冷たい水
私は、 文章を書く行為が苦手である。ならば何故小説を書くのか。
太陽が眩しいからという言い逃れは、もはや通用しない。そのためにこのエッセイの真似事を始めたのだから。
論理的な他人の文章に触れるたび、自分の稚気丸出しの文章に反吐がでたりする。自分の文章は可愛い子供なので、あまり虐めるのはよそう。
書こうと思いたち、パソコンに向かうと思い出すことがある。
それは、学校の水泳の授業である。塩素臭いプールの時間である。水がやたらと冷たい。心臓が止まるとよく思ったものだ。天気が悪くなると水温が下がり、授業が中止になるので、曇りの日はワクワクしていた。ところが水温ギリギリでも、敢行する場合がある。そんな時は地獄だ。クラスメートの唇は知らないが、私の唇は紫だったと思う。
何故、冷たい水を泳がせるのか。教師は鬼畜か? 文科省は悪なのか?
多分どちらでもないのだ。私が思うに冷たい水は、羊水との対比なのだ。もうここは、お母さんのお腹の中ではありませんから、強く生きなくてはなりませんよ。というエールなのである。
だとしたら、学校教育は満更でもないのかもしれない。
話を戻して、水と小説何の関係があるかというと、小説はプールの水に似ているのだ。冷やっこくて入るまでが大変なのだが、入ってしまえば、あとはどうとでもなる。クロールでも背泳ぎでも自由自在だ。そのうち体も温まり、楽しくなっている。
でも油断して、足がつることがある。溺れることもある。プールでは、教師が助けてくれるが、小説では誰も助けてはくれない。
ここは、羊水の中ではないのだ。とっても怖いところなのだ。
私は、いつ足がつりはしないか怯える毎日を送っている。