第三章 ヨミガえるあのヒ1
「エンドっ!」
俺が叫ぶ前に、既にエンドは動いていた。
「《縛》!」
エンドの声と共に、樹が立っている場所が銀色に輝いた。
「えっ……?」
樹の呆けた表情は、次の瞬間驚愕へと変わった。
「こっ、これは……」
「《終末の魔女》の束縛の陣だ。まだ否理師としての経験が浅いお前には、どうやったっても破れない」
「うわー、懐かしいね。それ」
唄華が緊張感のない声を上げる。場の空気が乱れるから黙っててくれ。
「はいはーい。私は邪魔にならないように、おとなしくしてまっす」
「事前に用意しておいてよかったな」
ふぅと、一息ついたようにエンドが言った。
状況を全て悟った樹は、動かない体の代わりに敵意を込めた視線を俺にむけた。
「お兄さん、否理師だったんですか?」
「なんだ、気づいていなかったのか。俺は、あえてお前がそういう振りをしているのかと勘くぐっていたんだが」
エンドが呆れた目で俺を見た。
「君ほど勘が冴える者は稀だ。業を使わない限り、察する術はない」
稀ねぇ……、言われすぎて逆にピンとこない。
樹は動かない体で、でも精一杯目を動かして状況を探ろうとしていた。警戒を一つも解かない様は、人なれしていない獣のようだ。
「《終末の魔女》さん。ずっと探してたけど、まさかこんな形だなんて思わなかったです……」
「ん? 君は私を探していたのか」
「ここらへんかなっていう目星は付けてたんですけど。あまり察知系の業は得意じゃなくって」
言葉も一つ一つがとげとげしい。
「まぁ、もうわかっているだろうが。俺達は、昨日お前が唯生に何をしたか知っている。これも……」
俺は《想片》の包帯を巻いた右手で、壁に刺さった枝を抜いた。
「没収させてもらう」
そのまま力を込めると枝はボキッと折れ、光の粒になって消えていった。
樹がぽかんとして俺を見た。
「……気づいてたの?」
「あれだけ力がぐわんぐわん渦巻いてたら、わかるだろ」
どんな業かはわからないが、この状況を逆転させる仕掛けがあったのだろうという事くらい察しが付く。
俺のあっさりした返答に、樹は困惑のまなざしを向けてくる。
こういう反応にも、いい加減慣れてきた。
エンドは今にもため息を吐きそうだし、唄華は後ろでかっこいいと狂喜乱舞……うざい、止めろ。
唯一、樹をじっと見つめ続ける唯生だけは、表情をピクリとも変えなかった。
樹が警戒を緩めないまま、自嘲するように少しだけ笑った。
「お兄さん変わってますね。ついてないなぁ。ただの優しい馬鹿だと思ってたのになぁ」
「……じゃあ、君は《反逆者》さんの正体も何も知らないで、相手がどんな人間かもわからないのに宿を乞うような真似をしたんですか?」
唯生が、ポツリと口を開いた。
「いつも?」
「……それが何だっていうの」
樹が憮然とした表情で返すと、唯生は感情を交えず淡々と言った。
「あの人が死んで、君が《産魂》を継いで、もう三年になります。あの人も大して何か残さなかったようなのに、どうやって生きてきたのかと思えば……。優しさは上辺だけで、恐ろしい人間もたくさんいたでしょうに」
まだ幼い少年がたった一人で。
どうやって生きてきたのか。
「……舐めてるの十二番。僕は、樹。六十九代目の《産魂》であり、生き返った存在なんだ。ただの人間を、恐れる理由なんて」
「いい加減にしてください。いつまでそんな幻想に浸っているんですか」
樹の言葉を遮るように、唯生は強く言い放った。表情とか声音とか全く怒っている感じはしないのに――怒っている。
樹もかっとなって怒鳴る。
「うるさいよ、十二番!」
「二人とも、落ち着け」
俺は慌てて間に入る。
「話し合いのために、お前らを会わせたんだ。喧嘩とか、言い争いが目的じゃない」
「話し合い……?」
樹がいぶかしげに言い、唯生が頷く。
「だったら、この業を解いてください」
「それはダメ。お前、絶対逃げるだろ?」
唯生を傷つけた前科持ちに、好き勝手させられない。
樹は、もう今にも舌打ちしたそうな表情だ。
「三十九番……僕は君に話があります」
唯生はまっすぐな目でそう言った。
「…………何?」
この状況では仕方ないと判断したのだろうが、たっぷり不満のこもった声だった。
「あ、すみません。その前に」
突然に唯生が、穴が開くほど樹を見ていたのにあっさりと視線を外した。
何が起こったのかと思ったが、すぐにテーブルのところにあった椅子を持ってきて、樹の正面に置き、座る。
「それで、最初に聞きたいのですが……」
「待て待て待て。お前、弟は立ちっぱなしなのに自分は座るのかよ」
何だか、微妙なポーズで動けなくなった樹が可哀想になってくる。
「……ギリギリまで我慢しましたが、体が限界でした」
「あ……」
動き回っているが、そういえば怪我人でした。
エンドの処置がなかったら、病院の集中治療室送りレベルの。
これは俺の気が回ってなかった。
「あー、すまん……」
「それでこの怪我のことなのですが。三十九番、どうして僕を攻撃したのですか?」
スルーされたあああああ!
ガン無視? あれ、気に障ったとか? 本当に、悪かったです! すまん。
エンドと唄華の痛ましいものを見るかのような視線を感じる。
俺の心の葛藤は総無視で、唯生は樹だけを見ている。
「どうして、僕を殺そうとしたのですか? 君にとって僕の存在は、そんな勝ちさえもないと思っていたのですが」
「……《僕》を否定したじゃないか」
唸るように樹は呟いた。
「出会った瞬間、開口一番に僕を否定した。《僕》の否定は、お父さんへの侮辱だ」
幼い顔を怒りで歪めて言い放つ。
「僕は……お前を許さない」
「僕は君を否定していません」
樹の言葉に、冷たいまでの淡泊な声で唯生は返した。
「否定したじゃないか! 自分が何を言ったか覚えてないの?」
「『いい加減、《樹》なんてくだらないモノマネはやめて、出来損ない同士、一緒に暮らしませんか?』 僕はそう言いました」
「ほらっ!」
「唯生。君はあまり交渉が得意ではないな」
エンドが顔をしかめている。
「自分の世界を盲信している者との交渉において、最初から否定を持ち込むことは大きな溝を産む」
「僕は三十九番を否定してません」
唯生は樹をまっすぐ見たまま言う。
「僕が否定したのは、《樹》なんてくだらない妄想です」
「うあああああああああああああああ!!」
樹が怒りのあまり、咆哮をあげる。
身体が動かないことが本当に恨めしそうに、唯生を殺意のこもったぎらぎらした眼で見る。そしてそんな樹を、冷静に見ている唯生。
その光景は、ただ一方的に悪を断罪しているかのように見える。
「唯生……お前には、《自分》を獲得したお前には、樹の気持ちはわからないかもしれないが、……少しは汲んでやれよ」
躊躇しながらもそう言ってしまったのは、自分と兄の関係を思い浮かべていたからだ。
あいつも正義振りかざして横暴なところもあるが、多少はこっちのこと考えようと努力してくれている。俺たちが理想の兄弟とは口が裂けても言わないが、今のお前らは――これは兄弟の姿じゃないだろう。
「…………わかってますよ」
消えそうな声で、唯生は小さく言った。
「え?」
「わかってます。だって、僕も同じだったのですから。お父さん、お父さん、お父さん。僕は僕なのに、《樹》の記憶の中にあるあの人を慕う気持ち、《樹》になろうとしていた僕の想いが入り混じって、思い出してしまって嫌になる」
感情を殺すかのような棒読みの言葉は、《樹》にひきずられないようにするため。
「だから知ってます。……三十九番」
口を堅く結び、睨んでいる樹にむかって唯生は言う。
「辛いでしょう?」
樹の目が驚愕のような何かで見開かれた。
「寂しいでしょう? 悲しいでしょう? 報われない。どれだけ望んでも得られない。ものすごく大好きな人から、何も与えてもらえない気持ちは――最悪です」
「僕は失敗作とは違う」
樹は言った。
「僕は《樹》だよ。お父さんの研究は成功して、僕は生き返ったんだ。僕のことが好きだから、お父さんは僕のことを生き返らせてくれた。だから、今度は僕がお父さんを……」
「たしかにあの人は成功したと喜んでいました。僕はすぐに売り飛ばされたから知りませんが、君を抱きしめたでしょう。君に僕には与えてくれなかった愛情を注いだでしょう。でもその幸せはいつまで保ちましたか?」
動けないはずの樹の身体が、小さく震えたかに見えた。
「そ、そんなこと」
「あの人も、もうおかしくなっていましたから。重大な違いから目を逸らして、《樹
》の記憶に従うことで《樹》になりきった君をよしとしました。でもずっと目を逸らし続けられるほど、あの人の理想は低くありませんでした」
「やめて」
淡々と語る唯生に、樹は声を震わせた。
「君は《樹》じゃない。もうそろそろ自分をごまかすのも限界なんじゃないですか?」
「やめてって言ってるのに……!」
「三十九番、君は」
「黙れえええええええええええええええええええええええ!」
二か月ぶりと言う、とんでもない遅筆っぷりです。
言い訳と言うか、理由はいろいろあるのですが、ココはあえて何も言わずに反省します。
ごめんなさい。
この章ではエンドの過去についても触れたいと思います。
来週には投稿できるよう、自分を律します!!