第二章 ツタエたいコトノハ2
特に何事もなく時は過ぎていった。
いや……細かいことを言えばいくらでもあるのだが、言ってたら切りがないから割愛しよう。
見た目は、唯生をほんの少しだけ小さくした感じの樹は、健全なことに時計の針が九時を少し過ぎたくらいですやすや眠ってしまった。
俺はリビングで唄華に入れてもらったコーヒーを飲みながら、樹がちゃんと客間で寝ていることを感覚で把握する。少し甘めのコーヒーを口に入れると、向かいで唄華が「うふふ、夫婦みたいだな~」と、しまりのない顔でにやにやしていることにはもう突っ込まない。
「このまま今日は徹夜?」
「ん……、別に寝てもあいつが動いたらわかると思うが、まぁ一応な」
「可愛い子だよね、樹くん」
「そうだな」
食事中とか、何気ない会話とかでも、その人懐っこそうな目と無邪気な受け応えは、子どもらしくて可愛いと言えるものだろう。先入観と勘が知らせる警鐘がなければ、うっかり気を抜いてしまいそうなくらいに『普通の子供』だ。
「あー、でも、話の内容がファザコンすぎて、ちょっとそこは大丈夫って感じだったけど。お母さんのことは『嫌いです』の一言だったし」
「………」
『お母さんは嫌いです』
『お父さんを捨てて、僕を受け入れてくれない酷いお母さんでした』
そりゃあ、そうだろう。
受け入れられるわけないだろう。
死んだはずの息子が帰ってくる。悲しみの中で、それでも耐えようと日々を過ごしていたのに、ある日突然に『帰ってくる』。
本物と、寸分違わないニセモノが。
それが分かっていて、同じ者として接するなんてできるはずがない。
不気味に思う。怖くなる。『本物』に申し訳なくなる。
受け入れられるわけないだろ――――。
「深漸くんのトラウマにもろ被りだね」
「うるさい」
「ふふふ」
ため息を吐く。いけない、無駄なことばかりが頭の中を巡る。
「深漸くんは、考えすぎだよ。もっと気楽にあっぱらぱ~に生きようよ」
「お前みたいな生き方ができたら、みんな楽なんだろうな」
「えっへん」
「誇るな。皮肉だ」
くだらない話をだらだらしていたが、「ん?」と不意に気になった。
「そう言えば唄華、今日親がいないって言ってたな。最近見てないと思ってたけど、忙しいのか」
唄華の両親には数回ほど会ったことがある。参観日とか、体育祭とか。唄華の実の親とは思えないくらいどこにでもいる平凡な夫婦と言う感じで、『鳶が鷹を産む』と自分たちのことをよく自嘲していた。
「そうだね。どっちともなんか会社でビックプロジェクトを任せられたとかで、あんま家に帰ってこないな~。まぁ、私が高校生になったから安心したってところもあると思うけど」
唄華はオレンジジュースを飲みながらそう言った。
ふと思ったが、あまりこいつから家族の話を聞いたことがない。
思春期にありがちな、父親との対立とか。
俺は……中学のころを思い出すと、いろいろ恥ずかしいことがあったな。
変に大人になった気分になって、ぐちぐち言われると腹が立って、自分のモノのように扱ってくる親に反感する。
別に親は俺を束縛したいのではなく、心配してくれるほどあ……あ、愛してくれている……のだと気づいたのは、随分最近のことだ。
俺は自分の思考が恥ずかしくなって、ずずずとコーヒーを一気にすする。
当たり前の家族……。
誰もが当然と思ってしまっているその幸せを、どうして得られない者がいるのだろうか。
世界は相も変わらず慈悲がない。
「深漸くんはこの世界が嫌い?」
「そんなわけないだろ。だったらエンドを止めたりしない」
「深漸くんが守りたいのは世界じゃなくて、周りにいる『みんな』でしょ?」
唄華が俺の眼を見て、笑う。
「魔女ちゃんじゃあるまいしさ~、人類全員を守る! 何てこと言えないもんね。人にとって守りたい世界とは、どう頑張っても自分の周りを想像するのが精一杯だと思うの。だからさ、みんなが好きだけど、世界の理が嫌いって言うのは矛盾じゃないんだろうな~」
「……何が言いたい?」
意図が理解できず首を傾げると、唄華は身を乗り出し嬉々として口を開く。
「つまりさぁ、もしも神様がこの世界に居て、深漸くんの好きなように理を変えてくれるとしたら――何を望む?」
世界のルールを思い通りに出来るなら――、
嘆き悲しみ痛みがある世界を。
「くだらない」
バカげた問いを俺は一蹴する。
「この前、話しただろう? 神様とやらはいるらしい、でもそいつは死にかけてるって。だから、俺がするべきことは神の《終わり》を失くすことだって。そんな死にかけの奴に祈るとか、無茶だろ。むしろ俺は神を救おうとしている側なんだからな」
「うん……そうだったね」
唄華が目を細めて、ふっと笑う。
妙に優しげな瞳に俺が映っているのが見えて、思わず目を逸らす。
「だっ、だから、俺が今考えるべきことはせいぜい神に会って、神に会って……」
……どうしよう。
さすが『無理だ』、『不可能だ』と言われ続けたことあって、ぶっちゃけまだ解決策は何も見いだせない。
デュケノアの業を使って時を止めるとか考えたりもしたが、それができるのならエンドが簡単にあきらめるはずがない。既存の業では成し得ないと、すでに証明されている。
新しい業を見つけなければ――。
「深漸くんっ! ファイト~!」
「うるさい。――っ」
がたりと、俺は椅子から立ち上がる。「深漸くん?」と首を傾げる唄華を横目に、俺はガシガシと頭を掻く。
「ったく、何で連れてきてんだよ」
独りごちて、俺は足早に玄関へ向かう。
樹の気配に細心の注意を払いつつ、そっと扉を開ける。
「……お邪魔させてもらう」
「エンド、お前が一番この状況をわかってるくせに」
らしくない。
《魔女》の代名詞ともいえるコートを羽織り、後ろには包帯塗れの唯生を連れている。自分で何でも解決しようとする、エンドのスタイルから外れている。
「お前のことだから、樹に同情的だと思っていたんだが」
「勘違いするな。私たちは争うために来たのではない」
後ろで唯生が痛々しい体をかばいながらうなずく。
「僕は……話し合いに来たんです。僕は……」
顔が上がり、目が合った。思わず気圧される。
「《兄》ですから」
強い意志。今までの唯生に抱いていたイメージがガラガラと崩れ去る。
「……それなら、俺は何も言えないな」
妙な既視感を覚えた。思い出そうとするだけで、顔をしかめてしまうような。
そんな記憶の中に。
次こそは、唯生の過去を語ります。
ぽっ、ぽっと少しづつ出して、引っ張りすぎたかな~と未熟さを感じました。
当分無理ですが、完結したら改稿してみたいです。