第一章 モウ一つのハンギャク3
どうしてこんなことになっているのだろうか。
事態が俺を置いて進んでいく。何度繰り返しても、慣れるもんじゃない。
「お兄さん、どうしたんですか? 変な顔して……、あっ、このアイス食べます?」
「いい。なんでこんなに寒いのに、アイスなんか食えるんだよ」
「だって僕、好きなんですよ」
好きだからと言って、そんなに震えながら食べなくてもいいだろうに。
樹は口に付けるたびにぶるりと震えながら、棒付アイスをほおばる。
見てるこっちが寒い。
寒空の下、公園のベンチでアイスを食べる少年(殺人未遂容疑者)と、肉まんを食べる俺……。
どんな構図だ。
いや、ここまで深入りはするつもりはなかったのだが……。
『あそこ』ってコンビニを指さした方角と逆の方向に歩き出すのだから、焦った。何度も引き留め、『あっちだ!』って教えても、
『え、だからこっちにいって、ぐるりと回って……』
『なんでわざわざ遠回りする必要があるんだ?』
『……?』
会話が成立しなかった……。
方向音痴なのか? 俺が先導したらちゃんと行けたが、その後トイレに行くといって、外へ出て行ったのにもビビった。
その時も、『え、だから外に出て反対側から……』
反対側にドアはないから。コンビニにトイレがあることを知らない人かと思った。
お節介なことをしてたら、いつの間にかこうなっていた。
否理師って、なんでどいつもこいつもまともな奴がいないんだ。
隣をちらりと見ると、そこにいるのは格好とかを除いたらどこにでもいる平凡な少年で、唯生を襲ったということもとても信じられない。
似すぎているとはいえ歳が三つほど離れているから、兄弟と周りから見られてもおかしくないだろうに。
『唯生』と、『樹』。
俺は大体の事情を知ってしまっただけで、彼らが何を思っているかなんて何も知らない。
秋の空はもう真っ赤を通り越して、うっすら青みがかかってきている。
俺は最後の一口を飲み込むと、まだ頑張ってアイスを食べている樹の顔を見ないまま、何気なく言った。
「そろそろ帰れよ。親に怒られるぞ」
その言葉が、どれほど残酷に響くものかを知っていながら。
彼に親はいない。
彼に帰る家はない。
肉親よりも自分に近しいものである『唯生』にさえ、刃を向けている。
彼は、一人だ。
周りには誰の気配もない。だからこそ、言えた言葉。
沈黙はほんの一秒もなかった。
「お兄さん。僕ですね、修行の旅の途中なんですよ」
予想に反して、声は無邪気に響いた。
「修行? ふ~ん、怪獣でも倒すのか」
「何言ってるんですか、そんな非現実的なものいないですよ」
茶化して返したら、真面目に斬り返された。
子供に言われるということは、地味に傷つく。
「修行の旅と言うのは、お父さんとの約束を果たすことでして、それができるまでは絶対に帰ってきちゃダメって言われてるんですよ」
その約束って、いつしたものなんだ?
お前はいつから家に帰れていないんだ?
そんな言葉を飲み込んで、俺は無理にふざける。
「買い物を頼まれたとかか? 『はじめてのお買いもの』みたいな感じで、実はお父さん心配で、ストーカーされてるんじゃないのか」
「はぁ……お兄さん。僕、もう十三歳ですよ」
やれやれ、という感じに今度は肩を竦められた。
ボケがなってませんな、みたいな感じで言うなよ。
周りがボケばっかりで、つっこみばかりしてきた奴にこの状況をさばくことなんてできるわけないだろ。
「まぁ、詳しくは話せませんがね。修行が完了すれば、僕は一回りも、二回りも成長して、胸を張ってお父さんに会いに行けるんです。それまでは流浪の一人旅、ですよ」
台詞に中二臭さが見え隠れしているのは、萌芽の前兆か、
生き生きとした表情で夢を語る少年。
今までは何も知らずに振り回されることが多かったけど、今回は全てを知らされてしまったがゆえに振り回されている。
これはこれでやりにくい。
精神を地味にすり減らされていっている気がする。
その明るい表情が顔に浮かぶたびに、やるせない感情が湧く。
前が父親に何を課されてしまったのかは知らないけど、でもわかっているんだろ?
もう会うことはできないって、わかるだろ?
死んでしまったものは蘇らない。
お前らの父親、先代の《産魂》が散々思い知ったことだろ――
「というわけで、今晩、お兄さんの家に止まらせていただけませんか?」
「……はぁ!?」
思わず、とんでもなく大きな声を出してしまった。
「なっ、何を突然……」
「いくらかのお小遣いは持っているのですが心許なくて、ここであったのもお父さんの導き! 今晩、止めてくださるんですよね?」
「何でもう決定みたいな感じで言ってるんだ!? ダメに決まってるんだろ!」
「どうしてですか?」
どうしても……ダメだろ。
こいつは唯生を襲った犯人で、しかも唯生は俺の家にいるわけで、とても敷居をまたがせることなんてできない。
監視と言う意味ではそうしたい気持ちもあるのだが……。
「お兄さん、優しい人ですよね? 僕にアイスをおごってくれましたし、こんな寒い日にボクを野ざらしにする気ですか」
「まずはその格好をなんとかしてから、そのセリフは言ってほしい」
半袖Tシャツに短パンで上着なんか着てない。そりゃ寒いだろ。アイスを食べているからとか関係なく震えて、唇だって紫に近い。
なんでそこまで頑張る必要なんだよ。
お前がそんなに縋っているものって――
「深漸くん、見―つっけた!」
「うわあああああああああああ!!」
背後から抱きつかれ、びくりと跳ねて振り返る。
「うっ、唄華。なんで」
確かに注意散漫にはなっていたが、こんなに近寄られるまで気づかないなんて。
「最近、足音とか気配を消すストーカー……いやいや暗殺術を通信講座で学んでね~、これでまた深漸くんをとらえることができるよ!」
さっき、ストーカー術とか言わなかったか。
暗殺術も恐ろしいけど、なんでそんなやっかいな通信講座があるんだよ。
勘が鋭くなっていたおかげでうまく逃げれて、この頃は平穏な日々を過ごせていたのに……。
この急展開について行けていない樹が、おどおど口をはさむ。
「あ、あの? お兄さん、こちらの方は……」
「うわっ! 可愛い子!! お姉さんの家に来る? アメちゃんあげるよ~」
「何だよその不審者発言…………っ!」
ぱっとひらめいたその案に、俺は迷うことなく飛びついた。
「なぁ、唄華! 今日、お前の家大丈夫か?」
「えっ、あぁ、うん。もちろん……だけど」
よしっと、さりげなく心の中でガッツポーズをした俺は気づくべきだった。唄華が珍しく言いよどんで頬を染めたことの真意を。
「こいつ、今日泊めてやってほしいんだ! 頼む!!」
そう言った瞬間に、目に見えてがっくりした顔で「……いいよ、別に」と口を尖らせたことに。
「お兄さん、ありがとうございます! 本当にお兄さんとっても優しいです!! お姉さん、よろしくお願いします」
「あはは、あぁ、よかった! さすがに子供を一人で放置するのは気が引けるからなぁ。助かったよ、唄華」
「ううん。困った時こそ唄華ちゃんだよっ!」
急にまた唄華が元気を取り戻して、女神の微笑みを見せたことに。
気づくべきだったんだ――
バタンと、扉は閉められた。
がちゃがちゃと鍵が幾重にもかけられた。
樹を唄華の家まで連れて行って、玄関でお暇しようとした俺の目の前で。
「唄華。どっ、どうした……」
寒くないはずなのに、俺の脚は震えていた。
「深漸くんも、今日は泊まるんでしょ?」
その時にやっと俺は気づいた。
自分が大きな過ちを犯してしまったことに。
「今日の晩御飯、親いないから私が作ってあげるね」
るんるんとスキップで廊下を駆けぬけて行った唄華を、俺は呆然と見つめることしかできなかった。
×××
まだ否理師と言う言葉が生まれる前から、日本に存在していた一族。
それが《産魂》。
産魂とは神道における概念で、天地・万物を生み出す神霊を指す。
このことより、彼らの目的は明白である。
その神霊、神を生み出そうとしていたのだ。
どんな崇高な目的意識があったのか、どうしてそれを目指そうとしていたのかは今となってはわからない。
平安時代から始められた、全盛期をとうに過ぎたそれは、惰性で続けられていた。
玉垣神社の跡取りとなる長子が、伝統のようにその研究を引き継いできただけ。
長年の成果ですぐれた理を弄る業をいくつか得て、《秩序》からもその存在を否理師だと認められてはいたが、もはや意味などなかった。
目的は実を結ぶ気配さえなく、それを遂げる理由さえない。
ただなんとなく、続いてきただけのモノのはずだった。
神を作ることなど不可能だ。
でも、人ならば?
この余りあるほどの知識を用いれば――
六十八代目《産魂》で、それまでの玉垣の一族の全ては終わってしまったと言っていい。
目的が変わってしまった。惰性とはいえ受け継がれていたものを、すべて捨ててしまったのだ。
息子を蘇らせるために。
六十九代目の《産魂》となるはずだった、《樹》を蘇らせるために。
今回は順調に更新できてます。よかった~
次話は、在須……どうなるんだろう。
友達の家にお泊りって、楽しいですよね!!