死装束
ファッションに興味のない人は、人生を損しているとは言わないまでも、多少の不利益を被っているのではないだろうか。
人は見た目が九割という本もあったし、九割は言い過ぎだとしても内面だけでなく、外面にも気を配るべきだと私も思う。
まともなあらすじも書けない奴が何を偉そうにと思われるかもしれないが、一応あらすじを書こうと思えば書けるのだ。ただ、何となく、本編の良さが減じるような気がして、それを怠っている。本音を言うとめんどくさい。
あらすじを書くのは嫌いだが、私生活のファッションには気を抜きたくない。
文章を褒められるより、着ている服を褒めらるほうが何倍も嬉しい。
物書き失格かもしれないが、どうせプロにはならないし、チャラチャラしているのが私の性に合っているのだろう。
頭の天辺からつま先まで隙のないトータルコーディネートが私の理想であり、いつかは到達したい境地なのだが、最近はノームコアとかいうのが流行っているらしい。
簡単に説明すると、シンプルな格好。白シャツにジーンズ、スニーカーとか。
ファッションに疲れた人がやるらしい。
常に伝聞体なのは、私はファッションに倦んでいないし、流行なんてよく知らないからである。
「原色合わせるのは、やめちくり」と、家族に止められても、十二単みたいな格好でお外に飛び出す私にはノームコアはまだ早い。
服を選ぶのは、モテたいからであり、そのためにダイエットするのであり、結局人より抜きん出たいがためであり、負けず嫌いなのかもしれない。
ファッションにモテを意識するのは誰しも同じなのだろうが、私の場合は死装束の意味合いも含んでいる。
外に出れば、何が起こるかわからない。車にはねられて死ぬかもしれない。いきなり通り魔に襲われるかもしれない。ヤクザの抗争に巻き込まれるかもしれない。
そんな時、適当に選んだ服で死にたくない。考え過ぎかもしれないが、普段の私はぼーっとしていて隙だらけであり、突然背後から近づいてくる自転車を忌々しく思っている。
「服を選ぶことは、人生を選ぶということ」
私が敬愛するココ=シャネルの言葉である。
私にとってファッションとは、モテであり嘘であり、死装束であり、戦闘服のようなものなのだろう。戦隊ものの衣装に近いものなのかもしれない。
正義なんて糞食らえだと思っている私も、自分の正義を貫くに当たってはその限りではないと言える。