その14 大帝殿 前編
俺ジャン・ピエールは、帝都ベーリングラードの宮殿、『大帝殿』を駆けている。もちろん一人ではなく、突入部隊の仲間と共にだ。
現在進んでいるのは『大帝殿』の一階、『小帝殿』に向かう大きな通路だ。
俺がいる部隊は『小帝殿』の担当だ。『小帝殿』は皇帝や一族の居住区だから、謁見の間などと並ぶ最優先目標の一つだ。皇帝がいる可能性が高いからな。
もっとも俺は最後尾だから、周囲を警戒しつつ続いていくだけだった。突入部隊は熟練の腕利きが多いから、二十歳の俺なんか最年少に近いんだよ。
途中、魔人化を免れた従者や侍女たちを発見したら、空き部屋に避難させる。そして俺たちは、更に奥へと向かっていく。
ふと横の通路を見ると、五体ほどの竜モドキ……魔人が接近してくるのが見えた。でも、上級の翼があるヤツじゃなくて、下っ端の翼なしだ。
横の通路は別棟に続くものらしい。避難させた者達の言った通りなら、住み込みの侍従や侍女が使う棟だな。そこから出てきたということは……。
「側面通路から翼なしの魔人五体接近、私が防ぎます!」
皇帝たる者が、控えの棟に逃げ込んだりはしないだろ。ましてや戻ってくるはずもない。つまり、こいつらに多数を振り分けるより、目標である『小帝殿』に急ぐべきだ。
「我らも残る!」
「いえ、ここは私が時間を稼ぎます! この通路なら一人で防げます! 皆さんは『小帝殿』へ!」
先輩騎士たちは、俺一人じゃ危ないと思ったんだろうな。
だけど、脇道は大して広くない。何人も並んで戦うのは難しいし、まだ『小帝殿』までは遠いみたいだ。ここで多数を割いたら『小帝殿』の制圧が難しくなる。
「……判った!」
「ここは任せたぞ!」
不敵に笑ってみせた俺に、何かを感じたのかな。先輩騎士たちは激励の言葉を残して先に向かっていく。
◆ ◆ ◆ ◆
竜に似た異形は、二種類あった。翼の生えた翼魔人と、翼のない魔人だ。そして後者、ジャンが戦っている魔人は熟練の騎士であれば多数で当たるほどではなかった。
後にジャン達は知るのだが、翼魔人は武人や魔術師を元にしているが、魔人は一般の侍従や侍女が変じたものであった。そのため元々の能力差があると思われる上、翼魔人と違い魔人は火炎の術を使えなかった。
また、どちらも人間ほど知能が高くないようだ。帝都に移動する途中、岩竜の長老ヴルムが指摘したが、双方とも平均すると知能は岩猿くらいのようである。
これは後々の想像だが、翼魔人や魔人になった者は、皇帝から多少の命令を受けていたようだ。ただし内容は随分と大まかなものだったらしい。侵入者を排除しろ、人間を殺せ。せいぜいその程度だと思われた。
ともかく、彼らが軍隊というほど連携していないのは確かであった。集まれば仲間同士で協力もするし、咆哮で何かのやり取りをしているようでもある。ただし、作戦というほどのものはない。
また、魔人は膂力こそ増していたが動きは単調で、飛翔もできないし特別な術も使えない。しかし複数が揃えば脅威となる。鋭い鉤爪は充分な脅威で、それを何体かが同時に繰り出すのだ。一撃でも食らえば致命傷だから、油断はできない。
(時間をかければ、こちらが不利……か)
そう考えたジャンは、端から狙っていこうとする。しかし、そのとき更なる者が現れる。
「いやぁぁぁ、助けて!」
通路の奥から、侍女服の少女が走ってきた。しかも、更に十体もの魔人が少女を追っている。
「ああっ、ここにも!」
少女は床にへたり込んだ。辿り着いた先にも魔人がいることに、彼女は絶望したのだろうか。
そして少女を追っていた魔人たちが、鉤爪を振り上げる。
「くっ!?」
ジャンは少女と魔人の間に割り込んだ。振り下ろされた鉤爪が、ジャンの鉄の胸当てを弾き飛ばす。
(しまった、留め具がはじけ飛んだか!?)
ジャンは愕然としつつも、少女を抱えて転がり逃げる。そして魔人から距離を取った彼は、少女を立ち上がらせる。
「そこの部屋に隠れるんだ!」
「あ……え?」
ジャンの勢いに押されたのか、多少の混乱はあったものの少女は手近な部屋に逃げ込む。それを見たジャンは、その扉を背に魔人の群れと対峙する。
◆ ◆ ◆ ◆
(数は十五、流石に今のままだと勝てないよなぁ……仕方ない、全力を出そう……)
ジャンには闇の神ニュテスが与えた加護がある。そして彼は、未だ全力を出したことがない。出し惜しみしているわけではなく、今の彼では使いこなすことが難しいからだ。
そのため彼は、怒りに震えた時でも身体強化を最大にしただけであった。
槍を放り投げたジャンは、腰に佩いた小剣『無形』を抜く。そして彼が『無形』を振ると、その刃はレイピアに変化した。『無形』はニュテスが授けた武器であり、地上の法則には縛られないのだ。
そしてジャンが眼前で祈るように『無形』を構えると、彼の体から漆黒の魔力が溢れ、更に周囲が闇に沈んでいく。
大神アムテリアの愛し子シノブは、一定の魔力を込めると太陽の如く輝く。
一方、闇の神ニュテスの使徒であるジャンは、全ての魔力を搾り出すと周囲を闇で閉ざすのだ。そしてジャンの闇は魔力そのもので、感知能力が高い者であっても彼の実体を見極めることは困難となる。
(ニュテス神よ……彼らの魂に救いを……その死後に安寧を……そして来世の幸福を……)
祈りを終えたジャンは、ほぼ一瞬で……十五の標的を一閃と見紛う速度で刺し貫く。
『無形』の刃からは強烈な闇の魔力が放たれた。そのためだろう、細い剣尖は竜に似た魔人の鱗を呆気なく貫き通していた。
「名付けて銀閃の葬送歌」
闇が解け光が戻ると、そこには地面に伏した魔人たちの姿があった。そしてジャンは荒い息を吐き、数歩よろけて下がると壁に寄りかかる。
(魔力全開で……未完成の秘技を使うもんじゃないな……これじゃ他に魔人が出ても……戦えねぇ)
しばらく息を整えたジャンは『無形』を鞘に納めると、明日をも知れぬ病人のような重い足取りで自身が投げ捨てた槍へと向かっていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
今回は、全て創世暦1001年3月6日の帝都決戦です。
ジャン・ピエールさんも、『大帝殿』の突入部隊の一員として戦いました。