Chapter1...03
公園の中にある日陰の出来ているベンチに、碧生と彩香は並んで座った。
碧生はカップに入っているアイスクリームを買ったが、彩香は店内のレジで注文するソフトクリームが食べたいと言うので、約束通りにそれを奢る事になった。
「おいしい」
彩香の声にそちらに視線をやれば、言葉通り本当に美味しそうにソフトクリームを食べていて、碧生は思わず小さく声に出して笑った。
「え。な、なに。なに人の事見て笑ってるの」
「いや、本当に幸せそうな顔して食ってるなぁと思って」
「やだ、なにそれ、馬鹿にしてるんだー…」
「別に馬鹿になんてしてないっての」
彩香はどうやら本気でそう思っているらしく、少し拗ねたような表情で返してくるから、碧生もつい溜息と一緒に言い返してしまう。
この話題は続けても生産性はなさそうだと判断した碧生は、手元のアイスクリームを食べる事に集中していたのだが、手元のカップが空になっても彩香は沈黙したままで、チラリと彩香を見ると、かじりかけのコーンを口にしながらも、何か思いつめているような表情をしていた。
「彩香、どうしたんだよ?」
いくらなんでも先程の会話が原因ではないだろうと思いつつも、碧生がそう尋ねると、彩香は残りひとかけらになったコーンを口に含み、ゆっくりと噛み砕き、食べ終えてから碧生に向き直り、少し困ったような笑みを浮かべた。
「日下部まりあ」
「え?」
幼馴染の唇から突然、まりあの名前が飛び出して、碧生は心臓がとくん、と一瞬大きく跳ねた。
「あ、ううん。日下部さん……て、もしかして碧生に告白……とかしたの? かな、なんて」
「……なんで?」
彩香の質問に、一瞬にして碧生は咽がカラカラに渇いてしまい、妙に掠れた声が、口からついて出た。
「えとね、よく考えたら、碧生が急に日下部さんの事聞いてきたのって変だなぁって思って。それで、もしかして、なんて思っただけなんだけど」
「お前、すげーな。実はそうなんだよなー…」
なんとなく、彩香からは目を逸らしながら、少しの困惑を浮ばせた表情で、碧生は頭を掻く。
「ええっ。本当に? それで返事はどうしたの? ……でも碧生は面識ない子からの告白はいつも断ってるもんね、今回も断ったんでしょ?」
同じ中学だったせいもあり、彩香は告白されても断り続けている碧生の事を知っているからこそのセリフなのだが、その表情には隠し切れない不安が浮かんでいたのだが、碧生はそれに気づく事はなかった。
「えと。実は付き合う事になったんだ」
「え。どうして? 日下部さんの事、今朝私に聞いてくるくらいだから、知らなかったんでしょ? 今までなら断ってるよね?」
彩香は真直ぐに碧生を見据えてくるから、もともと乗り気ではなかった事もあり、碧生は更に後ろ暗い気分になる。
「断るつもりだったんだけど、なんか気づいたらOKしちゃってたと言うか……」
そう言いながら、やはりあの時の事を思い出すと自分で自分がわからない。まりあの瞳を見つめていると、彼女の申し出は受けないといけない、そんな気分になったのを碧生は思い出していた。
「はあ? 何それっ」
まりあに告白された時の事を思い出しながら言葉を綴る碧生は、少し気もそぞろになっていたのだが、突然耳に響いてきたかのように感じた彩香の憤りを隠さない声は、碧生は冷水を浴びせられたような気分になる。
「……なんか流されちゃったというか、なんというか。いいだろっ、別にっ。誰と付きあおうが彩香に関係ある訳?」
言い訳めいた言葉を重ねていくうち、碧生は段々と面倒になり、最後にはそんな風に開き直っていた。もっとも、彩香と碧生の関係は幼馴染以上でも以下でもない、とやかく言われるいわれはないと、碧生は考えた。
「な、そ、そりゃ、別に関係ないけど。あーあ、それにしてもがっかり。碧生も所詮可愛い子に告白されたら、よく知らなくても喜んで付き合っちゃう程度なんだね」
碧生はあからさまな悪意を受け止め、笑って流せる程穏やかな性格でもなかったし、幼馴染の様子がいつもと何か違っている事に、気づく程大人でもなかった。
「そうだったとして、お前になんか迷惑かけてる訳? そこまで言われる言われはないね」
碧生が感情に任せてそう畳み掛けると、彩香はぐっと言葉を飲み込む。だが、まっすぐに見据えてくる瞳は潤んでいて、涙があふれる一歩手前に見えた。それに気づくと、碧生もやっと少しの冷製さを取り戻す。
「……おい、彩香……?」
少し言い過ぎたのかもしれない、碧生はそう考えたのだが、彩香は怒りで頬を赤くさせ、涙を堪えるようにしながら、碧生の事をにらみつけてきた。
「碧生の馬鹿っ。大っ嫌いっ」
彩香はそれだけ言うと、すっくと立ち上がり、そのまま碧生を見る事なく走りだしてしまった。碧生はベンチに座り込んだままで、小さくなっていく幼馴染の背中を見送る事しかできなかった。
「……なんでこうなるんだ……?」
碧生にしてみれば、彩香の怒りの矛先がなんなのか、さっぱりわからなかった。本当に好きになった女の子と付き合う訳ではない事が、そんなに逆鱗に触れるような事だったのだろうか、等としっくりとこない原因しか思いつかない。
「……今日の俺って、女難の相でも出ているんだろーか……」
頭を掻きながら、ボソリとそんな事をつぶやくと、ベンチの背もたれに、背中をつけた。
◇ ◇ ◇
碧生はぐったりとした気分のまま、重い足取りでやっと自分の部屋まで辿りつくと、すぐに鞄を机の上に置き、制服を着替えもせず、ベッドの上でゴロリと横になった。
だが、五分もすると鞄の中に入れたままの携帯電話が、くぐもった着信音を響かせた。碧生は後で確認すればいいかとも思ったのだが、何時までも制服姿のままでいる訳にもいかないだろうと、半身を起こし、ベッドの下に両足をつけ立ち上がると、制服を無造作に脱ぎ始めた。Tシャツとジーンズというラフな部屋着に着替えると、制服をハンガーにかけ、机の椅子に腰掛けると、鞄から目的の携帯電話を取り出す。
今日はありがとう。
明日、手作りのお弁当作っていくので、一緒に食べない?
SNSを通じてのメッセージの送信者はまりあで、文面には女の子らしくかわいい絵文字や、スタンプが使われていたのだが、元々しぶしぶ交際に応じた感があるのだ、碧生にしてみればいきなりの手作り弁当は気が重く感じられた。
気持ちは嬉しいけど、負担になると申し訳ないから、手作りじゃなくてもいいよ。
昼一緒に食べるのは大丈夫だから。
本当は一緒に昼休みを過ごすのも、気が重いのだが、そこまでむげにするのはよくないように感じられ、こんな返事をしたのだが、すぐにまりあから返信が来た。
自分の分と一緒に作るから平気だよ。
じゃあ明日作っていくね、楽しみにしてるね。
ここまで言われると、碧生にはこれ以上の断りの文言は思いつかなかった。礼を告げる内容の短い文面で返信すると、小さく溜息を漏らした。
◇ ◇ ◇
「母さん、明日の弁当いらないから」
その日の夕食の時間、碧生は母の鈴菜にそう告げた。そう、いつもなら鈴菜が弁当を用意してくれるから、前もって必要ない事を伝えておかないといけない。
だが、どうしてよりによってこの日にこの人は居るのだろう、いつもなら残業でこの時間には居ないのにと、少々苦い思いで目の前の自分の父、暁をチラリと見る。
暁はいつもと変わらない様子で黙々と食事をしていた。戻ってすぐに食卓についたため、ネクタイを外しただけの白のカッターシャツは、ボタンを二つ外した状態だ。黒い髪の毛は整髪剤でなでつけていて、会社員らしくきっちり整えられている。
ただ、彼の髪の毛は緩くウェーブがかった天然パーマで、猫毛のように柔らかく、そのままでも様になってしまう。整髪剤で整えていない時は、見た目が実年齢より若干若くみえるせいもあり、どこぞのホストのようだと、自分の父ながら碧生は常々思っていた。
「どうして? お友達と学食で食べるとしても、別にお弁当持ち込んでも大丈夫でしょ?」
鈴菜は首を傾げながら、そう尋ねてきた。栗色の髪の毛は後ろで無造作にひとつにまとめられているが、髪の毛は緩いウェーブで、こちらも天然パーマだ。夫婦揃って天然パーマなのに、碧生はストレートの黒髪で、子供の頃、自分は貰われて来た子ではないかと疑った事もある。ただ、どちらの祖父母もストレートなので、髪の毛に関しては単に隔世遺伝らしいのだが。
「えーと。まあ、そうなんだけど、とにかく明日はなくていいんだ……」
はっきりとしない碧生の言い回しに、鈴菜は納得していないらしく、大きな瞳を碧生にぶつけたままだ。こんな時の鈴菜の表情は、なんだか少女のような無垢さを感じさせ、年齢より若く感じさせるひとつの原因なのだろうと、碧生は関係のない事をぼんやりと考えていた。
「……わかった。女が出来たんだ」
「ええっ。 そうなのっ? 碧生っ」
今まで黙々と食事をしていた暁が、ボソリと指摘すると、鈴菜は大げさではないかと思うくらいに驚いた表情を見せた。
「それで、手作り弁当持ってくるとか言われたんだろう?」
「なあんだ、それならそうと言ってくれればいいのに」
碧生が返事をする間もなく、暁の言葉に鈴菜は納得したように微笑んだ。
なんだか想像していた通りの展開になってきて、碧生は心の中でだけ溜息をつく。
正直、乗り気ではない付き合いなのだから、すぐに交際解消になる可能性の方が高い気がしていて、親には悟られたくなかったのだ。
かと言って明日の弁当が不要な事はどこかで告げないといけないので、どうしようもなかった。黙ったままで、明日誰かに母の弁当をあげる事等は、生真面目な碧生には思いつかない。
それでも鈴菜だけなら適当に誤魔化せたかもしれないが、暁は昔から妙に勘がいいので、気付かれるかもしれないとは思っていたのだ。
結局、言われた通りなので否定する事もできず、碧生はただ黙々と食事を続けるしかなかった。
「彼女って彩香ちゃん?」
「は? なんで彩香?」
鈴菜の質問に、碧生も反射的にそう聞き返すと、なぜだか彼女はがっかりした表情を見せた。
「彩香ちゃんじゃないんだー、残念」
「……なんで残念なんだよ……」
「幼馴染でいつの間にかお互い好意を持っていた……なんてドラマみたいでいいなって思ったんだけどなぁ」
彼女は少し夢みるように、どこか遠くを見つめながら言葉にしていた。
「……ドラマっていうより、一昔前の少女漫画の間違いじゃないの?」
耳に届いた言葉には、激しく同意したい気分の碧生だったが、突っ込みを入れてきたのは暁で、鈴菜は案の定、むっとした表情を浮かべていた。
「いいじゃないの。そういうのも素敵だし」
「幼馴染で相思相愛なんて幻想だろ。自分がよくわかってるだろ」
明らかに父と母の温度が下がっているのが、碧生にもわかる。
二人は高校で初めて出会ったと聞いている。つまり、幼馴染同士の恋愛ではない訳で、会話の流れから母は幼馴染に失恋でもしたんだろうか、等と考えはするのだが、今はこの会話には加わらない方がよさそうだと判断する。
両親がこの程度のいざこざを繰り広げるのは日常茶飯事だった。
だからといって仲が悪い訳ではない。次の日になれば、彩香が指摘していたように、恋人同士にすら見える立ち振る舞いを見せるのだ。
そう、この程度のイザコザなど、単にじゃれているだけなのは長年一緒に暮らしている碧生には、嫌という程わかっていた。
「ごちそうさま」
碧生はガタリと椅子から立ち上がると、そのまま自分の部屋に戻った。
「……はあ。今日はなんか疲れたなぁ」
自分の部屋に入るなり、碧生はベッドの上にドサリと沈み込むと、見慣れた自分の部屋の天井をぼんやりと見るともなしに見上げていた。
そうして、風呂が沸いたと鈴菜が声をかけてくるまで、碧生は浅いまどろみに身を投じていたのだった。