その29 闇の使徒 後編
王都アマノシュタット西区南住宅街の某所。とある家の前で、扉を叩く音がする。
家は周囲と同じ、代わり映えのしない二階家だ。前の通りも馬車が擦れ違えるほどで珍しくもない。要するに、どちらも有り触れている。
アマノシュタットは中心から東西南北の城門に向け、大通りが伸びている。そして西区の南住宅街とは西大通りから南側の半分に入る。
この辺りは王都を囲む城壁にも近いが、ゴドヴィング街道があるから結構な人気の場所だ。ゴドヴィング街道は西部に向かう国一番の大街道だから、交易商の使用人などが好んで住むらしい。
難点といえば、不在の成人男性が多いことだろうか。主が交易で留守にすることが多いから、どうしても妻子のみの家が増える。そのため日が落ちて幾らもしないにも関わらず、通りは意外なまでに静かであった。
「夜分すいません。このあたりで仕事道具を落としたのですが、ご存じありませんか?」
扉の前で、人の良さそうに感じる中年男性が抑えた声で訊ねかけた。すると心当たりがあったのか、中から家主らしき男性がノミを片手に姿を現す。
「ああ、これアンタのかい? ウチの前に落ちていたよ」
「どうもすいません、これがないと……」
屋外の男は、ニヤリと笑みを浮かべ魔力を放つ。
一方のノミを持つ男は、ごく普通の住宅地に住むだけあって魔術に縁がないらしい。彼に抵抗する手段などないのだろう、抜け殻のように虚空を力なく見つめ立ち尽くしている。
「さて、中に入れてもらおうか……」
怪しげな男は、急に不気味な声音で呟いた。そして表情が失せた相手は無言のまま家の中に消えていく。
このまま新たな惨劇が起きるのか。不吉な空気が漂い始めたそのとき、どこからか制止の声が響く。
「まてぇい!」
中年男性が振り返ると、そこには月を背にした一人の男がいた。それも通りの向かいの屋根の上である。
屋根の上で不敵な笑みを浮かべた若者が、腕を組み仁王立ちしているのだ。
「いかな闇に潜もうと天より光射し悪事を暴く、人それを月光という……」
高みから見下ろす若い男は、どこか気取った風に聞こえる声で語り出す。
その様子は、伴奏があればと思うくらいに芝居がかっている。背後に背負った月光に加え金管楽器の独奏が似合いそうな姿は、題するなら『天空からの使者』というところだろうか。
「だ……誰だ!?」
雰囲気に呑まれたのか、地上の男も妙に作ったような声で応じていた。
「貴様に名乗る名はない!」
すると屋根の上の若者は、やはり気障にも感じる声で叫び返す。そして若者……ジャン・ピエールは屋根を蹴って飛び降り、謎の中年男へと迫る。
◆ ◆ ◆ ◆
うん、一度やってみたかった。にやける表情を繕いつつも、俺ジャン・ピエールは大きな安堵を抱く。
ここで必ず事件が起きるという保証はなかったし、仮に起きるとしても間に合うかどうかという不安もあったからだ。
夜勤が明け、すぐに俺は一眠りした。そして昼過ぎに起きだし、軽い食事を済ませる。
更に俺は、普段通りに夕方まで過ごすと制服を着込み寮を出た。以前、私服で不審者扱いされたことがあるからな。
今回は『無明』も携えているし、他にも用意した小物がある。それに場合によっては、近くの守護隊に走るかもしれん。ならば制服が無難だろう。
俺は適当に選んだ食堂で夕食を済まし、急ぎ足で目的地に向かう。
出来れば早く片付いて欲しいな……勤務をサボるわけにはいかないし。今日は夜勤明けの休みで、そこからは日勤だから、三日は張り込めるけど。
まあ、今のところ連日事件が起きているから、今日の可能性は高いが。
身体強化で上げたジャンプ力を使い、予想のポイントを見下ろせる屋根に乗る。ここなら怪しい動きがあっても察知しやすいからな。
夜食に買ったベーコンエピをかじりながら待つことしばし、どこか怪しい人影が見えてくる。酒で酔っているにしては足取りは確かだし、何より身ごなしが常人じゃない。
しかも魔術で人を操りやがった! これで確定だ!
そこで俺は謎の男を制止する。
ちなみに俺の声は周囲には聞こえていないはずだ。音を収束させる風魔法『ウィンドボイス』で対象の男とだけやり取りできるようにしたからな。
っと、不審者が逃げだそうとしている……だが、逃がしはしないけどな!
「いけ! 『炎刃』!」
炎のチャクラムを男の進行方向に飛ばしながら、俺自身も屋根から一気に男に向かって跳ぶ。
もっとも、これは単なる牽制でしかない。射程距離も限界に近いし、派手な割には攻撃力は殆どない。周囲に燃え移ると困るから、それで良いんだけどな。
現に男は攻撃魔法に気を取られたらしく足を止めた。知らなきゃ驚くだろうから無理はないが……だが、これで終わりだ!
「『無明』……狩暗ソード!」
俺は風魔術を使って滑るように前進しつつ、『無明』を蛇腹剣へと変えて伸ばす。そして鞭のように姿を変えた『無明』が、男の首に絡みつく。
おっと、自害されちゃたまらないからもう一押しだ。
「破闇雷!」
「ば、ばるぅっ!」
おそらく『馬鹿な』とでも言おうとしたのだろう。しかし『無明』から流れる電撃を受け、男は麻痺して崩れ落ちる。
この魔法は、体内に微弱な電流を流す電撃魔術だ。残念ながら麻痺させる程度が関の山だが、こういった無力化だと非常に役に立つ。
と、こいつは魔術が使えるんだ。大隊本部から持ってきた対魔術師用拘束魔道具を使わないと……。
これもあるから制服を着たんだけど、役に立って良かったよ。まあ、後で始末書くらいは書く羽目になるかもしれんが。
◆ ◆ ◆ ◆
「さて、どうやって連れて行こうか……」
後ろ手に拘束具で縛り上げ猿轡を咬ませたところで、困ったことに気付いた。担当区域外だし、かなり説明が面倒だ。それに、この家の人の魔術を解くにしてもなぁ……。
そんな時、文字通り天の助けが来た。
「その男は私が預かりますよ~」
白い清楚な、しかし金糸の飾りが特別な品格を添えた高位神官の衣装。それを纏うのは幼げな少女だが、宿す神秘の気配に自然と居住まいを改めてしまうお方。大神官補佐のミリィ様が、俺の背後から声をかけてきたんだ。
しかし、いつの間に接近したんだ? 全然気が付かなかったよ……。
「ミリィ様!?」
「私が情報局に連絡を入れますから~。手柄を奪っちゃいますけど~、貴方にとっても悪い話じゃないでしょう~?」
衣装に相応しい真顔から、一転してミリィ様は笑顔となる。そして彼女は悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。
「ええ……。まぁ、そうなんですけど……」
何だろう、色々知られてそうな……。気圧された俺は少し退いてしまう。
「貴方が普段から真面目に勤務しているのも知っています~。それに本当の『闇の使徒』が誰かも判っていますが、今回は私の胸の内に留めておきます~」
はぅ……バレテーラ。しかし、内緒にしてくれるのは助かるな。おそらくニュテスさまの感じからすると、シノブ様に知られない方が良いんだろうし。
どうもニュテスさまは、シノブ様に更なる成長を促したいようだ。たぶん、それが先々……神々として迎えるために必要だと思っているんだろうな。だから俺の存在がバレたら、ニュテスさまの望まれる方向から外れてしまう。
「判りました、それでは自分はこれで……」
俺は逃げるように踵を返し、立ち去ろうとする。
ミリィ様達は眷属で間違いないだろう……ニュテスさまから聞いたわけじゃないが。ともかく、後を託すにこれ以上のお方はいない。だから俺は、驚きと同時に大きな安堵を感じていた。
「必要がなければ内緒にしておきますよ~。シノブ様が気づかない限りは、ですね~」
そんな俺の背中に、ミリィ様は相変わらずの調子で言葉を投げかける。……ミリィ様達も、ニュテスさまのお考えをご存知ってわけか。
とりあえず、普通に生活できそうだ。それなら一つお願いしておこう。そう思った俺は足を止め振り向く。
「あの、動機とか判ったら教えてほしいのですが……もちろん明かせる範囲で構いません」
ここまで関わったのに犯人の動機が不明なままってのも残念だ。そこで俺は、もし良ければ、という感じで頼んでみる。
「そのくらいなら~。……でも、どうしてここで事件が起こると思ったのですか~?」
確かに疑問に思うよな。二回目の事件は担当の東区の中だが、一回目の北区と今回の西区は担当外だ。土地勘もないのに、どうして先回り出来たのかって。
「円形の王都に北、南東、南西の正三角形ができるって気づいたんですよ。王都を魔法陣に見立てて……この三箇所で完成か、それとも六芒星だろうって」
そう、悪魔召喚として魔法陣はメジャーだ。それにソロモン王の七十二の悪魔には、バアルから派生した悪魔が含まれている。だから悪霊や神霊を呼ぶのに使えるだろうって。
ソロモン云々は、相手がどこまで地球のことを知っているか不明だから伏せた。でも、ミリィ様なら理解してくれたかも。どうもミリィ様には、そういう感じの逸話が多いからな……。
「……で、どちらにしても次は南西で正三角形を完成させる……簡単なことです、ミリィ様」
内心の思いとは別に、言葉と表情は探偵らしく締めてみる。そして俺、ジャン・ピエールはクールに歩み去る。
「ホームズだけに、ホームに帰るんですね~」
やっぱりミリィ様って……僅かに俺はよろけたものの、そのまま無言で歩き続けた。だって、下手に反応したら仲間に巻き込まれそうだから。
もっとも、もう手遅れかもしれないけど……。
お読みいただき、ありがとうございます。
アマノ王国建国後、その王都アマノシュタットでの光景です。「その28」の直後なので、創世暦1001年9月3日以降のことです。