五章 ツラヌクは誰のココロ3
「!」
驚く間もなく、彫刻刀をもった手がひらめく。慌てて顔をかばうと、また腕に突き刺さった。
とっさに、その手を掴もうとする。しかし、掴んだと思った腕はなく、俺が握りしめていたのはただ空のみ。
「くそっ! 何だよ、これ!」
わからない。俺の攻撃がきかない理由。あんな遠い距離から、一瞬で俺の真横に現れた理由。
あぁ、頭がごちゃごちゃしてきた。
いらいらしながら、俺は右腕に突き刺さったままの彫刻刀を引き抜こうとした。が――――
「あれ?」
抜けない。いぶかしながらも、俺は再度引っ張る。
すると刃ではなく、大量の血がごぼりとその傷口からあふれた。
「――――――!」
「まったく、痛みがないというのは不便だね」
デュケノアは憐みを込めた目で俺を見る。
「今ね、その彫刻刀は枝分かれした刃を伸ばして、君の体の中に根を張ろうとしているんだ。十一代前の《芸術家》の業でね、どんな材質のものの中でもしっかりとした骨組みをつくる業だよ。貫きにくい堅い岩石などを繋げて、巨大なモニュメントをつくろうとして生み出されたんだ。まぁ、その後の七代目が作り出した《保護》の業のほうがものを固定するにはちょうどいいってなって、本来の用途ではあまり使われなくなったけど――拷問にはちょうどいいんだ」
「う……うわ……」
腕の中を何かが肉を貫き、這っている感覚にぞわりとした。
痛みはもちろんないが、圧倒的な不快感が腕にまとわりついていた。
「君だからこそ激痛に耐えられるのだろうけど、屈強な戦士でも発狂しててしまった業だ。危機察知がない君の腕は、どうなるのだろうねぇ? 中身が、肉が、神経が、骨がかき乱されて正視に耐えきれないほどになって――――壊れてしまうよ」
怖い。
恐怖。
感じられないからこそ想像しかできないが、想像しかできないからこそ、恐怖が頭を支配するまで間はいらなかった。
重くなっていく腕。
動かしづらくなる手。
中を何かが蠢く感覚。
恐怖が爆発した。
怖い怖い怖い恐い怖い怖い怖い恐い怖い恐い怖い怖い恐い怖い恐い怖い恐い――!!。
腕をおさえたまま、瞬きもできず、口からわずかに息を漏らすことしかできない。腕どころか、体全体が硬直してしまった。
「怖いだろう?」
デュケノアが見透かした目で俺を見て、甘い声で囁く。
「降参してくれないか?」
ぼたりとまた大きな血の滴が落ちた。
「初めての戦闘なのだろう? 自分から進んで敵に立ち向かった、本当の意味での初めての戦い。負けてもしょうがないじゃないか。むしろ、君はよく頑張った。武器を手にし、僕の業を一つとはいえ盗んだんだ。誇るべき、戦果だよ。だから君はここで満足して、帰りたまえ」
歩み寄って来たデュケノアが、ぽんと俺の頭に手を置く。それを振り払うこともできないまま、恐怖に満ちた頭の片隅で、デュケノアの言葉を反芻する。
帰る――?
戻る?
逃げる、のか?
「あぁ……それ、できないわ」
血を失って、またぼんやりしてきた頭で俺は呟いていた。デュケノアが首を傾げてる。それがおかしくて、俺は「あはは」と笑った。
「だって、俺『ラストチャンス』を蹴っちゃったんだ」
『引き返すのなら、今だよ』
唄華は俺に言ってくれた。
俺に選択の余地を与えてくれた。
そのなかで、俺は決めたんだ。ちゃんと考えて、誰かの意見でも、場に流されてでもなく、俺が選んだんだから。
「もう、逃げられないんだ」
自分で、その道は潰した。
「俺が降参したら、エンドを殺すんだろう?」
「それはしかたがないだろう? 彼女も《罪人》、人殺しなんだから」
あぁ、そうだよな。そう言うと思った。
「でも、それは困る。エンドは鈴璃でもあるから」
頭をふるった。デュケノアの手はその弱弱しい動きでも簡単に振り払われた。
「生きて、生きてもらわなきゃ困る。みんなにとって、鈴璃は生者だから」
その幻を共有できない自分が、時々悲しくなるけど。
「だからこそ、俺が今度こそ守らなきゃ。それも、俺の目的だ!」
俺は叫んで、動かない手を体を揺らすことで遠心力をつけてふるう。刃に浸食されている右腕を。
「ぐっ!」
デュケノアがうめいた。
俺の拳が当たり、一歩と言わず。四・五歩後ろに下がる。
無理に動かしたせいで皮膚から刃が覗いている状況にげんなりしながら、さっきの違和感にとまどう。
どういうことだ?
俺は、殴れなかったはずだ。
腕にある違和感のせいでうまく狙いを定めきれず、拳はデュケノアの横を貫いてしまったはずだった。だが、腕に残る感覚は確かにデュケノアにあたったことを告げていた。
これは……?
「まだわからないのか、在須」
厳しい、凛とした声。
振り向くと、後方のエンドが閉じ込められていたはずの水晶にひびが入っていて、それはすぐさま粉々に砕け散った。
「さすがだね」
デュケノアがわずかに焦りをにじませた声で言った。不機嫌そうに、ふんとエンドは鼻をならした。
「……脱出しようともがいて、必死になって業を練っている私を、二人ともあっさり無視して。しかも、声を張り上げても誰も反応しない。どれほどの虚しさ中、孤独な戦いをしていたのが少しでもわかるか」
怒りに満ちた声、笑いながらもその瞳は怒りに燃えていた。
「前座は終わりだよ。こんなにも頭に血が上ったのも久しぶりだ。さんざ待たせてくれたんだ。二人とも、私をがっかりさせるなよ」
エンドさん、お久しぶりです。
出ていない間、彼女は水晶の中でどれだけ奮闘していたのか……
次話はこの鬱憤を晴らしてもらいます。