ドライブマイカー
ドライブマイカーは、村上春樹の小説が原作の映画である。
演出家の主人公(西島秀俊)はある日、妻の不貞を目撃してしまう。その後、間男(岡田将生)の役者と演劇の仕事で再会する。二人は妻の語った寝物語を通じて、互いの傷に向き合う事になる。
あまりネタバレはしたくはないが、良い映画だと思う。淡々とした演出ではあるけれど、複雑な登場人物の機微が伝わる。次第に身を持ち崩す危うい役者を岡田将生は怪演しているし、運転代行の女性(三浦透子)も感情を表に出すことはないが、生い立ちと仕事がリンクしているという点で、キャラ立ちしている(浅薄な言い方だけど)。
劇中でチェーホフのワーニャおじさんが上演されるが、これが結構刺さる。「仕方ないけど生きていきましょうね。辛いけどあの世で神様に文句を言ってやりましょう」という具合だ。
チェーホフは読んだことがあるが、ここまで怖い内容だったか記憶にない。戯曲を字面だけで追うのとは訳が違うと感じた。
辛いけど生きていく、というメッセージ性は最近の作品の傾向でもある。鬼滅の刃もそこに含まれる。
昨年、アカデミー賞を取ったノマドランドでは、私の傷は私のもの。それすら奪わないでという消極的なメッセージを感じたが、ドライブマイカーは他者の傷も受け入れるという肯定的な印象を受けた。
新海誠監督の「君の名は」の頃は無自覚に傷は癒えると、世間では考えられていた気がする。後の天気の子では、やや悲観的なラストになった。私は後者の方が好きだ。
一番恐ろしいのは真実を知らないことだと、ワーニャおじさんで言及されるが、知った所で恐ろしいものは恐ろしい。
ミステリと言う勿れというドラマで「真実はいくつもあるが、事実は一つだ」と言っていた。それもフィクションな気がする。
現実には真実も事実もなくなってはしないか。傷しか残らないなら、それこそ神様に文句を言ってやりたくなる。