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失われつつある個人の物語


集団の論理と個人の自由意志とのせめぎ合いを近年の物語のメインテーマなのではないか。


そんなものガンダムでやり尽くされてるのかもしれないが、全体主義と個人主義の対立は現実とも照応するので無視できないだろう。


キングダムとか、進撃の巨人とかの主人公たちも、組織での立ち位置から無縁ではいられない。勝手なことをすると巨人に食べられてしまう。


好き勝手やっているように見えるなろう小説も、第三者からの評価が欠かせず、果たして独立した個人の物語なのだろうかという疑問が残る。


アクダマドライブというアニメを観ていると、全体から眺めた個人というものが見えてくる。


この作品では、アクダマと呼ばれる犯罪者たちが依頼を受けて新幹線を襲撃する。その過程で一般人の女性が巻き込まれて行動を共にするというストーリーだ。


彼らは名前で呼ばれることはなく、運び屋、医者、殺人鬼などの通り名で呼ばれる。敵である処刑課の二人も師匠、弟子と表記され名前は明かされない。


個々の歴史は明かされず、管理されるものとそうでないものという区別があるのみだ。


新幹線にいた子供たちは全体への、言い換えれば特権階級への供物であり、個というものが徹底的に排除された世界観となっている。


その中でも、一般人ちゃんの子供を守ろうとする行動は一貫して個人の意志に基づいており、異彩を放っている。一見して何の力も持たない彼女が生命力に溢れているのは皮肉でしかない。


管理する側が最も恐れているのはこういう人間なのではないか。


そう思うのは中国の台頭が目に余るようになってきたからであり、物語を現実と切り離して考えることは私にはできない。


世代間、イデオロギー間の橋渡しをする物語は減った。こうした現実を踏まえて団結するのは難しいのかもしれないが、個を描く物語は必要とされる。そう信じたい。



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