その30 再会
アマノシュタット中央区下士官宿舎前に、とある兄妹が並んでいた。
一人はディートリッヒ・アインスバイン。王都守護隊の兵士である。
もう一人はエーディト・アインスバイン。王宮に勤める侍女である。
「覚悟は出来ているな」
「で、出来ているわ!」
兄のディートリッヒに妹のエーディトが応ずる。
覚悟したという割に、エーディトは随分と緊張しているらしい。それにディートリッヒも何か改まった様子である。
遠目に見ても尋常には見えないらしく、道を歩く者達は二人を避けるようにして通っていく。
当然だが、どちらも下士官宿舎の住人ではない。アマノ王国で下士官とは小隊長で、ディートリッヒは平の隊員だ。エーディトは軍人ですらない。
とある理由で、二人が下士官宿舎の前で鉢合わせすることはあり得る。しかし、今日は別件である。
「では、行くぞ」
「ちょ、ちょっと待って!」
エーディトは兄を留めた。そして彼女は、自身の髪や服装を慌ただしく確認していく。
明るい栗色の髪、ダークブロンドとも表現できるエーディトの長髪は整っている。それに手入れも充分なのだろう、少女の豊かな髪は緩やかなウェーブを描いて流れ、夕日に煌めいている。
私服も王宮侍女を務めるだけあって、隙など存在しない。しかしエーディトは、それでも気になるらしい。僅かに小柄で細身な彼女は、外見に相応しい素早い動きで自身の装いを確かめていた。
「急なことだから、無理もないが……」
一方ディートリッヒは、どこか必死な妹に苦笑している。どうやら彼は、夕方からのことを思い出しているらしい。
この日の夕方、非番で休みだったディートリッヒのところに、エーディトが突然訪ねてきた。そして妹の話を聞いたディートリッヒは、自身の上官である小隊長ジャン・ピエールのところに彼女を連れて行くことになった。
奇縁というべき妹の話に驚いたディートリッヒだが、元々彼もジャンの様子を見に行こうと思っていた。ジャンは非番でも自主的な訓練を欠かさないが、この日は訓練場に現れなかったからだ。
いわばディートリッヒにとっては、ついでというだけだ。しかし彼も妹の気持ちを察してはいるらしい。
「……先に母さんのところに行くぞ」
ディートリッヒは待ちきれなかったらしい。彼は母のエーファのところへと向かった。そう、下士官宿舎の寮監は二人の母であった。
入館手続きをしにいったディートリッヒを、エーファは笑顔で迎えた。そして彼女は嬉しげな笑顔で高らかに宣言する。
「お母さんも一緒に行くわ! 案内は寮監の仕事だから!」
こうしてエーファも面会先まで同行することになった。そのため家族全員が集まった形となる。
余談であるが、ディートリッヒたちの父親は既に死亡している。彼はベーリンゲン帝国時代も文官で、しかも宮殿勤めだった。そのため帝都決戦の際に、彼は魔人に変えられ命を落とした。
そんなわけで現在のアインスバイン家は、ジャンの部屋の前に立っている者達で全てであった。
◆ ◆ ◆ ◆
その日、俺ジャン・ピエールは午後になってから起床した。
昨日の俺は夜勤明けにも関わらず、自主的に夜間巡回をした。その後、昼間に寝たけどやっぱり寝足りなかったみたいで……ぶっちゃけ寝坊した。
とりあえず、食事は朝昼兼でバゲットサンドをいくつか買って食べたくらいか。それから帰ってきてこまごまとした雑事を片付けたら、もう夕方になっていた。
(非番がつぶれたのも、あの殺人犯のせいだ……許すまじ)
そうそう、雑事を片付けている間にミリィ様の使いらしい人が来た。で、例の事件に関する情報を記した書簡を置いていった。
ミリィ様は俺の願いを聞いてくれ、事件の一端を明かしてくれたんだ。
しかし……げんなりする内容だった。
あの男は、神相手に悪魔召喚のようなことをやろうとしたそうだ。しかも使った魔法陣……召喚術は、この世界だと役に立たないらしい。
元となった術の召喚対象は、地球のある世界に接した異界にいる存在だという。要するに対象となる異界は、地球の天国や地獄に仙界などのようだ。
つまり地球で使う前提の術だから、こちらで役に立つわけがない。おそらくは異神が地球から持ち込んだ術だろうが、使えないから放置していたのかも。
それに異神は消滅したんだから、仮に使えたとしても意味が無い。被害者たちが可哀想すぎるぜ。
そんなわけで俺は少しばかり脱力してしまう。
こんなときは夕食でも食べて気分転換だ。そう思った俺は出かけようとしたが……。
「隊長、少々よろしいですか?」
珍しくディーター……部下のディートリッヒが訪ねてきたようだ。ちょうど良い、一緒に食事に出かけても……なんて思いつつ、俺はドアへと向かう。
「おぅ、なんか用か?」
ドアを開けて顔を出すと、ディーターとエーファさんがいた。
普段のディーターは、母親のところに顔を出すのを避けているらしい。だから揃っているのは珍しいんだけど……と、二人の後ろに見慣れない少女がいた。
まだ成人前後……つまり十五歳かそこらだろうか、美人というよりは可愛らしさが先に立つ感じの子だった。でも、子供っぽくはなかった。おそらく彼女は既にどこかで働いているのだろう、立ち姿からは洗練された印象すら受ける。
もっとも、堅苦しい感じではない。ブロンドに近い明るい栗色の髪は、ふわっとした感じでウェーブを描いて華やかさを添えているし、整った顔立ちも歳相応で親しみやすいように思う。青い瞳も綺麗だしな。
しかし、この子……何だか見覚えがないようなあるような?
「非番のところすみません。今日の訓練に出ていなかったようなので……」
ディーターって本当に真面目だなあ。俺は浮かぶ微笑みを強引に抑える。
でも、部下に慕われるのは素直に嬉しい。頬が緩んだのは、それも大きかったな。
「あ、すまなかった……私用で昨晩遅くてな。体調自体は問題ないから明日の勤務に差支えはないぞ」
うん? 一瞬、エーファさんと少女の表情が動いたような……まさか夜遊びしていたと思われたのか!?
しかし真実を明かすわけにはいかないからなぁ。俺はそしらぬ顔で押し通すことにする。
「そうですか、それならよかった。あ、あと、私用になるのですが……うちの妹が隊長にお願いがあるようで……」
あ~、後ろの子は件の妹さんか。
確かに見覚えがあるっていうか、エーファさんに似てるしな。優しげな顔や細身なところは、そっくりだ。ゆるふわ系といった感じの髪も同じ色で、ますます似て見える。それに気が付かないなんて、やっぱり徹夜明けで頭が回っていないのかも。
確か妹さん、王宮かなんかで侍女をやっているんだったか?
「ほぅ……で、お嬢さん、どういうご用件で?」
初対面だと思うので、好青年っぽく笑顔で応対する。あ、一応最低限の身繕いはしているからな?
「……あ、あの、その節はありがとうございました!」
……ふぁ!? やっぱり見覚えがあるのは勘違いじゃなかったのか?
しかし、どこで会ったんだ……俺は半ば固まりながら、必死で記憶を掘り起こそうとしていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
アマノ王国建国後、その王都アマノシュタットでの光景です。「その29」の直後なので、創世暦1001年9月3日以降のことです。