ゆーとぴあ(ミライの話)まるに 不在価値
人間不在の世の中は、素晴らしい。樹々は蒼空に梢を伸ばし、汚染物質は時の彼方に埋没される。
いずれそうなるのだから、私は何の心配もしていない。人間は必要なのかというクエスチョンが、ナンセンスなのは承知している。観測者がいなくなれば、地球がなくなっても、太陽が燃え尽きてもどちらでもいいではないか。今この時を楽しもう。酒でも呑んでね。と、李白みたいにまとめてみた。
なんで人類が滅んじゃいけないのだろう。ニホンオオカミが絶滅したように、人間が絶滅してもいいではないか。
と、理性が判じるのであるが不思議なもので、他人に同様のことを言われたら、多分黙っていない。
「合理化の時代だ。人は代替可能な部品でなければならない」
丁度人体模型が欲しいと思っていたとする。人間を解体して、骨格と臓器一つ一つパズルみたく並べてみたい。部品になぞらえているから問題ないのではないか。
こんな馬鹿な考えの人間がこれから増えるに違いない。我々は報いを受ける。それは避けようのない事柄だ。
寂しんぼは、おしゃべりロボットで我慢する。鏡に話かけるようだ。自分が見ているという事実から逃れられない。脳は嘘つきだ。
言って欲しいことを言われて嬉しいのだろうか。私は、自分の予想を超えた内容を話したい。先が見たい。ミライを。