第二章 ツタエたいコトノハ3
玉垣神社の神主、六十八代目の《産魂》、玉垣勇巳はどこにでもいる男だった。
受け継ぐ者として厳しい修行を受けていたが、いざ当主になってお役目を継いだ瞬間にそれらはぱったりとなくなり、彼は普通の生活を送り始めた。
神社でのおつとめを日々こなし、愛すべき人と出会い、子を授かり……。《産魂》という役目はただの肩書で、神を生み出すという突飛な目的のために何をするという事もなかった。
少し変わったことができる一般人。
自分でもその認識しかなく、その当たり前の日常の幸せをかみしめ満足していた。
ある日、七歳になったばかりの息子を亡くすまで。
よくある悲劇。よくある惨劇。よくある絶望。
言い方は悪いが、誰もが味わう可能性がある現実だ。
多くの物が涙を流してきた。その者らと同じように彼も嘆いて――。
違ったのは、彼が否理師といった理を歪める力を持つ者だったということ。
端くれとはいえ、長年の知識がある。長年積み上げてきた業がある。
力を持っている者は、凡人とは世界の見方が違う。
だから――彼は息子の死を受け入れることの必要性を感じなかった。気に入らない理なら変えてしまえばいい。
息子を蘇らそう。
その思いを誰が責められよう。
彼の一族が紡いできたのは、神を生み出すための業。
どれも実を結ばなかったが、《人》ならば可能かもしれない。
溢れ出した想いは止まらなかった。中途半端な希望があったせいで。
埋もれた業を掘り返し、現代の科学も利用して、再び我が子を蘇らせるために。
作られたのは四十一体のクローン。
胎児のままで処分されたのは、一体どれほどの数だったのか分からない。失敗作は《想片》の材料とされた。
無数の命の山から選ばれた四十一体の器には、名前もなかった。数字だけが振り分けられていた。
『十二番』
乾いた声で呼ばれ、まだ五つにもならない子供は駆け寄る。自分を見下ろしている冷たい目を意識しながら、おずおずと服の裾を掴む。
『お父……』
その先を拒むように、彼は裾を翻し子供の手を振りほどく。
子供は顔を俯ける。やっと思い出したその言葉を受け入れてもらえない理由が分からなくて、どうして自分がいっぱいいるのか、どうして毎日実験させられるのか分からなくて。
どうして。
伸ばした小さな手に気づいてもくれない、全てを拒絶してくる背中が記憶と大きく違っていてただ愛されることだけを望んでいた。
記憶の中の通りに。
《産魂》が行っていた実験は、記憶の定着。否理師として、魂を信じていない彼にとって、同じ記憶を持ち、同じ性格であり、同じ行動パターンをする者が《樹》だと定義した。
クローンとして生まれた時から、死んだ樹と同じ《記憶》を植え付けていく。
自分が覚えている樹の姿、成長の記録、わかる限りの《樹》の情報を全て複合させ、彼が思うところ完全な樹の記憶を復元させていた。
難関は、それが定着しないことだった。
生きている限り記憶は積み上がる。樹のモノではない記憶をクローンたちから消し、上書きするようにメモリーを入れても単純には受け入れない。
拒絶反応を起こして、植物状態になってしまう個体もいた。
時と共に彼の精神は擦り減っていく。何度も頭をよぎる不可能と言う言葉を振り払い。《秩序》からくる再三の呼び出しも無視して。
時間が無くなっていることを彼は感じていた。
《秩序》から召集の連絡が来るという事は、まだ自分が《罪人》とされていないことを意味している。《秩序》も悩んでいたのだ。
果たして、自分で作って自分で壊す行為を人殺しと言えるのだろうか、と。そもそもクローンは人間なのだろうか、と。
でもいつ、彼の行動が《秩序》に違反しているとされるかわからない。
彼の目的は、『息子とまた暮らす』ことだ。それだけは、絶対に避けなければならなかった。
焦り、無茶な実験を繰り返して、クローンを何体も潰した。
『お父さん』と呼んでくる未完成品たちがうるさくて、貴重な器なのにぞんざいに扱った。また作り直せばいい。完全を手に入れるまで、何度だって。
『十二番……』
疲れた声で、彼は数字を口にした。
『……なに? お父さん』
不安そうに十二番は顔を上げた。
同じ声、同じ顔、同じ体格、全てが記録に在る物と同一。
通常ならば、クローンでも環境が違えば成長具合に違いが出るものだが、彼の管理は完璧だった。手抜かりはない、記憶の完璧な定着こそ成功していないが、姿形は愛しい我が子に寸分たがわないものだった。
でも、それもその日までが限界だった。
『お父さん。ねぇ……』
しがみ付いてくるときの顔が、記憶にある樹のモノと違う。樹はそんな風に自分をおずおずと見て来なかった。
今まではそれの原因である記憶をすべて消していたが、その日は違った。
『《樹》は今日で……死んだんだ』
七年と一か月と三日。十二番は、樹が死んだ日までの成長を終えていた。
だから、
『最期の実験だ』
いっぺんに強引に、樹が死んだところまでの記憶を全て、上書きするように頭の中に叩きこんだ。
死の映像は強烈なまでに、十二番の心を引き裂いた。自分の知らないものが自分のものとして書き直されていく感覚。微かに手に入れていた自己の消滅。今までの実験で何回も覚えた喪失感。
それまでの個体は、ここで発狂して死んだ。死と言う概念を、むりやりに体験されることに幼い精神が耐えられるはずがない。
それをわかっていながら、彼は蘇ってくる樹にそれを強要した。完全なる樹の復活とは、死を乗り越えたという事だから。
疲れ果てていたとはいえ、希望を捨ててはいない。
十二番が悶え苦しむさまを観察して、彼はじっと息子の復活を待った。
どうか、今度こそ……
我が子の姿をした者が泣き叫ぶ。その光景に、もう心なんて動かない。ニセモノはいらないのだから。
どうかもう一度《樹》を――
悲鳴は徐々におさまり、体の痙攣も静まる。その変化を一瞬たりとも見逃さない。
全てが終わりデータをたたき出した瞬間、彼はやつれた顔を破顔させた。初めて記憶の定着が成功した。うっすら目を開いた検体は、今までとは違い正気を保っている。
喜びに声を上げ、『息子』を抱きしめた瞬間――その幼い体は固く身を強張らせた。
樹ではない。
見えたはずの希望が、一転絶望へと転がり落ち、彼は泣き叫ぶ。
その姿を十二番――唯生はただ見ていた。
「その後、あの人は僕を処分しようとしたのですが、《秩序》の監視の目が厳しくなっているのが分かっていたので、軟禁する程度で我慢しました」
他人事のように唯生は語る。
「データをとるために実験だけは続けましたが、記憶は定着しているはずなのに僕には一切の変化がないので、もう樹の器候補でもなんでもないただのモルモット扱いでしたが」
本人から聞く話は、《道化》から聞いたものよりもさらに凄惨だった。
「僕が僕になれたのは、最期の実験のおかげです。僕はあの死をどうしても受け入れられなかった。自分のものだと思いたくなかった。だから、今までに植え付けられていた樹の記憶を全て他人のものとしたんです。思い出してもさながら他人の人生のドラマを見ているという感じですね。樹の記憶を全てそういう風に扱ったので、《僕》のものの記憶としてはあの人に拒絶される思い出ばかりで――、僕になれた前のことは正直あやふやです。今となっては、どうして自分が樹だと思い込んでいたのかもわからないんです」
樹になって壊れるか、樹を放棄して父の愛を完全に諦めるか、選択肢はそれだけしかなかったのだ。
「お前が《道化》の所に行ったのは、確か十歳……だったよな」
夕方の話を思い出しながら言うと、唯生は頷く。
「はい。四十二番で実験が成功したので、用済みの僕は先生の所に売られたんです」
こっちがあえて避けたところを、またあっさり言うな。
いつもと同じ淡泊な表情しか見せないから、本当に何も感じてないように思えてしまう。
生み出されたものに拒絶されて、愛されなかったことを――辛い者などいないだろうに。
「《反逆者》さん。そんな情けない顔をしないでください。はっきり言わせてもらいますが、僕はマジで、全然、そんなこと気にしたことないですから。気遣いは余計なお世話ですよ」
きっぱりと強い口調で言われ、図星であったことにあせる。
「は、はぁ? おっ、俺は別に同情とか」
まさか、唯生も唄華と同じく読心術を……
「心を読んだ、とかでもないですからね。未だに《秩序》でも、知っている方の多くは僕をそういう目で見てくるので。魔女さまも、ですが」
ちらりと見られたエンドも「うっ」と、気まずそうに目を伏せた。
「同情なんていらない。と、言うと、まるで僕が気にしているのにそういう振りをしていると勘違いされるので、この際こう言いましょう――好きに僕の過去を妄想してくださって構いませんが、僕は今とても幸せなのです」
その時、初めて唯生の笑顔を見た。
小さく、隠すようにほんのわずかに口角を挙げて、目を細め。
「僕は先生に出会えて、世界を知れることがこの上なく嬉しいです。いろいろな方と話をし、見聞を深めることも楽しいです。しかし何よりも、僕は《僕》としていれることに幸いを感じています」
その言葉には、わずかな嘘も感じられなかった。
「《僕》として物事を見、感じられることが僕にとって何にも代えがたい喜びです。この自由を何よりも愛しいと思い、《僕》自身に誇りをもっている。だから、あの人には創造主といった点では感謝していますが――他人として生きるよう無理矢理強要してきたことには、激しい怒りを覚えます」
声の調子は変わらないが、まっすぐ俺の眼を見てくる姿は鬼気迫るものがあった。
「だから僕は――四十二番が理解できない」
首を小さく傾げる。悩ましげにつぶやく。
「死んだあの人の影を追いつづけて、しかもあの人を生き返らそうなんて……ばかばかしいことです」
がたりと、俺は席をたつ。
唄華とエンドは俺の突然の行動にびくりと反応したが、考え事をしている唯生は気づかない。
言葉はそのまま紡がれた。
「本来四十一体しかいなかったクローンの、おまけの四十二番だって――《樹》になれなかったニセモノなのに」
「唯生! 逃げろ!!」
とっさに唯生を突き飛ばすと、紙一重で木の枝が彼の顔をかすめた。樹の枝は、そのままの勢いで壁に突き刺さる。
どこかで見たことがある枝――。
弾丸のような速さでそれを投擲した本人は、リビングの入り口で――泣いていた。
「そんな……こと、ない! 僕は、《樹》で……っく、僕は……僕が《樹》なんだからな……っ! 出来損ないの……十二番」
幼い子供のように涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をさらして、全身でそう叫んだ。
次回は樹と唯生が戦うのか……闘うのか……?