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eyes wide shut

野良猫がこっちを見ている。薄茶色の毛並みで長い尾を地面に垂らし、寝転んでいた。

彼はこっちを見ているけれど、見ていない。人が理解する多くのことは、彼にとって意味をなさない。反対に彼にとって重要なことは、私には意味がなく、興味深いことなんだろう。

見る、観る、視る、診る……、という行為は退屈を地で行くということかもしれない。

絵を鑑賞しても、すぐに忘れてしまう。味わうという行為に置き換えると、何だか抽象的に感じる。詩なら噛み砕いて、喉に絡みつく。彫刻は、舐めたくなる。血の味がしそうだ。

私は、見たくない。小説を書いていて、いかに視覚に頼った表現を使っているか気づくと、怖気がする。

つまり、普段の私は視覚以外の感覚を、怠けさせているのだ。

だから今日から私は、ペロリスト。皆様方、夜道には気をつけられよ。

目を背けるより、何を見て、何を見ないようにするか判断を養うのが適切なのだろう。

話は飛ぶが、私は幇間ほうかんになりたかった。幇間とは、お座敷遊びで場を盛り上げる男芸者のことである。今現在、職業幇間は、殆どいないようだ。

谷崎潤一郎の短編小説、「幇間」にはそんな男の悲哀が、暗くなりすぎない程度に描写されている。

幇間は滑稽な芸を見せ、下手に出て客をもてなす。道化ともまた違う。私も生の幇間を味わったことがないゆえ、下手なことが言えないのがもどかしい。

社会人の方なら、好きでもない人間のご機嫌をうかがうのが、いかに苦痛かお分かり頂けると思う。そもそも世界中の殆どの人間は貴方のことが死ぬほど嫌いだし、私のことも同じくらいの数の人間が嫌っている。つまり、敵だらけのジャングルに生活しているようなものである。お互い不幸な時代に生まれたものだ。

幇間は好悪を超越した職人である。酒のつぎかた、音頭の取り方に無駄がないのであろう。

そんな芸当ができるのは、目で見ていない事に起因するのではないかと、私は推測する。

私なら、上司の頭をビール瓶で殴打し、水芸と称して場を盛り上げることしか思いつかない。私は幇間には向いていなかったのだ。

詰まる所、私はペロリストになることを宿命づけられたかのように思える。

が、しかし、全裸でパンツを頭に被り、

「お⚪んぽおおおおお!」

と、叫びながら駅を走る勇気は私にはない。

せいぜい、怪人ハミガキコ(研磨剤入り)になり、夜道で白い歯磨き粉をぶっかけるしかないのであろうか。

そんなことをするくらいなら、小説を書いていた方がまだましである。

歯磨き粉は、自分の口にぶっかけるもの。幇間でない私にも、そのくらいの常識は残っているのだ。

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