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魔女が詠う絶対終末  作者: 此渓和
第三部:ゼンイの魔女
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五章 ツヨサと混じりあうヤサシサ2

 ある日、気が付いたら慧子は学校に休学届をだし、姿を消していた。

 海外留学の話が来て、それについての調節や話し合いのために海外へ飛んでいた私は、それに気づくまでだいぶ時間を要した。

 先生に問い詰めても、何も知らないとだけ言われた。ただ、私が彼女の姉妹だからと一つ漏らしてくれたのは、祖父が死んだという事だった。

 母に引き取られた私は彼らから絶縁されていて、そのことでさえ何一つ知らせはなかった。数えるほどしか、しかもほんの子供の時に会っただけで印象はなく、その死には何の感情もわかなかった。

 私にとって問題だったのは、祖父が死んだあと祖母の体が弱り、介護が必要になったらしいという事だった。そのせいで唯一の家族である慧子は、学校を休学してまでそれにあたっているとのことだった。

 私はいてもたってもいられず、手紙にあった住所を元に彼女の家を訪ねた。

 状況は私が聞いていたよりも、悲惨だった。


 呼び鈴を聞いて出てきた慧子の頬はやつれ、すっかり憔悴しきっていた。

 絶句した私に、それでも彼女は微笑んでいた。


『おじいちゃんにね、借金……あったんだ。お父さんが残してくれたお金も全部使い果たしちゃってたみたいで……お葬式の後に突然わかって。あはは……おかしいなとは思ってたんだ。あんだけ毎日パチンコや競馬に行ってたから。今思えばって、おばあちゃんと話になったんだよ』


 強がって明るくそう言う彼女は、とても見ていられなかった。


『今はね、私がおばあちゃんの介護をしながら、バイトしてるんだ。三つほど。高校は……やめちゃうと思う。もともと、女の子が勉強するなんて無意味だって言われてたし』


 隣の部屋から慧子を怒鳴りつけるように呼ぶ声がする。慧子はそれに『はい、おばあちゃん』と素直に従って飛んでいく。

 それが何度も繰り返されてその度に慧子は私にすまなそうな顔をして行って、笑って帰ってくる。


『ちゃんと寝ているの?』


『夜は居酒屋のバイトしてるから……おばあちゃんをトイレに連れて行ってあげたりもしないといけないし』


 目の下の隈、少しやせたように見える体。もともと丈夫でない慧子の身体が、何かに食いつぶされていくように見えて恐ろしさに心臓を掴まれた気がした。


『あ……またおばあちゃんが呼んでる』


 そういって慧子がまた立ち上がり、ふらふらと部屋を出ようとした。その手を私はとっさにつかんで引き留める。


『……絵亜?』


『慧子……ここから出るわよ。ここは、慧子がいるべき場所じゃないわ』


 彼女がいるべき場所は、こんな暗い、ただ食いつぶされていくようなところじゃない。あの素晴らしい絵の数々、今描かれている最中の処女作。あれが慧子の心を映したものだというなら、彼女はこんな場所にいるべきではない。 

 もっと、もっと広い世界で、皆に響き渡る場所で、あの叫びを描くべきだ。

 こんなところで小さく泣き叫んでいいような、そんな子じゃない。

 私の憧れた存在。


『さぁ、慧子……』


 立ち上がり彼女の手を引こうとしたが、慧子は私を見て、微笑んで首を振った。


『ダメ。おばあちゃんを、一人にしちゃダメだもの』


『何を言ってるの! あんな人……』


 無理やりでも彼女を連れて行こうと肩を掴んだとき、慧子はぼんやりと呟くように言った。


『絵亜、私はあなたの絵の世界に行きたかった』


『え……』


 その言葉に私は固まってしまう。慧子は儚げな、消えそうな笑みを浮かべて言う。


『あんな世界があればいいなと思った。優しさに包まれた世界。見ているだけで、そのあまりの優しさに飲み込まれてしまいそうになって……、私もあんな世界を描きたかったんだけど』


 彼女は俯く。口から零されていく言葉は、聞きたくなかった同じで違う《私》の言葉。


『でも、私は激しくて、荒々しい絵しか描けないの。どれだけ思いを込めようとしても、本当の私は全然優しくなくて、そのせいであんな絵しか描けないんだ。だから……行けなかったんだね。あの、優しい世界に』


 耳を塞ぎたくなる。さかしまの鏡を見ているようで、体が震えて何も言えない。

 慧子は焦点の合わない瞳で、遠くを見ながら呟いた。


『描きたいな……あんな、優しい絵を』


『優しさが、何だっていうのよ!!』


 とうとう耐えられなくなって、私は爆ぜるように叫んだ。


『あんな世界、あるわけないじゃない! ただ甘ったるい優しさだけの世界なんて。嘆きも怒りも悲しみもない世界に優しさなんていらない。私のある絵にある優しさと呼ばれるものは、嘘だらけの幻想。本物が何一つないのよ! 私が描きたいのは、私が描きたい《本当》の世界は……』


 彼女に抱きつき、もたれかかって泣いた。


『あなたの絵なのよ……慧子』


 私は声を堪えて、それなのに止まらない涙で慧子の肩を濡らした。窺うことのできない彼女の表情。ほんのわずかの沈黙の後、慧子は呟いた。


『……優しいだけの世界は、なかったね』


 私の肩を、細くなった腕でぎゅっと抱きしめてくれた。


『怒りと悲しみに立ち向かう、そんな強さが必要だったんだね』


 慧子の涙が私の肩に落ちたのを感じた。震える声で、言葉が紡がれる。


『でも、私はやっぱり優しさが欲しいよ。本当の強さを兼ね備えた優しさを……』


『……慧子、二人で描きましょう』


 私は嗚咽が漏れそうになるのを押さえて言った。


『私とあなたは、やっぱり二人で一つなのよ』


 長い長い間、離れ離れにされていた。

 二人で一つ。その言葉さえ、遠くなりそうなほどに。


『そうだね』


 慧子は頷いてくれた。


『二人で描こう。本当の優しい強さの世界を』


 最後の言葉は、どちらが言ったのか分からなかった。

 お互いの声の響きが同じすぎて、思いが同じすぎて、どっちが《私》なのかも曖昧になっていた。

 

×××

 

 誰もいない廊下を二人で駆ける。講堂がある方から、ざわめく声がかすかに聞こえてくる。


「在須、どこへ向かっているんだ。彼女らがいるところがわかるというのか?」


 身体強化の業を使い彼の速度に合わせて走っている私は、彼が迷いなく進んでいくのに疑問を持った。


「まぁな」


「……君の才能は、否理師のような特異な存在でなくても感知できるほどに成長しているのか……?」


 にわかに信じられないことだった。だが、彼は首を振る。


「そうじゃない。そうじゃないんだ……」


 歯切れが悪い。まだ話してくれないのか。

 問い詰めたいところだったが、私は堪えて前を向く。

 どうせすぐにわかることだ。

 たどり着いた場所は屋上。

 二人の少女は違う長さの髪を揺らしながら、赤く染まろうとする世界を眺めていた。

 それだけで一枚の絵画になりそうな、どこか物悲しい光景。

 声をかけるのも躊躇ってしまいそうな空気の中、在須は一歩足を踏み出した。


「永河原、先輩」


「……返して。返さないというなら、私たちはここから飛び降りるわ」


 長いほうの少女、永河原絵亜が顔だけ振り返り恨みがましそうに呟いた。


「まさか、捨てたとか言わないわよね」


「……先輩、本当はわかっているんでしょう」


 在須の言葉に彼女はびくりと体を震わせる。


「こんなものを使っても、意味はないってことを」


 彼は自分の胸ポケットから小さな袋を取り出す。その中には小さくて種のような黒い粒が数個だけ入っていた。それを見て、彼女は今にも噛みつきそうなほど様子で睨み付ける。


「……慧子の様子を見ようと思って美術室に寄ってよかった。人の大切なものを盗むなんて」


「大切なもの……。でも先輩、これはあの失神事件の結果です。そして原因はまだあなたが持っているはずです」


 彼女は剣呑な目つきのまま、口を閉ざした。


「どういうことだ。その種は何を意味している?」


「これは……」


 在須は言葉をとぎらせた。だがすぐに意を決したかのように、唇を噛んで言う。


「これは、そこにいる《慧子》さんの命だ」


「! つまり、それは……」


「あぁ……」


 在須は辛そうな顔で、しかしまっすぐ絵亜に向けて言った。


「慧子さんは、もう死んでいるんだ」


「何を言ってるの! 慧子は生きてここに居るじゃない!!」


 必死に絞り出された声。だが在須は首を振って否定した。


「永河原先輩……説明は省くけど、俺の勘は誰よりも鋭い。人の気配に関しては、自分でもいやになるほど敏感だ。そして……最初に会った時から、俺はどうしてか慧子さんを人間だと思えなかった」


「うるさい! うるさい!!」


「自分の目を疑った。嫌なことも……思い出した」


 あの美術室での在須の反応。おそらくその感覚は彼のトラウマにひどく近いものだった。


「慧子さんの死体を、みんなから奪った《想い》のエネルギーが詰まったこの種で動かしているのか。それとも、慧子さんを模した人形を動かしているのか」


「《魔法使い》が来たのよ!」


 突拍子もない言葉が彼女の口から飛び出した。追い詰められた彼女の瞳は暗く、冷静さを完全に失っていた。


「世界の理不尽のせいで殺された慧子を、魔法使いさんが生き返らせてくれたの。慧子の魂を繋ぎとめる方法も教えてくれた……!」


「でも先輩。もしかしたら、死ぬ人もいたかもしれないんですよ」


「構わないわ!」


 ぼんやりと隣にたたずむもう一人の自分を、彼女は抱きしめる。


「慧子が生きてくれるなら……。慧子こそが、真の芸術家たる存在なのに。私の不完全な《優しさ》の絵より、ずっと。ずっと……」


「慧子さんは、それを望むような人だったんですか?」


 在須は声を張って、問う。


「あなたにこんなことをしてほしいって。私のために他人を犠牲にしてくださいって、そんなことをお願いするような人だったんですか?」


「違うわよ! 慧子は、慧子は誰よりも優しくて、優しすぎて自分をないがしろにして、あんな人たちのために頑張る子で……」


「だったら、先輩……その慧子さんは、慧子さんじゃない」


 その言葉に絵亜は固まる。抱きしめているものをじっと必死な顔で見る。自分の話がされているのに全く反応しない、今垣慧子を――。

 それを見て、在須の表情はがとても苦しそうで、辛そうに歪む。彼は本当は、こんなことしたくないはずだ。

 わかってしまうがゆえに。それなのに、彼女の幸せを否定するのは――

 そんな偽物の夢に甘えていけないという事を、知っているから。

 だが彼女は首を振った。知りたくもない現実を追い払うかのように。


「この子は慧子よ! ここに居て、私の隣で微笑んで、問いかければ答えてくれて。どうして人形だなんていうの!?」


「その業は有名だ。とある否理師が、愛しきものを蘇らせようとして生み出した最初の業」


 私はその言葉が彼女をさらに追い詰めると知っていながら淡々と言う。


「亡くなったものの容姿を模した精巧な人形をつくる。そこに《想片》のエネルギーを用いて、持ち主の想いのままに動かす。持ち主が笑顔を浮かべるさまを思い浮かべると笑い、どういう返事をするか予想すれば、その通りに喋る。永河原絵亜、君はその《慧子》を他の誰かと会話させたことはあるか?」


「い……いやぁ…………」


「永河原先輩」


 在須は《今垣慧子》に顔をうずめて、耳を塞いでいる彼女に告げた。

 優しさなど欠片もなく、ただ悲しい現実を――


「俺が話しかけても、慧子さんは少しも反応しなかった。慧子さんが描いたと言った絵を見たけど、それもあなたが描いたものでしょ? もうその慧子さんは――絵が描けないんだ」


「嫌あああああああああああああああああああ」


 彼女は再び咆哮した。顔を掻きむしり、《慧子》を突き飛ばし――屋上の縁へと。


「先輩!」


 在須が駆け出そうとした。だが――間に合わない。

 彼女の体が宙に浮かんだ。そのまま嘆きの中、落ちようとして――、

 その手を、引いたものがあった。彼女の宙に浮いた手を掴み、引っ張る。その代りに彼女(・・)が落ちていく。

 今垣慧子は笑っていた。


「慧子!」


 屋上に投げ飛ばされた絵亜が自分も追おうと縁へと這うのを、在須が間に合い何とか止める。

 二人が呆然と下を覗き込む横に、私も並ぶ。

 その下には、今垣慧子の死体も、人形の破片も何もなかった。

 その沈黙を破くように、突然、声だけが響き渡った。


『絵亜、大好きだよ。私達は、二人で一つになれたんだから――そばにいる。ずっと…………』


 それだけが空間を鳴らして、消えていく。

 一人残されてしまった彼女は泣いた。まがい物にすがりついてでも離れたくなかった半身を失い、偽りの優しい世界を失い、世界を震わせるほど慟哭した。

 (うずくま)る彼女の傍に在須が座る。そんな彼を彼女は殴ろうとして、でも手に力はなく、掴みかかるように彼の服を掴んで、その胸に顔を埋め泣き叫ぶ。

 在須はただされるがまま、抱きしめるようなこともせず、ぽつりぽつりと言葉をつぶやいた。


「死んだ人は……帰ってきません」


 遠い空を見て、目を細めて。


「どれだけ望んでも、願っても、もう帰ってこない。だけど、だからと言って、ここに生きている俺たちが負けるわけにはいかないんです。そんなみっともないところ見せられません。精一杯戦って、この世界を自分でつかみ取った幸せで生きて、どうだって胸張ってあいつに見せられる……そんな生き方を、俺はしようと思います」


 陽が落ちようとしている、赤い世界。

 その中で彼は、誓うように言った。




 あと三部も残り二話です。


 次話では謎の部分を解明しようと思うので、??の部分が多かった今話をお許しください(汗


 とても重い話だったので……読んでいて辛い方がいたのではないかと、どきどきしています。


 感想&批判等 バンバン受け付けてます!

 頑張って、私も成長しますw

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