五章 ツヨサと混じりあうヤサシサ3
永河原絵亜はぽつりぽつり、語り始めた。
落ち着いた彼女は美術室の椅子に腰かけて、深くため息を吐いた。
「慧子が亡くなったのは、今年の三月十七日。もともと体弱いのに無理した結果、風邪をこじらせて……それなのにまだ無茶をしたから……」
彼女はぐっと唇を噛んだ。
それからの絵亜は精神の安定を崩し、家にずっと引きこもっていたという。会えなかったとはいえ離れて暮らす娘を想っていた母は、彼女の気持ちを汲み、心の整理をさせてあげようと休学届を出してくれた。
「毎日、毎日、真っ暗で、この世界を憎んでいたわ。優しくない現実を、そして偽りの優しさである自分の絵を。私の絵が、彼女に夢を見せてしまったせいで追い詰めてしまったんじゃないかと思って……。それに私は慧子の言葉が信じられなくて、自分の絵を嘘だと言って感情のままに否定した。それこそが……彼女を傷つけたんじゃないかって。ぐるぐる、ぐるぐる頭の中で、後悔をくりかえしたわ」
在須は沈痛そうな表情で彼女を見ている。
彼は「わかりますよ」と、簡単に口にしない。
大切な人を失った苦しみはそれぞれ違っていて、決して同じものではないと、彼はよく知っていた。
重い沈黙の中、彼女は机の上にある一枚の絵に目をやった。
在須と私はその動作に促されて、絵を覗き込む。
見た瞬間――息が止まった。
「これは私と慧子の合作。彼女が残した描きかけの絵の続きを私が描いたの。完成したら正式にコンクールに出展して、少しでも慧子の救いになればと……。結局、間に合わなくて何の意味もなくなってしまったと思っていたけれど…………慧子が最後に言ってくれたから」
二人で一つ、と彼女は震える声で呟いた。
個展会場に飾られていた最後の絵。
芸術家が心奪われた、一枚の絵画。
それは、荒々しい炎や風に覆われながら、一輪の花が凛と咲き誇っている姿。
その花の色彩は淡く優しく、触れたら氷のように解けてしまいそうなのに。猛火に巻かれた葉や花弁は萎れることなく、しっかりとそこにある。嘆くように叫ぶように魂の痛みのままに荒ぶる炎や風の中、花の美しさは色あせることがない。
強い、強い姿。誰にも負けない、誇り高き花だの絵だった。
「……複雑だけど、あいつがこの《美しさ》に惚れてあんなことをしたのも、変に納得できてしまうというか。……いや、したくないんだけど」
在須がぶつぶつとぼやく。
彼女が首を傾げた。そこに畳み掛けるように、私は聞く。
「少し前に、白髪の妙な外国人に会わなかったか。やけに上機嫌な」
「外国人……あぁ、会ったわ。美術室で《慧子》に絵を描かせようとしていた時に、不意に現れたの。いかにも怪しい人だったからと驚いたけど、とても紳士的な人だったから少しだけお話して」
「どんな話をしたんですか?」
在須の問いに、彼女は少し元気を取り戻して答える。
「私たちの絵が素晴らしいと大絶賛してくれたわ。次作を期待してると、手に……キスまでされて」
絵亜の顔が紅潮する。
まぁ、あいつの見た目はかなりの美男子だったから……。しかし、女性に対して、まだそんなことをしていたとは。 彼は罪人になる前はよく女性ともめていた。
それが絵描きとか彫刻師やら『芸術家』たちばかりだったから、『私と、私の作品、どっちを愛してるの』って、責められていたっけ。
「あ……、後は父の話もしたわ。この街を設計したデザイナーだって言ったら、とても興奮してしまって」
「え! 先輩たちのお父さんってそんなすごい人だったんですか?」
在須が驚いて声を上げる。彼女は恥ずかしそうな表情で苦笑した。
「たいしたことないわよ。父が若いときに押し付けられた仕事で。別に何の反響もなかったらしいし、市役所に名前くらいは残っているかもしれないけど、この街に住む人は誰も知らない。そんな無名のデザイナーだったんだから」
今垣。慧子のほうの苗字は、確か父方のものだと言っていた。そしてしばらく前に、神からこの奇妙な街を作った時に、一人の男を利用したと言っていた。
なるほどな。それはまた面白い縁だ。
デュケノアの歓喜した表情が脳裏に思いうかべる。「素晴らしい! 美しい!」と、小躍りでもしてないか心配になった。
あいつに好意的な感情を抱いてくれているようだから、自称紳士を貫き通せたのだろうが……。元友人としては、複雑な気持ちだ。
「そういえば、あの人にも全部わかっていたのかもしれないわ」
絵亜は思い出して、辛そうに顔を歪めた。
「《慧子》の手を握った瞬間、表情が変わって……あの時のあなたのように、立ち尽くしてしまったから。私は驚いて、どうすればいいかわからなくておたおたしていたら、彼は微笑んで――『これからも、あなたにとって美しき絵を生み出していってください』って。その言葉を最後に帰ってしまったから」
おそらく勘付いたデュケノアは、《道化師》を頼るかどうにかして情報を集め、真実を知ったのだろう。そして、あんな強硬手段に出た。
ようやく出会えた真の芸術家たちでさえ苦しめる世界を、彼なりの解釈で救おうとしたのだ。迷惑極まりない方法だったが。
「永河原先輩。辛いとは思いますが、お尋ねしていいですか?」
黙ってデュケノアの話を神妙に聞いていた在須が、口を開く。
「不思議だったのですが……。慧子さんが亡くなってから既に半年がたっています。なのにどうして誰も、彼女が亡くなったことを知らないんですか?」
そういえば、と私は神の言葉を思い出す。彼女は、今垣慧子は現在も休学中になっていると言っていた。
影が薄かったという彼女のことを生徒が知らないのはわかるが、どうして教師たちまで……。
「……それは、《魔法使い》が計らってくれたのよ」
また出た《魔法使い》という言葉。彼女はわずかに躊躇ったがポケットから一振りの枝を取り出して在須に渡す。
「これは……」
彼が目を見張る。在須にもその枝がただの枝ではないと分かったのだろう。私はその枝を見て確信していた。この事件の影に見え隠れしていた、ある否理師のことを――。
「慧子が死んでしまってから、私は自分も後を追うことしか考えなくなっていて……そんな時、駅前で偶然出会ったの」
死に場所を求めていた彼女に、突然話しかけてきた男性。彼はすぐさま、絵亜の内情に気が付いた。
「大切な人を失くされたんでしょうって、全部見抜かれて、私は気づいたら全て話してしまったわ。私と慧子の関係。私達の絵の話……。そうしたらその人が『呼び戻して差し上げましょうか』って。半信半疑で慧子の写真を渡したら、三日も経たないうちに《慧子》を連れてきてくれたの」
泣きじゃくって感謝する絵亜に、《魔法使い》は言った。
『僕は肉体を再生させ、魂を呼び戻しただけ。このままでは、またあの世界にこの子は引きずり戻されてしまう。引き留めておくには、やらなければいけないことがある』
「その枝になる実を定期的に《慧子》に与えること。報酬を要求されたけど、コンクールの賞金とかで十分払える額だったから。それを渡すと《魔法使い》は消えていた。どうしようと思いながらも慧子を連れて帰ったら……母は当然のように受け入れてくれて、いえ、慧子が死んだという事を覚えていなかった。他の人も同じ反応で、きっと彼が便宜を図ってくれたのだと思ったけど」
「その枝がどういうものなのか、知らされていなかったのか?」
私の質問に、彼女は首を振る。
「説明は何もなかったの。ただ枝を持ち歩けと言われただけで。それから、私が話をした人や、たまたまほんの少しぶつかった人、そうでなくても私と同じ空間にいた人たちが失神するような事件が起きて、そんなとき実が大量に成るの。もしかして、みんなの生命力でも吸ってるんじゃないかって恐ろしくなったけど……慧子のためだからって、止める気にはなれなかった」
突然彼女は椅子から立ち上がった。そして深々とお辞儀する。
「ごめんなさい」
彼女の身体は震えていた。悲しみではなく、自分が犯した罪による後悔から。
「……気にしないでください。もう、終わったんですから」
「だけども……私は」
在須の言葉に納得のいかない表情をする。冷静になって、自分のした行為が恐ろしくなったのだろう。切羽詰まった、追い詰められた顔をしている。
しかたなく、私はわざと大きなため息を吐く。
「そういう問答はめんどくさいから、やめてくれないか」
「!」
「エンド!」
在須が咎めるように見るが、私は腕を組み、彼女を憮然とした表情で見やる。
「もう終わった。それでいいだろ。説明したって誰にも理解されない罪を、償う方法などないのだから。幸いにも事件は小規模に終わった。いいか、『終わった』んだ。君はさっさと忘れて、絵でもなんでも描いていればいい」
あえて突き放すように言う。経験上から、こういえば相手は二の句が継げなくなることをよくわかっていた。
だが、彼女の反応は違っていた。
「……エンド、ちゃん? あれ、鈴璃ちゃんじゃ……」
困惑した表情の顔にぎくりとなる。在須も慌てて、
「あっ、えっと、それはあだ名で、本名が鈴璃で……なっ、鈴璃!」
在須の顔が引きつっている。無理やり作った笑顔が怖い!
「え、あっ、そうだよ! 鈴璃だよ~、にこっ!!」
私もとっさに対応!
だが……
「もう、猫かぶっても遅いよ」
「エンドが……にこっ……って……」
……。
死にたい!
恥ずか死ぬ!
永河原絵亜は優しいお姉さんの表情で私を見るし、在須は……必死な顔で笑いを押さえるな!
それ以上そんな目で見るなら、ここから飛び降りるぞ!
いいのか!?
「最近の子はませてるね、深漸くん」
「そっ、そうですね~……。永河原先輩」
…………もういい。
いいから。
在須、もう笑っていいぞ。
堪えすぎて変形した顔を見てる方が忍びない。
「鈴璃ちゃん、ありがとね。お姉さんを励まそうとしてくれて。そうだね。前をむいて生きなきゃね」
しかも私の《突き放し》を《励まし》ととらえられているし。
この体か? この体のせいで……いや、それは言ってはいけない。
私はこの体を奪っている身。文句を言うわけには。
でも、あのコスプレも……。
すっかり笑顔に戻った彼女は、もう一度お辞儀をした。
「ありがとう」
凛とした言葉は、彼女の生来の美しい笑顔を引き立てていた。
「慧子と私は一つになれた。もう慧子はいない。彼女がいなくなった私にもうこの合作ほどの絵は描けないかもしれないけど……、不完全なりの優しい世界を、強い世界を求めて私なりに描いて行くわ」
強く言い切ってくれた彼女に、私は胸の中にあったもやもやがすっと晴れていくのを感じた。
そうだよ。
その笑顔だ、永河原絵亜。
その笑顔を守りたくて、私は《魔女》になったんだ。
最近どうにも暗めだったので自分でも鬱憤が溜まっていたのか最後は少し遊んでしまいましたw
勢いに乗って書いたので、文章崩壊してたらすみません。
キャラをいじめるのが、楽しくて楽しくてしかたありませんw
作者はSのようです……
第三部、残り一話となりました。
次話、もっと遊んでみたいと思いますwww