第一章 モウ一つのハンギャク2
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子犬のようについて行けば、無邪気に笑えば、父と慕えば――、
振り向いてくれると思っていた。
ぐちゃぐちゃの記憶の欠片が「そうだ」と疑いなく言うから、僕は何度もその背を追った。
どうしてお父さんが、僕が転んでも、僕が泣いても、僕がすがっても、もう抱きしめても見てもくれないのかもわかっていなかったんだ。
全部を思い出させられて、『僕たち』が壊れきってしまうまで、『僕』がちゃんと生まれたあの時まで、バカげた夢にしがみついていた。
×××
俺は、唯生の顔を見た。
傷だらけの青白い顔。起きて動いている時もあまり生気を感じない奴だったが、今はなおさらだ。
そして彼の過去について知ってしまった今は。
「……くそ。どういう顔をすればいいのかわかんねぇ」
「在須。下手な同情心は逆に相手を傷つけるぞ」
すかさず窘めてくるエンドに、俺は少し顔をしかめる。
「わかってるよ。いつも通りに接するつもりだ。ただ、な」
『どうした、《反逆者》よ。何か言いたげじゃな』
虚空から響く《道化》の声は嫌になるくらいはずんでる。
あんな話をしたばかりなのに変わらない道化に、常人とは違うずれを覚える。
「……さっきの話を聞いて気分悪くならない奴はいないと思うが」
『どうかの? こんな願いの話はどこにでもあると思うが。ただ主人公が否理師であって、物語を先に進める術を知っていたという違いだけじゃ』
それだけの違いが、大きな間違いを産む。
ほんの少し、違っていただけなのに――
『それとも、もしかしてお主はあいつに自分を重ねてしまったのか? 唯生の父親に。手を伸ばすのが間に合わず、大切なものを失ったあの愚かな否理師に』
「うるせぇよ」
図星だった。だから俺は振り払うように道化の言葉を遮る。
「だからこそ、気持ち悪くて仕方ないんだよ」
思わず嫌悪を交えて吐き出すと、『ほう』と感心するような声が聞こえた。
『何やら素直じゃのう? もうそろそろ反抗期も終わりか。窓ガラスも割らず、バイクも盗まず大人になろうとしているとは脱帽じゃな』
「《道化》、在須を舐めるな。男児三日会はざれば括目して見よ、というやつだ。彼は日々成長している。この前も、取れた制服のボタンを家庭的女子に縫い付けてもらっていたのだ。ここまで進まれては、私にはもう口出しする余地は残されていない」
「お前ら二人して俺をからかってるだろ! それに家庭的女子って唄華のこと言ってるのか? あいつがボタンを全部引きちぎってきたんだよ!」
しかも、そのボタンを全て第二ボタンの位置に重ねて縫うという荒業まで行った。それのどこが家庭的だ。
というか、なぜエンドがそのことを知っているのだろうか……
笑いを堪えようと頬をぴくぴくさせるエンドに、『ひゃああああああああああははははははは!』と耳に障る道化の嬌声。唯生が起きるだろうが。
こいつらに会ってから何度目かわからない深いため息を吐いた。
「じゃあ、行ってくる」
気を取り直すようにそう言うと、エンドが顔を上げた。
「在須、無茶なマネは……」
「そんなことしない。ただ、ちょっと辺りを見てくるだけだ。手を出すような馬鹿な真似はしない」
この部屋には結界のようなものがはってあるから、ここに居る限り唯生は安全らしい。
だが、話を聞く限りこのままそいつが唯生を諦めるとは思えない。そして唯生も、目が覚めたら間違いなくそいつを追うだろう。
だったら、勘がいい俺がさっと見回ってくるのは今後のために妥当な案だ。
わかっているだろうに、エンドは顔をしかめて言う。
「そういいながら君はいつも勝手に行動するからな、信用ならん」
そんなこと……あるから、何も言えない。
『大丈夫じゃよ。儂が一緒についてやるからのう』
ピクニックに行くかのようなノリで、道化が口をはさんだ。その時ふと、思い出したかのようにエンドが言った。
「そういえば、《道化》。今日は何を媒体にしているんだ? 確かこの声を遠くに飛ばす業は、他の生物を介さなければならなかったはずだ」
「そんな業なのか。他の生物……カラスか?」
窓の向こうにでもいるのだろうか。
だが《道化》は『ひひひ』と笑う。
『はてさて、なんでしょーか?』
次の瞬間、俺とエンドの顔が刹那の内に緊張に引き攣った。
空気が凍りつき、全身から汗が吹き出す。
耳元にかすめるような音、二人の視線が重なる場所。
エンドの足元にG――――――
ぶつりと、《道化》の声が消えた。
まだ残る緊迫した空気にごくりと俺は息を呑む。
「在須……」
エンドが何かを悟った濁った瞳で俺を見た。
「行ってらっしゃい……」
「あぁ。行ってきます」
乾いた声が交差した。
エンドの踏み出した足にとらえられたあいつ。スリッパの下のおぞましき光景。
乙女として、なかったことにしたい現実。
俺は全てを理解し、速やかに部屋を去った。
×××
そろそろ冬の気配が見えてきた秋の終わり。マフラーを巻いて外に出ると、久しぶりの快晴だった。風は肌寒いが、比較的過ごしやすい温度だ。
これならぶらぶら散歩してても、大して怪しまれない……よな。
散歩の習慣がないからよくわからないが、こういうとき何をすればいいのだろう。
ただぶらぶらしていたら不審者のような気もするし、いや風景を見て味わっているという感じでいいのか。
どうも落ち着かない。
とりあえず、人通りが多い駅の方へ向かっていってみようかと、歩を進めた。
《見回り》と言ったが、それこそ挙動不審にキョロキョロ左右を見る必要はない。
俺の勘の方も修行とかもろもろのおかげで鍛えられているのか、人の気配には前以上に敏感になった。
特に否理師の気配は、他とはなんとなく違う。
ざわざわしてくるというか、説明がしにくい勘の話だから具体的にいえないのがもどかしいが、これは結構役に立つと思う。
エンドも、俺がしているのは普通業を使わないとできないと言っていたし。
「そう考えれば、俺って結構イレギュラーだよな……」
自分で言うのもなんだが。
多少自覚はあったと言え、周りにおかしいと直接言われるようになってしまった今となってはそれがやけに気になる。
――俺って、何なんだろうか。
まるで自分探しにふける思春期少年の気分に浸っていたが、ざばりと水から引き上げられたかのように急に意識がそれに向かった。
角を曲がった瞬間に気配で感じ、目で確認し、俺は息を呑む。
こんなにも早く見つけられたことの驚きよりも、話に聞いていた以上だったことに目を見張る。
バス停に立ち、時刻表を食い入るように見つめる『少年』。
Tシャツに短パンといった、この季節には合わない衣装を除いては特に変わったところなどない、平凡な線が細い少年。
こいつが……
なんとか平静を装って、何気なくその横を通り過ぎよう足した時――、
「お兄さん! ちょっと待って」
身体がビクッとなり、思わず足を止めてしまった。
あれ? え? 俺、間違いなく通行人Aだったよな。プロも顔負け……はいいすぎだが、常任レベルの演技力でがんばったんだが。
気づいてるはずない。気づいてるはずがない。
やばい、無視すればよかったのか。それとも、もしかしてもう気づかれて……。
「お兄さん、お願いします。コンビニってどこにありますか?」
……ん?
あまりにも突然な問いに俺は振り返る。
「……コンビニ?」
「はい。トーソンでも、ファミオでもなんでもいいんですけど……」
「あそこ」
俺は指差す。
「えっと、どれですか?」
「ほら、ここから徒歩一分くらいで行けそうな距離に」
「あれ……?」
少年が唖然とする。
俺はこの少年の目がどこについているのか心の底から心配した。
だって、このバス停の道路向かいにあるんだぞ……セバスイレブン。
「あ……あはは、すみません。僕、方向音痴で……」
苦笑いをする、中学生に上がるか否かの境目くらいの少年。
その表情を俺は初めて見た。
唯生は、そんな顔をしない。
「あ、僕、樹って言います。お兄さん、本当にありがとうございます。」
その名は知ってる。
昨晩唯生をあんなふうにした――。
少年はぺこりとお辞儀をして笑って、立ち去る。
唯生の顔で俺を見て、唯生の声で話しかけてきて――存在そのもの、気配そのものが唯生と寸分たがわない。
あれが、『樹』。
唯生の弟。
もう一人の唯生。
唯生と同じ、クローン。
遅くなりましたー!!
言い訳やらは活動報告にてさせていただきました(汗
これからはもう少し以前のスピードぐらいにもどしたいのですが……がんばりたいです。
前回、唯生の過去話と言ってましたが、ほんのちょびっとしか、しかも今回すっごいあやふやです。
しばらく書いてなかったので鈍ってます。リハビリもかねてガンガン書きたいところです!




