侍従武官の日記
『軍人として王国に仕え四十年、王家の侍従武官として仕え十年、革命で王政が倒れて一日。時の流れは残酷だ。残された五つにも満たない王子を連れ、混乱から逃れた』
『新しい住処はすぐに見つかった。私が駆け出しの見習い士官の頃、よく通っていた食堂の二階の部屋に通してくれたのは食堂の元看板娘で、今は食堂を切り盛りする肝っ玉婆さんだ』
『私の恰好と王子を見るなり状況を察したのか、無言で二階に案内されて毛布をかぶせられた。王子は震えていたが、私がそっと手握るとしがみつられられた』
『夜、人けが無くなると簡単な料理を振る舞われ、私は状況を話した。かつて戦友を始め士官の卵たちを魅了した娘の様な笑顔で私たちを受け入れてくれた』
『王子は人が入らない厨房で、私は注文係として働くことになった。軍での生活が長かった私にとって食堂での仕事は大変だった。図上演習並に使う耳と頭、伝令将校勤務時の様な慌ただしさ、士官学校時代の様な婆さんのしごき、毎日が忙しかったが不満など無かった。』
『十になる頃、王子は婆さんに料理の種類を少しずつ教えて貰い、自ら調理をなさる様になった。私も大変うれしく思う』
『ある日、士官学校同期の戦友が客として来た。今は御者として馬を引いていると言っていた。他の者は革命時に戦死したか、そのまま軍に徴用され左遷同然とか。生き残った同期で軍人以外は私との二人だけらしい』
『この頃、王子は肉体的にかなり成長され旧王族と知られぬ様になってくると学校へ通い始められた。私が初等教育や一部の中等教育を一般の人の教育水準までの教育を施したので心配は無い。王家では教育する者と受ける側二人のみなので大勢集まる勉強は新鮮と目を輝かされていた』
『学年での成績は上位らしく、私も鼻が高い。お話しによると主席も夢では無いとのこと、嗚呼将来が楽しみで仕方が無い』
『さらなる大学への進学か食堂を継ぐかで迷っていられた王子は婆さんに相談すると雷を落とされ、そのまま説教へと入っていった。曰く子供は勉強してこの食堂とは関係のないところで働きなと、あの可憐な看板娘は今や大の男すら怯ませる肝っ玉を持つ。当時の私や戦友が今の彼女を見ると卒倒するだろう』
『結局、大学へ進学し政治を勉強なさる事になった。私個人としては学者が良いだろうと勝手な希望を持つ』
『近頃、この国は不安定だ。王政を復古を渇望する声が市民の間に広まる。経済の低迷と政策失態で先行きは暗い。そんな中かつての王国を希望する声が出始めたのだ。だが、私は王子に戻ってほしくは無い。政局に飲まれぬ一般市民として過ごしていただきたい。もうあの城を出た時の王子の様な不安で胸がいっぱいの子を増やしたくは無い。しかし旧王族で王子以外に誰が生き残ったかは不明だ』
『王子にその時の記憶は無い。私が塗り替えて教えた。祖父母の食堂で暮らすと嘘を教えてきた。元侍従にの私を爺、元看板娘を婆として暮らす日々。本当の孫の様に私は思える。最も私に孫は居ないのでわからないが』
『革命だ。二十年振りに王政に戻った。人々は電報を通じて決起の時を見計らって起こした。なんと陛下の弟君の子である王子が生存されていて、彼を中心に活動をしていた様だ。驚きで私は興奮して婆さんに怒られてしまった。王子は新聞を見て喜ばれていた。彼を知っているのだろうか。陛下は高齢で弟君様は早くに、よって王子より主導者の方が年は上だった。無論彼を知らないし、彼も王子を知らない、筈だろう』
青年が古い日記を閉じた。彼は食堂の二階部分の小さな部屋で椅子に座っていた。周りには書物や家財道具があるが、それらは引っ越しのごとく荷物を纏められていた。
健康的な体つきで背は高く、メガネをかけている。学者の様な優しげな顔つきだが、軍服に身を包んでいる。
「気は済んだかい?」
部屋の入り口に立っていた老婆が青年に向けて言った。年はかなり重ねている様だが、声や姿勢は老いている様子は見られない。
「うん、やっとわかったよお婆ちゃん」
青年はゆっくり立ち上がった。
「本当の祖母、祖父でもないのかい?」
「それでも僕にとっては本当のお婆ちゃんとお爺ちゃんだよ、かけがえのないね」
「孫どころか子がいないからわからないが孫ってこんなもんなのかね」
老婆は屈託なく笑った、元食堂の看板娘で多くの軍人を魅了した彼女は笑顔は変わらない。
「あの爺さんは最後まであんたのことを気にかけていたよ、あんたを王族に戻したくは無いと言ってたよ」
「別にもう王族云々なんてどうでもいいけどね。逆にしがらみあるんだからめんどくさそうだし」
青年は笑ってみせた。
「とかなんとか言って、なんで軍人なんかになったのかねぇ。そのまま学者になれば金に困りはしないだろうに」
「僕は昔のことなんて何一つ覚えていないけど、お爺ちゃんのことはよく覚えているよ」
「いつも僕の後ろをついてきて、わからない事をなんでも教えてくれて、なんでもすることには手伝ってくれたり。そしてあのきらびやかな軍服が忘れられなかった」
「きっとお爺ちゃんは、規律に厳しい軍人だったのだろう、僕が何かするたびに慌てふためいて。いたずらには簡単に引っかかってくれて、それで少し怒られたりしたことは決して忘れない」
「お爺ちゃんこそが、僕の憧れだったからお爺ちゃんの様になりたい。いつか忘れたけどお酒に酔ってつぶれていたところを介抱して、ご機嫌でしゃべっていたお爺ちゃんの本当の姿がやっとわかったよ」
青年は日記を鞄にしまい、脇に置いていた制帽を被った。旧王国と同じ王国軍人の制服を来た元王子は小さな老婆を抱きしめると食堂を後にした。
短編第二弾、電報のお話しの別視点です。
かなり簡素になりました…