国民が努力すべきことだぞ」
確かになぁ。シノブ様の技は、大袈裟に言えば一種の劇薬だ。
たとえばアマノスハーフェン。シノブ様は高さ100m以上もある断崖を奥行き何kmか掘り下げ、逆に海には巨大な船を何十と着けられる埠頭を伸ばし、更に港を囲む防波堤まで造った。正直、人間の技とは思えない。まあ、実際のところ神の一族なんだけど。
そこまで派手じゃないけど、各地の街道も難所はシノブ様が魔術で切り開いた。それに河川も多少は手を加えたそうだ。
でも全部が全部シノブ様頼りって、俺たちの存在意義がね……ちょっと違うが『働かないで食う飯は美味いか?』ってヤツに似ているような。
「苦労する分、うまくいったときの喜びは大きいか……」
「そういうことだ。今日のところはオオマスの塩焼で我慢しておけ」
オオマスっていうのは、この辺で取れる川魚だ。アマノ川やアマノ湖のように大きな河川や湖に棲んでいるからだろう、川魚独特の臭みはしない。
他にも山奥だと鮎っぽいのがいたりして、それは同じく美味らしい。だが、やはり王都で目にすることはない。
やっぱり、将来の流通改善に期待だな。早く海の幸が王都で食べられるようになったらいいのにな、と俺は彼らに共感する。
◆ ◆ ◆ ◆
「たいちょ~、きいています?」
唐突にディーターが語りかけてきた。真っ赤な顔で口調も怪しいし、随分と酔っているようだ。こいつ、俺が物思いに耽っている間に相当飲んだらしい。
「お、おう、なんだ?」
ここまで酔うのは珍しいな、と思いながら俺は応じる。ディーターは真面目というか堅物系だし、元の小隊でも若い方だったから飲みの場でも遠慮がちなことが多かったんだ。
「たいちょ~、早く妹を嫁にもらってやってくださいよ~。隊長なら安心して任せられるんですから~」
うぉ! 酔っているからか直球で言ってくるな……。信頼してくれるのは嬉しいが、ここまで真っ直ぐだと何というか照れる。
「い、いや、俺でいいのか? 俺より相応しい男がいるんじゃないか?」
「上を見たらキリがないです! でも、あいつが信じて、俺が信じた隊長ほどふさわしい人はいないですよ! それに婚約だけでもしないと、『アイツは女をもてあそんでいる』なんて言う連中が!」
俺の照れ隠しの言葉を、ディーターは真に受けてしまったようだ。酔いで染まった顔が更に赤くなり、声も大きくなる。
とはいえ俺の返し、よく考えると失言だよな。付き合っているのに、他の男が良いかも、とか言っちゃったわけだし……。しかし前世が現代日本人の俺としては、十六歳の嫁さんは若すぎるだろってなぁ。第一、まだ出会ってから二ヶ月経っていないし。
こっちだと騎士家以上なら親が結婚相手を決めるなんて普通だし、そういった場合は双方が成人……つまり十五歳以上なら早めに結婚させる。だから、それなりの身分があるのに婚約しないままなんて、何か問題があるって世間様は思うらしい。
「そ……それは初耳だなぁ」
先ほどとは別の意味で、俺は動揺を押し隠す。
もてあそばれているって噂はマズいだろ。俺はともかく、エーディトさんが可哀想だ。
俺は誠実な付き合いをしているつもりだし、それは神々にだって誓える。とはいえ、やっぱり早めにハッキリさせるべきなのか?
そう思っていると後ろから声をかけられた。
「失礼」
良く通る声は、初めて耳にするが聞き慣れたものではある。俺と同じ騎士や従士の家に生まれた、小さいころから軍人を目指して鍛えた者に多い声音だからな。
「あなたが東門大隊第二中隊隊長、ジャン・ピエール殿ですね?」
声をかけてきたのは、俺と同年代の精悍な男だった。
どう見てもイケメンで、更に育ちも良さそうだ。呼びかけの口調から何となく感じていたが、生まれは騎士家以上で間違いないだろう。それに王宮守護隊の制服が良く似合っている。
ちなみに初めて会ったと思うんだが、この青年軍人は俺をジャン・ピエールだと確信しているようだ。
もっとも俺たちは仕事帰りで軍服のままだから、少し詳しい者なら俺が王都守護隊所属の中隊長だって一目で判る。それに外周区の四つを合わせても中隊長は二十人しかいない。だから相手の年齢や種族、髪の色などを知っていれば、それで充分見当が付くだろう。
「あ、ああ、自分ですが……なにか?」
俺は目の前の凛々しい青年軍人から、何となく冷ややかな印象を受けていた。俺に対する反感というか、怒りのようなものだ。
そのためだろう、俺の返答は中途半端というか、相手の出方を窺うような口調になってしまった。
「自分は王宮守護隊隊員のリヴァーレ・カバリェーロと申します」
そういうと、青年軍人は手にした白いものを投げつけてきた。
これは、手袋!? 胸に当たって落ちた代物を、俺は反射的に受け止める。
「ジャン・ピエール殿、あなたに決闘を申し込む!」
そのときの俺は、どうせなら絶世の美人が決闘を申し込んでくれたら良いのに、などと考えていた。昔のシノブ様のように、シャルロット様みたいな男装の麗人が……とかね。
たぶん、一種の現実逃避をしていたんだろうなぁ……。
お読みいただき、ありがとうございます。
アマノ王国建国後、その王都アマノシュタットでの光景です。冒頭にあるように、創世暦1001年10月初め頃のことです。
以下に大まかな流れを示します。
創世暦1001年 9月25日 アスレア地方キルーシ王国の王都キルーイヴで反乱発生。
創世暦1001年 9月26日 シノブがキルーシ王国とテュラーク王国の国境に城壁を造る。
創世暦1001年10月10日 アマノ同盟大祭の一日目。武術や体術の競技会が実施される。
※今回のエピソードはアマノ同盟大祭の前。




