運命と戦うとき
個人的にはスピリチュアルなものはあまり信じない。信じたくなかったというのが、本音か。
たとえば、生まれた環境が劣悪で本人にどうにもならない事情があったとする。それを覆すのはいかにも困難ではないか。なぜそのようなハンデが存在するのか、運命はなかくも残酷などと書くと、文学の題材になりそうだが、現実はそんなに美しくできていないし、汚い。わかっていても、誰もが口をつぐんで耐えるだけだ。そこに美を見出しても、誰も救われない。
言葉も論理も、役に立たないことがある。それでも、理想に近づくようにあがく人が好きだ。大抵は報われないが。
私は真逆で、宝くじが当たったら即FIREしたい人間なので現実に即していない。理想を生きる。スピリチュアルを信じないのは宝くじが当たらないからかもしれない。
ブルアカのツイッターを見ていたら、キムヨンハプロデューサーのあいさつが載っていて今年の終わりを感じた。
ぼっちざろっくの作者が、ブルアカの同人誌を書いていたり、妙な追い風を感じる。ぼざろの知名度もアニメで上がったので、シナジーが生まれるだろう。
運気があるとするなら、ブルアカは上昇気流に乗っているかもしれない。
ブルアカが盤石かといえば、そうでもない。今のところ、実装可能なスターキャラはいない。人気が出そうなキャラはいるが、スターではない。
今は衣装違いでお茶を濁しているが、いずれ枯渇する。その時はどうなるか知らない。石油のように、なくなる詐欺かもしれないし、偉大なるキムヨンハPが奇跡のような逆転を見せるかもしれない。
札束ゲーとか言ったりもするが、私はこのゲームが好きだと思う。なにもしたくない日も、デイリーのために起きられる。
みんな生き急ぐが(三○地所と次に逝こう)、政治と同じで先送り上等。運命と戦うときは滅びる時だ。今はまだその時ではない。