素人
子供の頃、ピカソの絵を目の当たりにした私は、ヘッタクソな絵だなぁという感想を抱く。
「これなら私にも描ける。絵画教室に通わせておくれ」
親をせっついて、絵を習いに行った。
そこで初めてわかるのだが、どうやってもピカソの絵は描けないのだ。
ピカソは幼い頃からデッサンを執拗に練習していたという。父親から、デッサンが出来ないうちは、絵の具を使うなと言われていたそうな。なので、ピカソは、まともな(?)絵も残している。私が知る限り、それらの絵はあまり面白くない。
そんな事実を知らない勘違い童だった私は、ふてくされた。
「絵なんかつまらん。バスケでもするか」
そんな捨て科白を吐いたか知らないが、当時の私は、あっさり絵筆を捨てた。
ピカソの絵は描けない。ゴッホや、ホイッスラーも同様だろう。 理解しているものの、描きたくなる気持ちを抑えきれないことは今でもある。
芸術とは、本能だ。呼吸するように行われるべきだと私は思う。
その証拠に私は、時々ヘタクソな絵を描いたりする。クレヨンや、水彩絵の具も使う。
一部の人が芸術を占有するのは、おかしい。芸術だけではなく、他の分野でもそうだ。自分の領地を守ろうと必死になっている。そのせいで、世界は息苦しくなる。
私がピカソを好きなのは、単にオシャレな部分だけではない。 開かれている。ぶつかっても答えてくれる。私もこういうものを作りたい。
芸術はコミュニケーション装置でもある。作者とそれを感じる第三者がいて成り立つ。
それはとてもむつかしい共同作業だ。私が声高に叫んでも無意味である。
声をいかに届けるのか、それは知ろうとすればするほどわからなくなる。
私もまた素人の一人なのだ。