土手沿いの友情
暗い闇の中、男が土手を駆け上がる。ぜえはあと息を荒くして、果てしなく感じる土手を走った。
「たす、けて……」
だが通行人一人居ない寂しい場所で、その男の声は誰も聞こえなかった。
「!!」
声にならない声を上げて、ずるずると引きずりこまれる。まるで触手が足に絡みついたかのように。
足の低い草をなぎ倒しながら、男は土手を滑り落ちていった。
暫くすると、何事もなかったかのように世界は動きだした。音は一切しなかった。
「一課からちょっと手伝いに来てくれないかだと」
特捜班の係長である斎藤が言う。
50歳で見た目もまさに紳士な彼は、立場や年齢を感じさせないようなお茶目な男である。
それに、ナンバー2である神谷が答えた。
「八王子、ですか」
「ああ」
神谷は36歳とまだまだ若いが、頭の切れる男だった。そして斎藤を慕っているため、社交的な性格は斎藤を次いでいる。若いメンバーは皆機械系に強いが、特に得意だ。
「須藤、黒田、九条、行くぞ」
二人の女性と一人の男性が立ち上がる。皆若く、同世代だ。
3人は神谷と共に現場に向かった。
「被害者は、50代の男性。今身元確認しています。足首に鬱血痕があるので、下から引っ張られた可能性があります。死因は後頭部強打による内出血です」
「そうか。須藤、」
須藤と呼ばれた女性が遺体に近寄る。そして手を合わせてから呟いた。
「その眼球、借ります」
彼女はゆっくり目を閉じる。それを周りは静かに見守っていた。特捜の面子以外は表に締め出されている。
ぐるぐると須藤の頭の中に記憶の断片が流れこむ。
「夜中にジョギング……足を引っ張られる……『たすけて』……相手は、一人?」
その言葉をとっさに黒田という女性がメモする。
突然目を見開いた須藤は、深く深呼吸をした。終わったのだと分かった神谷は、彼女に近付く。
「どうだ」
「暗くて何も見えませんでした。引き摺られて、最後に見たのは犯人の焦った感情のようです」
「そうか。他に何か残ってないか当たってくれ。見つかったら須藤に回せ」
神谷は斎藤に電話をかけるために、一旦離れていく。
すると九条が「ちょっと」と須藤を呼んだ。須藤と黒田が自分の作業をやめて、そちらに行く。
「これ、見てない?」
そう言って掲げて見せたのは、只のガラス片。河原ということもあり、草の中にはゴミが散らばっていた。
「そういやここ、被害者の靴があったとこ?」
「多分。確か靴底に薄くガラス片が刺さった跡があったから」
黒田と九条が話している間に、須藤は目を閉じてリーディングの準備をしていた。
彼女の周りの音が遮断される。
「踏まれた……青い靴底、別の人間?……白い靴底、被害者」
また黒田がメモをとる。九条はそのガラス片を手袋をした手で摘み、ビニールに入れた。
「一応持っていこう」
その時、神谷が戻ってきた。
「九条、報告に一回戻れ。そのガラス片は?」
それに黒田が答える。
「須藤がこれからヒントらしきものを見ました」
「被害者とは別に、青い靴底の人間がそのガラス片を踏んでいました」
「そうか、ではそれを持って戻れ」
そう言われた九条は、頷いて消えた。
「我々ももう少し話を聞いたら戻るぞ」
「はい」
特殊な能力保持者が集められた特捜班。
その能力保持者をマーカーと言い、能力をマークと呼ぶ。
マーカーがマークを保持するきっかけは、先天性のものと後天性のものがある。後天性のものは脳の障害(病気や怪我などによる)によって開花する。確率は極めて低い。
そして、その特捜班のメンバーの個人情報は漏洩しないように厳重に保護されている。班内でも係長である斎藤しか知らないはずだが、その斎藤の記憶を覗いてしまった須藤も知っていた。
斎藤は記憶消去、神谷は念力、須藤は接触感応、黒田は透視、九条は瞬間移動である。他のメンバーも同様だ。神保は記憶変換、桂木は感情読取(多少なら誘導できる)。
「青い靴底の靴か……それだけでは分からないな」
斎藤が言う。それに皆苦虫を噛んだような表情になる。
そのとき、九条と神保が荷物を持って分室に入ってきた。
「それは?」
「遺留品です。借りられるものは借りてきました」
それに須藤が立ち上がる。黒田はメモとペンを持って傍に立つ。九条がテーブルに広げた。
一つ一つ見ていく。
「驚き……悲しみ……娘」
「ガイシャには6歳の娘がいますね」
神谷が斉藤に告げる。そのとき、須藤の頬を涙が伝った。
「これ以上は何も」
「一課の担当に戻すか。地道に洗っていくしか無理だと」
斉藤の言葉に、神保は渋々頷いた。そして報告しに行った。
「役に立てなくて申し訳ないですね」
「仕方ない。実際事件解決に直結するマーカーは、須藤、黒田、桂木しかいないんだ。須藤の能力も必ずしも入り口を作れるわけではないしな」
「万能ではありませんからね、流石に」
「だが桂木も別の事件で駆り出されているし、須藤もこないだ事件を解決したばかりだ」
この事件はこれで終わり、と斉藤が声掛けする。そのとき「須藤警部補をお借りしたい」という捜査二課からの連絡により彼女は駆り出され、特捜班にとってのこの事件は幕を閉じた。
それから数日。
須藤も桂木も事件を解決して戻ってきた。
そして斉藤は皆を集めた。スクリーンに男と簡単な経歴が表示される。
「これは?」
神谷が斉藤に尋ねた。まあまあ、と手で制すると説明を始めた。
「昨日土手で死体が発見された。被害者は星宮悠大、大学生だ。特捜に回されたのは、ひとつ。手口が先日の事件と同じだと推測されるからだ」
それに九条が首を傾げる。
「その事件、特捜は手を引いたんじゃありませんでした?」
「そうだ。被害者の身元は石橋達司だと分かったが、進展してはいないそうだ」
スクリーンの画像が変わる。石橋達司の経歴が下に表示される。そして斉藤は須藤の元に行った。
「星宮の遺体と遺留品、見てきてくれるか?九条に連れていかせる」
「大丈夫です、分かりました」
そう言うと須藤は九条を連れ立って分室を去っていった。
神保が斉藤に聞く。
「共通の関係者は洗ったんですか?」
「それが共通の知り合いはいないそうなんだ」
「年齢も離れていますしね」
黒田は「メモ役なのに置いてかれた」とその後に小さく笑って付け足した。それを詫びながら斉藤が独りごちた。
「何か出ればいいんだがなあ」
暫くして二人が帰ってきた。須藤は資料を手にしていた。九条が他のメンバーの分を回していく。
「まず、私が見たものを報告しますね。遺体から読み取れたのは、『既視感』『手の傷』」
資料にスケッチされた手の絵を見せる。
「次に携帯からある画面が思い浮かんだんです。今一課に調べて貰ってますが、石橋の携帯からも同じ画面が見えました」
その報告に全員目を見開く。斉藤が「そこか」と呟いた。
「ええ、同じソーシャルゲームをしていた可能性が高いです。どちらも数ヶ月前に退会して履歴も残ってなかったので、一課はたどり着かなかったんだと思います」
そして須藤はレポートの2枚目を見るように促した。全員が捲り終わってから、再び話し始める。
「それは鑑識からのレポートです。さっき言った犯人の手の傷は、この釘で傷付けたと思われます」
レポートに載っていたのは錆びて歪んだ釘の写真。土手ということもあり、ゴミが投棄されていることがよくあり、それもそのひとつだと思われる。
「DNAは?」
「はい、検出されています。でも前科はないようです」
神保がそれを受けて言った。
「鍵は、そのSNSか」
「はい。暫くすれば見つかるはずです。ハンドルネーム、見てしまいましたから」
良くやった、と斉藤が立ち上がりながら言う。
「ここからは一課に任せよう」
数日後、容疑者の身元が判明した。
3係の係長が、斉藤と分室でお茶を飲んでいた。再び協力を求めてきたのだ。それに黒田が呼ばれる。
「容疑者は陣内隆。先日アパートに行ったんだが逃走していた。この男、追えるか?」
係長は黒田に写真を見せた。まだ20代の少しチャラチャラした男だった。
黒田は頷いてから、その写真を手に取って離れた場所に行く。集中したいために、透視するときは人から離れることが多かった。
それを上司だけでなく、その場にいた皆が見守っていた。数分後、地図とピンを持って二人の元に戻ってきた。
地図を広げて、思い切りピンを突き刺す。少し乱暴なところがあることを知っている特捜のメンバーは苦笑しながら見ていた。係長はその迫力に心なしか身を退けていた。
「彼女の家です。でも多分彼女は知らない……」
「上出来だ。引っ張ってきたら、桂木頼むな」
係長は満足そうに去っていった。斉藤が黒田の肩を叩く。
「あとは桂木の落とし込みで終わるな」
桂木は微笑んで頷いた。
はじめはしらを切っていた陣内も、桂木が取り調べ室に入るとポツリポツリと呟き始めた。
「あいつらが悪いんだよ。あいつら、SNSじゃちょっとした有名な恐喝屋で。課金アイテムに金かけてそうな奴選んで、巻き上げんだよ」
それは復元されたSNS内のメッセで確認済みだった。桂木は相槌を打つだけで、陣内は続ける。
「俺の友達もやられてたんだ。それで、逆に引っ掛けてやろうと思ったんだよ。」
その友達という人物の名前を聞いた3係の刑事は、引っ張るために出掛けた。供述は続く。
「クロウム――石橋だっけ?あいつのハンドルネームなんだけど――は、夜にジョギングするって言ってたから待ち伏せしたんだ。それで追い掛けて、足引き摺ったら勝手に石で頭打ったんだ!殺しはしてない、懲らしめて金巻き上げようとしただけなんだよ!」
陣内は叫ぶ。桂木は冷静に問いかけた。
「ユーウ――星宮って奴のことね――からも取られてたから。こっちは金渡すからって会う約束取り付けて。リンチしてやろうと思ったら派手に暴れるから思わず、思い切り殴っちまった。石橋殺したからもう関係ねえやって」
そのとき、係長が呼ばれる。陣内の友達を連れてきたということだった。それに頷いて取り調べ室を出て行く。代わりに神谷が入ってきた。
「お前の友達も今取り調べを受けているよ」
「そうですか……結局、守ってたつもりだけど巻き込んじゃったんだな」
陣内は悲しそうに笑った。それを見た桂木は目を伏せた。
陣内と共犯の友達は逮捕された。
須藤が見た靴も陣内の自宅で発見されていて、DNAも一致した。
「友情は時として人を大きくさせるんですね」
哀しそうな顔で桂木が言う。それに斉藤は返答する。
「良かれと思ったことが、必ずしもその人のためになるとは限らない」
「そうですね」
須藤と黒田は顔を見合わせた。彼女たちは中学からの同級生だった。
「良くも悪くも純粋だ。だから綺麗にもなるし、くすみもする。お前らは綺麗に育てろよ」
「はい」
会話が終わった時、神谷が入ってくる。
「須藤と黒田は4係に回ってくれ。桂木は1係の事情聴取に向かってくれ」
その言葉に、悲しそうな表情を引っ込めて皆自分の仕事に向かっていった。