第四章 巻キ戻される思イ4
君だけには、見られたくなかった――
『在須!!』そう叫んだつもりが、私の口から言葉がでることはなかった。
どさりと、力が抜けた彼の身体が私にもたれかかる。
その感覚は頭が真っ白になるほど耐えがたいものだが、今回はそうならなかった。
彼が見てる――在須が見ているのだ。
この光景を、私がこの人を殺したところを。
彼が見ているのだ――――。
「エンド……?」
姿が違うのに、在須はぽつりと私の名前をつぶやく。
この時の物ではなく、『今』の、私自身が皮肉を込めて名乗った名を。
呼ばれたことで、私の頭の片隅から冷静さが戻っていく。現実へと、帰ろうとする。
「エンド……だよな。エンド…………?」
在須は繰り返し呟く、私の名を。
書き消えそうな、震える声で。私だという確信を持てていないから――ではない。
在須は間違いなく「これ」を私だと認識して、その上で怯えている。
震える声で、目を見開いて、頭を抱え、身をすくませ。
「それは……誰だ?」
次の瞬間――――また世界が巻き戻った。
あの時へ、あの瞬間へ。
いつの間にかあの人の死体は消えていて、私が竹林の中で佇んでいた時間まで巻き戻り……。
はっと顔を上げると、在須は先ほどの場所と同じところで、ぼんやりと立ち尽くしていた。体が自由になるのはほんのわずかな間だけ、私は反射的に走りだして在須に近寄る。
「どうして君がここに!!」
半ば叫ぶような声で尋ねる。
尾城儀鈴璃の幼い体ではない、成人した女性の体で在須を見ると、彼はまだ子供で……
肩を掴もうとしたが、在須は私を見ないままがくりと力が抜けてしまったかのようにしゃがみこむ。
「在須……」
私の声が全く聞こえていない。うつろになってしまったかのようになった瞳は、宙をさまよっている。
蹲って、ぶつぶつ呟き始めてしまった彼に、私は戸惑う。
「在須、どうした? 在須!?」
かさりと、草履が草を踏む音。
気付いた次の瞬間には、私は元の場所に巻き戻されていた。在須から遠ざかって、彼を待ち――殺した場所に立たされていた。
『在須……』
既に体の自由は利かなくなっている。
在須の隣に『彼』が立つ。私の懐かしい名を呼んで、一歩一歩歩み寄ってくる。
でも私の意識は既に在須の方が気にかかって、彼のことまで思う暇がない。
何もできない状況。
思考だけが焦って、気が付いた時には――
私は、また彼を殺した。
温かい血。
眩暈がする血の匂い。
耳に残る、悲鳴。
悲鳴。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
弾けるように在須が叫んだ。
頭を押さえ、目の前の光景に対して。
「誰だよ。誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰なんだよおおおおおおおおおおおおおおおおお」
呻くように、言葉が口内で繰り返される。
途中から呂律が回らなくなり、何を言ってるのかも分からなくなっても、問いかけている。
誰だ――と。
「深漸くん、大丈夫だよ」
優しく甘い声。
溺れてしまいたくになるほど、全てを許す慈愛の言葉。
「私は深漸くんのこと、愛してるから。だから深漸くんは、何も考えなくていいの」
どこからともなく現れた神が、そっと在須を背後から抱きしめる。
譫言を呟き続ける彼の目を両手で多い、耳元に口を寄せ囁く。
「大丈夫だよ。深漸くんは私が愛しているんだからから。神の愛しい人だから、何の心配もいらないんだよ――だから、大丈夫。深漸くんは死なないから。世界が壊れちゃっても、終わっちゃっても、みんないなくなっても、深漸くんだけは助けてあげるから。だから――今は、忘れちゃおう?」
在須の全身の力が抜け、倒れそうになった彼を支えるように、神は優しくそっと抱きとめる。
慈しむように、その背に頬ずりして、幸せそうに言う。
「深漸くん――――大好き」
「これは……いったいどういう事だ?」
あの人が消え、また巻き戻った瞬間、私はこらえきれずに尋ねた。
神は安らかな表情で寝入ってしまった彼を抱きかかえたまま、困ったように笑った。
「いやね~、深漸くんったら例の調子でエンドちゃんの気配を追おうとしてたら、集中させて入れ込み過ぎた結果、自分の意識がこの業に巻き込まれちゃったみたいで~。天才も大変だよねぇ」
「見せたくなかった……彼だけには」
在須には、見られたくなかった。
私の罪を。
「さっきの記憶は私が奪っちゃったから、大丈夫だよ。見られてないことになりましたぁ。よかったね。でも、見せたくなかったって、都合がいい事だねぇ」
くすりと笑う。楽しそうに嗤う。
「深漸くんに失望されたくなかった? 怖がられたくなかった? 人殺しってみられたくなかった? 魔女ちゃんはなんだかんだ言って自分を貶めるけど、結局は深漸くんに尊敬してほしかったの? いい人に見られたかったの? なんて都合がいい話なんだろうね~」
「…………」
神は笑う。彼女らしくもない。
嘘の笑顔など。
目は私のことを咎めるように見ている。
「……まぁ、私も深漸くんにはまだ見られたくなかったかなぁ。だから、もうこの空間から出るね。私自身も、あんまりここは好きじゃないしねぇ」
『それは……そうだろう。だって、あなたは――』
そう言おうとして、すでにもう体の主導権が自分になくなっていることに気づく。
彼が近づいている。
何も知らない。優しい笑顔を向けてくるあの人。
これから私が殺す――私が大好きな人。
「助けないよ」
彼の姿を見て身をすくませた私に、神は嘘っぽく微笑みながら言う。
「魔女ちゃんの『罪』なんでしょ? 魔女ちゃんが『罪』だと思ってるんでしょ? だったら、勝手に償えばいいじゃん」
言葉だけ言い残して、神は消えた。
在須を連れて。
残された言葉は、私を責めているようで――胸が痛んだ。
そして。
またこの場所は、私と彼だけになった。
あの時の繰り返し。
変えられない過去の追体験。
最善の道だと信じて、私は彼を殺した。
その判断を今でも間違いではなかったと思う。
私は私の目的にかなった行動を、否理師として、『魔女』として行う事が出来た。
ただ、この彼を刺した感覚が。
この血の匂いが。
この彼の悲鳴が。
この体の重さが。
忘れられなくて――
私はまた彼の体を抱きしめている。
もう味わいたくなかった感覚を思い出しながら。
ひとおもいにやれなかったため、彼が苦しそうに呻いている。
呻きながら呟く。最期の言葉を私は聞き取れないまま――
また、時間は巻き戻る。
彼が笑ってやってくる。
同じ過去を繰り返すために。
――私はこの過去の全てを『今の私』として、受け止めよう。
見られたくないほど、大嫌いな自分の選択の結果を、『終末の魔女』として認めよう。
これが最善だった。
この選択肢しかありえなかった。
私がこの道を進まなければ、『今』は存在していなかったのだから。
私はもはや、人とはいえないような存在だ。
目的の達成だけに全てを捧げる否理師。
その為に、他人の体を得て在りつづけることを選んだ、人の道を外れた存在。
否理師としての私が告げる。
この選択は正しかったのだと。だから、悲鳴をあげて泣き叫ぶ人間の心をすべて押し殺す。
私は――『魔女』なのだ。
「さて、魔女さん。僕の勝ちです」
そう言って、樹は私の頭へ金属バットを振り下ろそうとして――その手を、私は掴む。
頭がずきずきするのを堪え、不敵に笑って。
「な、なぜ……」
業が破られた証拠に、空間を作っていた木々が朽ちて倒れていく。
信じられないようなものを見る樹に、私は告げる。
「業は使っていないぞ。これは、否理師としての覚悟の違いだ」
樹、お前は私のようなものになってはならない。
「お前は、まだまだ否理師として未熟だ」
だから子供らしく、誰かに頼って、甘えて、未来に向かって生きてくれ。
過去にとらわれず、目的に縛られず、
どこにでもいる普通の子供として、自由に生きて。
私のように、ならないで。
一月ぶり投稿です!
次からはまた在須視点です。