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魔女が詠う絶対終末  作者: 此渓和
第一部:ウソで創られた《今》 
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二章 ニセモノが居るセカイ1

 子供のころ、俺は自分のことを『ヒーロー』だと思っていた。

 それを友達に吹聴する痛い子とまではいかなかったが、それでもこの勘のよさを自分の超能力だと内心では思っていた。

 勘がいいというよりも、人の気配に敏感だったと言ったほうがいいかもしれない。かくれんぼの鬼をやればすぐに全員を見つけ出し、「だーれだ」という目隠しも声を聞くまでもなくなんとなく誰だかわかった。

 いわばその程度のものなのだが、ガキの俺を調子づかせるには十分だった。自分はすごいやつだと夢想し、何でもできると思っていた。


 その幻想がすべて瓦解したのは、五年前の冬だ。


 俺は小学生で、鈴璃はまだ六歳だった。

 当時、叔父一家は深漸家の近くに住んでいて、事あるごとにお互いの家を行き来していた。末っ子の俺にとって、初めての従妹である鈴璃は妹のような存在で、忙しい叔父夫婦の代わりに子守のようなことをしていた。そのせいか鈴璃は俺に よくなついていて、しょっちゅう遊んだ。


 その日もそうだった。ある日二家族で鍋パーティーをすることになり、親たちの支度ができるまで俺は鈴璃と一緒に近所の公園に遊びに行った。

 何をして遊んでいたかは覚えていない。でも遊びに熱中しすぎて、気がつけば冬の太陽が駆け足で沈もうとしていた。俺は慌てて、鈴璃を連れて家路についた。

 当時の紙邱は、道路も歩道もすでに整備されていたが、歩いている人は稀で、車もあまり多くは通ってなかった。今でこそ人も増えたが、その頃の紙邱はベットタウンとしてはまだまだだった。

 そんな人気のない道を急いで進み、大通りの横断歩道に着いたとき、反対側に見知った人物を見かけた。

 鈴璃の母親だった。帰りが遅い俺たちを迎えに来たことは明白だった。

 少し罰が悪い気分になったが、彼女がいつも通りの穏やかな笑みを浮かべていたので、たいして何か焦ることもなく、 鈴璃の手を繋いだまま信号が変わるのを待っていた。

 ぱっと信号が変わった瞬間、待ちきれなかったとばかりに、鈴璃は待っている母親に向かって走り出した。


 自然に、当然(あたりまえ)に、鈴璃の手が俺の手からするりと離れて――。


 不意に、ぞっ、と嫌な感じがした。


 横断歩道を駆ける鈴璃の背中を呆然と見ながら、俺は一歩足を踏み出した状態で動けなくなった。

 言い知れない予感が背筋を冷たく撫でた。


 なにかがすごいスピードで近づいてきている……?


 不意にそんな気がして、襲ってきた不安から辺りを見回すと、とんでもない光景を見た。

 大きなトラックが、異常な速度で信号を次々無視しながら迫って来ていた。

 鈴璃がいる、横断歩道に。


『鈴璃ちゃん! 待って!』


 俺は叫んだ。鈴璃は驚いてその足取りを止める。


『在須お兄ちゃん?』


 何も状況を理解していない鈴璃は、道路の真ん中に立ち尽くして俺を振りかえる。

 ダメだ。止まるな。早く――。


『鈴璃!』


 母親は俺の声で気づき、娘に駆け寄ろうと走り出す。

 俺も走り出したけれど、走り出そうとしたけれど、もう間近までトラックは来ていて。

 母親が、鈴璃を庇うように抱きかかえた瞬間――。

 キイイイイイイイイイイイイ

 嫌な音。

 今も耳にこびりついている。

 トラックはけたたましい音をたてて、近くの電柱にぶつかった。

 しかし、俺にはそんなもの目に入らない。


『あっ……』


 フラフラと、俺はその吹き飛ばされたモノに近づいた。

 二つの赤い染み。跳ねられて、飛ばされた果てに、別々の場所に落下していた。

 俺は迷わず鈴璃の方へ向かった。


『鈴璃ちゃん――』


 その小さい矮躯(わいく)を抱える。小さいのにあまりにも重たく、その小さな躯が大きな血だまりを生み出していた。

 冷たい冬の風の中、その血はあまりにも熱かった。


『鈴璃ちゃん。……鈴璃ちゃん』


 額がぱっくり割れて、そこから血が絶えず溢れる。手で押さえてみるが、構わず血は流れ出す。温かい血が、体温が、命が失われていく。


『嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ……』


 息は止まり、心臓の音もしない。どんどん冷たくなる身体。

 赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤。

 血の色が、網膜に鮮明に焼き付く。涙が勝手にこぼれて、鈴璃の真っ白な顔に落ちる。耳に救急車のサイレンが聞こえるまで、何も考えられなかった。


 事故の音を聞いた近所の人の通報によって、すぐに鈴璃は病院へと運ばれた。

 母親は死亡が確認され、鈴璃は救急隊員と医者の尽力のもと蘇生し、かろうじて一命を取り止めたが、植物状態となり、いつ意識を取り戻すのか、一生このままかも知れなかった。

 周りの人たちは何とか希望を持とうとしていたが、俺にはわかっていた。あの妙な勘によって、鈴璃は死んでしまったんだと悟っていた。

 まだ心臓はかすかに動いていて、息もわずかながらにあるのは頭ではわかってた。でも俺の心は、鈴璃を既に死んだのだと悲しいまでに確信していた。


 罪悪感に押し潰されそうになった。もう少し、早く帰って入れば。あの時、手を離さなければ。

 思い返せば今でも手の中に鈴璃の温もりがある気がして、胸がつまって涙さえもでなかった。

 妹みたいだった鈴璃を守るどころか、俺が殺したようなもんだ。

 こんな勘だって、何の役にも立たない。

 あまりにも自分は無力で、ただのガキだということを思い知った。

 何度も謝る俺を、周りはあっさりと許した。「おまえのせいじゃない」と何度言われたことか。

「まだ、鈴璃ちゃんは死んでないよ」とも……。

 誰も彼も、ありえない『希望』を語っている様が、とてもつらく、申し訳なかった。


 だが、最も崩れて、どうしようもなく壊れてしまったのは――叔父だった。愛妻家で、子煩悩だと有名だった彼は、愛する者たちに起こった悲劇に耐えられなかった。

 運転手の飲酒運転が原因だとわかったとき、周りの親戚はそろって激怒していたが、叔父は魂が抜けてしまったかのように何も反応しなかった。

 叔父は会社を経営していて、業績も伸び続けて好調だった。しかし茫然自失となった叔父は何もしなくなり、叔父の手腕のみで成り立ってきた会社は危うく傾きそうになった。俺の家族はそこまでになってしまった彼を支えようとしたが、見るに耐えない状態だった。


 悪夢。あの時を一言で表すにはその言葉以外ない。

 永遠に続くかと思われたそれは、しかし一ヶ月後、不意に終わった。


 鈴璃が目を覚ました。

 事故による後遺症もなく、まさに奇跡だった。

 親戚一同がその喜びに沸き上がり。叔父も正気に返った。

 あまりにも幸せな光景。でも俺はその喜びに浸る余裕などなく、死者が生き返ったほどの衝撃を受けた。

 とても信じられなかった。

 俺は自分の勘に、根拠のない、しかし絶対の自信を持っていた。

 だけど、俺の勘が間違いだったというならば。それは――本当に素晴らしいことじゃないか。

 嬉しさを隠しきれないまま病室に駆け込み、途端、絶句した。


『鈴璃ちゃん……』


 思わず漏れた声に、幼女は笑顔で反応した。


『在須お兄ちゃん!』


 嬉しそうな、見慣れた鈴璃の笑顔。聞きなれた声。包帯まみれなこと以外は、いつも通りの鈴璃のすがた。

 でも、俺にはわからなかった。それが鈴璃だとは、どうしても思えなかった。鈴璃が俺の名を呼ぶ声に、ノイズが混じる。

 鈴璃は退院すると、叔父さんに連れられて、辛い思い出がある紙邱から遠くの街に引越してしまった。それからは、法事などのごくわずかな機会でしか会うことはなかった。

 そのわずかな邂逅でも、違和感はぬぐいきれなかった。鈴璃が死んだと思い込んでいたからだろうと、自分に言い聞かせていたけれど。


 言い聞かせていたのに――――。


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