その24 終戦
アマノ王国の王宮『白陽宮』に夜が迫りつつあった。西に沈もうとしている赤い日輪が照らす中、宮殿の前庭に掲揚されていた『アマノ王国旗』が王宮守護隊の手により降ろされていく。
金にも似た黄色の大きな円とその周囲に六つの小円、中央に剣と輪、左右を竜虎を戴いた紋章。それは建国王シノブの象徴だ。
円は最高神アムテリアと六柱の従属神の象徴であり、光の盾と光の首飾りという秘宝から生み出される鏡面や弾を表している。そして剣は光の大剣、輪は光の額冠だが、これは王と集う人々だともいう。
両脇の竜虎は語るまでもなかろう。聖なる二つの種族、シノブを慕い寄り添う神獣たちである。
稀なる秘宝と偉大なる種族を描いた旗だけに、降ろす者たちも敬虔な面持ちとなっている。そして旗を外した彼らは恭しい仕草で畳むと、押し頂くようにしながら宮殿内へと運んでいく。
毎日のことではあるが、通りがかった人々は足を止めて国旗を運ぶ守護隊員を見つめている。彼らは仕事を終えて下がる者たち、あるいは夜勤に入る者たちだ。
ある者は敬礼し、ある者は手を合わせる。もちろん人々の視線の先は隊員ではなく、王国の象徴たる旗である。そして国旗が通り過ぎると、彼らは再び動き出す。
そんな中、宿舎へと向かう一団に侍女エーディトの姿があった。他の者と同様に姿勢を正して国章を見送った彼女だが、どこか浮かない顔である。
(結局、手掛かりがなかったなぁ。軍の伝手……か。兄さんに聞いてみようかしら)
エーディトが探す、帝都決戦の日に彼女を助けた若き軍人ジャン・ピエール。まだ彼女が名も知らぬ騎士の行方は、杳として知れなかった。
既に帝都決戦から随分と日数が経っている。そのためエーディトが肩を落とすのも無理はなかろう。
(こうやって王宮と宿舎を往復しているだけじゃ、見つからないのも無理ないわよね……でも、旧帝国人の私には伝手なんて少ないし……)
とぼとぼと、というのが似合う歩みでエーディトが向かう侍女宿舎。これは『白陽宮』よりも更に北西の外周寄りだ。
『白陽宮』は中央区の中心である大広場の北西に隣接している。そしてエーディトは『白陽宮』の西門から外に向かっていた。どうやら彼女は大通りに出ず真っ直ぐ宿舎に戻るつもりのようだ。
(助けてくれた人にお礼が言いたいってだけじゃ、軍本部にお願いできないわ……対象となる人って何百人もいるだろうし)
エーディトは後ろ……南東側へと振り向いた。彼女の視線の先には、大広場の時計塔がある。そして更に向こう、大広場を挟んで宮殿と斜向かいが軍本部だ。
実は、ジャン・ピエールがいるのは彼女の振り返った方であった。彼が住む下士官宿舎は、侍女宿舎と正反対の南東だった。
したがって王都の東大門を職場とするジャンが中央区の西半分に来ることは少ないし、ましてや小隊長の彼が王宮に足を運ぶことは殆どない。上に用事があるときも多くの場合ジャンは担当区内の大隊本部、稀に軍本部に行くだけだったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
アマノ同盟軍の騎士たちは怒涛の如くと形容すべき勢いでアクフィルド平原を駆け、アルマン王国の東軍騎士団を蹂躙していく。
騎士はアマノ同盟軍が六百ほど、東軍騎士団が千数百だ。したがって東軍騎士団は数で勝るのだが、彼らは奇襲を受けた側であった。
側面を突かれた騎馬隊は基本的に脆い。速度を乗せた攻撃こそが騎馬の最も得意とするところだ。そして長所を十全に発揮できない場合、彼らは歩兵に破れることすらある。
しかも疾駆するアマノ同盟騎士団は、東軍騎士団が陣形を整え終わる前に槍を突き込んでいく。そのためアルマン王国の騎士は、為す術も無く馬から落とされ散っていく。
そんな中ジャン・ピエールは、主を失ったアルマン王国軍馬の間を駆けていた。
若年のジャンは所属のメリエンヌ王国騎士団でも末席で、比較的後方に配置された。そして先行する熟練騎士たちの猛攻だけで、殆どが片付いてしまったのだ。
(流石に討ち漏らしがない……出番なしだな。ムハマさんの槍と鎧に相応しい武勲を、と思ったんだが……これじゃあ)
ジャンは無念そうに首を振った。真新しい鎧と同じく輝く長槍は、戦友のムハマ・アブド・アハマスの傑作なのだ。
流石にミスリル製には手を出せなかったが鋼としては最上級、しかもムハマの好意で兜飾りや面覆いは岩竜ガンドを模したものになっている。また、随所の爪や牙を思わせる突起や黒金仕上げの外装も同様に岩竜を意識したものだ。
それに対し、槍は質実剛健な造りであった。無骨で飾り気の無い大槍は、代わりにそれこそ竜でも相手にしないかぎり欠けないであろうムハマの自信作である。
(おっ、あれは!)
ジャンの願いが届いたのか、前方からアルマン王国騎士が馬を寄せてくる。
アルマン王国騎士は、盾も失い兜や鎧も大きく損傷していた。それにも関わらず向かってくるのだから、彼は死に所を求めているのだろう。
「たとえ討たれるとも、せめて一槍!」
「メリエンヌ王国騎士、ジャン・ピエール! お相手つかまつる!」
アルマン王国騎士は、速度を乗せた槍を繰り出してくる。
しかし胴狙いの穂先を、ジャンは半身を捻り紙一重で躱す。そして彼は同時に必殺のカウンターを打ち出す。しかも、それは風巻く魔槍であった。
「風纏い・旋風!」
互いの勢いが乗った穂先は、易々とアルマン王国騎士の喉元を貫いた。更に直後の衝撃で騎士は弾き飛ばされ落馬、主を失った馬だけが狂奔しつつ駆けていく。
「汝の魂に安寧を……」
振り返らずに、ジャンは言葉だけを残して仲間を追った。それが、戦場での礼法なのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
なおも駆け続けるジャンは、正面に数人の騎士に守られた部隊長らしき者を見つける。多くに守護されているところからすると、相手は東軍騎士団でもかなり上級の軍人なのだろう。
「千二百だぞ、千二百がたった一撃で壊滅だと!?」
部隊長らしき男は筋骨隆々だが、周囲に喚き散らす様は醜悪であった。どうやら出世を目論み軍務卿の息子ウェズリードに取り入った貴族らしい。
「命を惜しむな! ウェズリード様が見ておられるのだぞ! ここを支えきるのだ!」
貴族と思われる男は、豪華な鎧に負けない怒声で部下を叱咤する。しかし彼自身が出る様子は無い。それどころか、彼は後方に退く気か馬を返した。
(何てヤツだ!)
ジャンは退却をし始めた貴族に狙いを定めた。彼は愛馬プリムヴェールを更に急がせる。
「潔く散れ! 風纏い・鎌鼬……斬漢槍・横一文字!」
通り抜けざまに、ジャンは横なぎに槍を振るう。すると魔力の刃が相手の胴鎧を呆気なく切り裂き、更に穂先が食い込んだ体が馬から持ち上がる。
「おぉぉぉぉぉ!」
そのままジャンは反対側に槍を振るい、相手を地面に叩きつけた。その瞬間、ゴキリという鈍い音が響き、地に激突した男から力が抜ける。
「他は! くぅ、もう終わりか……」
ジャンが槍を引き戻し構え直したときには、周囲の取り巻きたちも既に討ち取られていた。ジャンと共に駆けた騎士たちもそれぞれの相手を撃破したのだ。
「良くやったな! 大物じゃないか!」
「後は歩兵に任せろ!」
先輩騎士たちの言葉通り、大勢は決まったようだ。騎士たちを追うようにアマノ同盟軍の歩兵隊が迫り、残敵掃討を始めていた。
「ありがとうございます……あっ、あれは!」
「ああ、これで終わりだ」
ジャンや騎士たちの視線の先には、天駆ける白き戦士がいた。翼も無く、竜や光翔虎に跨るわけでもなく。ただ己の力のみで飛翔する人間など、彼らは一人しか知らない。
そう、神々との戦いを終えたシノブだ。彼は戦いに終止符を打つべく、蒼き水流の巨塔の上に陣取るジェリール・マクドロンへと迫っていたのだ。
既に、西軍も軍を下げている。東軍も壊滅状態だ。シノブとジェリールの戦い、これで激戦は終わる。それを感じたのだろう、戦場に集った全ての目は二人の男に向けられていた。
蒼き奔流は、光の戦士に対抗するためか巨人へと形を変えた。しかし、それは儚い抵抗だと誰もが思ったことだろう。
光り輝く若き男と復讐に狂った男、如何に深い闇に閉ざされようと、陽はまた昇る。そして太陽の輝きを宿した若者に、暗い心を持つ男が勝つ道理はないのだ。
アマノ同盟軍は当然、そしてマクドロンが率いた東軍ですら同じ思いを抱いたのか、消滅していく水の巨人を目にしても意外なほどに驚きの声は小さかった。
戦場に眩き光が走り、シノブが天から降りてくる。光り輝く彼は、己の意を貫き倒れた男を抱えている。
そして平原の戦士たちが天地を揺るがす声と共に二人を迎える。それは勝鬨であったか、新たな時代の到来を喜ぶ声であったか。
そんな中、戦場に散った魂の安寧を祈る男がいた。竜を模した鎧を着けた若き騎士……彼の祈りがどのようなものであったか、歴史は黙して語らない。
お読みいただき、ありがとうございます。
前半はアマノ王国建国後、その王都アマノシュタットでの光景です。なので、創世暦1001年6月以降のことです。
後半は、全て創世暦1001年5月11日です。
ジャン・ピエールさんは、仲間と共にアルマン王国のアクフィルド平原を駆け抜けました。