同化と相対化
実写版のキングダムの映画を観た。奴隷であった主人公が、戦で功を立てて成り上がるストーリーだ。
観て思ったのは、主人公たちが偉いなということである。主人公の信は自分の求めるものがわかっている。失われた尊厳と、友との約束を果たすというシンプルな動機で動いている。
大抵の場合、自分が本当に求めているものは知る術がない。アマゾンのオススメ商品を買い続けるのが人生か、私にはわからない。
キングダムと似て非なる漫画に、ベルセルクがある。これは傭兵団の主人公たちが成り上がりを目的にスタートする。ここまではキングダムと似ている。
傭兵団の団長グリフィスは、自分の国を作るという野望を持ち、カリスマ性に溢れている。
やがてグリフィスと傭兵団は、大国に影響を及ぼすまでになるが、ささいな仲間との諍いがきっかけとなり、グリフィスはチャンスをフイにしてしまう。しかも王の怒りを買い、むごたらしい拷問まで受ける。
グリフィスは仲間に救出されるも、剣は握れず、言葉も話せない。ここでグリフィスの旅は終わらない。グリフィスは悪魔のような超常の存在に魅入られており、再起を約束される。
代償として、仲間を生贄に捧げることを選ばされる。ここで肝心なのはグリフィス自身が大切な仲間を供物として捧げるという選択を強制されるという点だ。
憎いことに何もしなかった場合、傭兵団の女騎士キャスカに介護されて一生を終えるという幻想が挿話されるのだ。ぬるま湯のような日々、これはこれで悪くない。だがしかし……
結局、グリフィスは仲間を犠牲にし、怪物として復活する。優秀な仲間への嫉妬や、ねじ曲がった愛欲の発露が、彼本来の願いだったのかもしれない。この部分は異様に真に迫っている。
その後の話は実はよく知らない。グリフィスは主人公ではないし、この話はベルセルクの過去編の一部に過ぎない。だが、クライマックスの惨劇と、人間ドラマの妙において非常に評価は高い。個人的には旧アニメ版が良く出来ていると思う。
グリフィスは本当に王国を作りたかったのか。原作では今も野望は継続中らしいが、本気かどうかは疑わしい。大体、仲間一人に去られて自暴自棄になるとか乙女か。まあ、男としても負けたからああした行動を取ったのかもしれない。
『ガッツ、お前が好きだ。お前が欲しい』
と、素直になればいいのにね。完結も危ぶまれている作品の筆頭なので、適当に斬り合って終わりかもしれないが。
今現在、市民権を得るのはキングダムのような作品だと思う。なろうで追放ものが流行るのも、自分は社会で不当に虐げられているという意識が根底にあるからではないか。
キングダムの読者は、作品に同化している。虐げられたという大義があるので、横暴に振る舞うことが許される。作品は欲望の発火装置であり、自制は効くのであろうか。
ベルセルクを対比として挙げたのは、相対化がしやすいためである。自分がすべきこと、したいことは、本来明瞭ではない。不本意に行う場合がほとんどかもしれない。良かれと思ったことが裏目に出る経験は、誰しもあるだろう。
じゃあ意味ないだろと、ここのサイトにいる人はすぐ作品に埋没したがる。
それでも想像力は必要だし、そのために相対化できる物語が必要だ。
想像力がないんですぅという人は、百万回生きた猫でも読めばいいと思うよ。




