残るべきもの
映画『犬王』観てきた。
室町時代に実在した能楽師、犬王を題材にしたアニメーション作品である。
平家の呪いで盲目となった友魚(後に友有と改名)と、同じく呪いで異形の姿で生まれた犬王が織りなすロックミュージカル。なんのこっちゃと思う。
実際、犬王がマイケルジャクソンばりに踊ったり、友魚はジミヘンのように琵琶をかきならす。一曲終えるごとに、平家の呪いが薄れて犬王の体は元に戻っていく。
亡者への鎮魂を形にするという点で、アニメ平家物語に連なるものになっている(作ってる会社も同じ)。
クイーンとかマイケルジャクソンのオマージュは賛否ありそうだが、名もなきアーティストの中にも彼らのような存在が数多いたのかもしれない。たまたま我々の目に触れたのが、クイーンだったり、マイケルだっただけなのかもしれないと考えるとオリジナルという概念も複雑になる。
二人は結局、為政者の都合で悲劇的な最後を迎える。犬王の名が同時代の観阿弥と違い、無名に近いのも彼の意地とプライドゆえという解釈を私はした。
プラスに捉えれば、オリジナルは形を変えても滅びないということ。マイナスに捉えれば犬王は単に消費されて消えた流行に過ぎなかったという解釈(歴史的には後者じゃないかと思っている)。
歴史に抑圧された物語は、人の心を打つ。ロックは反体制を歌うものだったし、中国の詩人、杜甫や李白は社会からスポイルされた人間だった。
翻って、元彼の遺言状という小説では、主人公がプロポーズされ喜ぶかと思いきや、私の価値はこの程度なの?とキレる。指輪の値段が気に食わなかったらしい。この時点で怖くなり、読むのをやめた。
歴史は勝者が作る。勝ち組の弁護士先生の書いた本は売れた。今後はわからない。興味もない。残るべきものが残ればいい。
来月はゆるキャンと、輪るピングドラムの公開が控えている。
ゆるキャンは面白いかでいえばつまらないが、社会人になったなでしこたちは気になる。アニメで成熟した女が描かれることはまずない。相変わらず心地良い箱庭で、少女のように振る舞うのだろうか。
輪るピングドラムの前編は総集編みたいな内容だったので、後編には期待したい。ただ、難しいのはいくらループしようが、世界を変えようが、あの呪いはどこまでも追ってくる。しかも、あれは我々の一部ですと言おうものなら、モデルとなった事件を肯定することになりかねない。
どうやっても自縄自縛な気がする。十年以上前の作品だが、今でも古びないキャラデザとか音楽とか、良い所は一杯あるんだけどな。エウレカみたいになって欲しくない。




