二章 ヒメイ響く望まぬデアイ1
終業式が終わった翌日、夏休みだと言いながらもう既に補習が始まった。結局、いまだに自転車を購入していないため、学校まで修行がてら走っていた。
眠い……。
一応、エンドは俺に睡眠をとるよう気を使ってはいてくれ、自分でも学校から帰ると仮眠をとるようにしているため何とかなってはいるが、それでも少し眠い。
あくびをこらえつつ、なるべく人気の少ない道を選んでゆく。
その途中に、偶然すれ違った人物。
長い白髪を揺らしながら歩く、スーツ姿の外国人。
不意にフォルケルトのことが頭をよぎり、嫌な予感がした。
×××
「わかってた……こうなることを俺は知っていたんだ」
「深漸くん、何をぶつぶつ呟いているのかな?」
黄色のキャミソールの上に、白い透かし風のトップス、さらにはデニムのミニスカという、いかにも夏らしく涼しげな恰好をした唄華が、俺の顔を覗き込んでくる。
「唄華……仕組んだな」
「ぎくっ! い、いや、ナンノコトヲイッテルノカナ? 留伊くんも紗智ちゃんもたまたま用事が入って来れなくなったんだよ、っていうことにしたの」
「……それはわざとばらしてるのか? それとも天然か?」
わざと説に一票。俺を混乱させて楽しんでやがる。
セミの声が鳴り響く公園。
うざったい暑さに目を細めながら、俺は絶賛後悔中だった。
補習が始まってから最初の週末を迎えようとした昨日の金曜日。楽士が突然、俺と留伊に四枚のチケットを渡してきた。
「萌えっ娘カードの取引をしたときにおまけについてきたんだけど、俺って二次元の美にしか惹かれないからお前らにやるっ。ダブルデートでもしやがれっ」
「待て。お前は、俺に何をさせる気だ?」
留伊はわかる。同じクラスのダチである西汽留伊には、芸術科に彼女である瀬畑紗智がいる。
案の定、留伊は隣の市にある美術館と聞いた途端、『紗智が行きたがってたんだ』と喜んでチケットを受け取った。
留伊と瀬畑はすでに交際二年目。毎日手をつないで帰るラブラブっぷり。スポーツマン風の留伊と、華奢な女の子らしい瀬畑はお似合いのカップルだ。少し、兄と嫁である鷹絵さんを彷彿とさせる。
「ダブルデートって、お前は俺に誰と行かせる気だ?」
「わかっているくせに、よくそんな風に言えるなっ。いや、俺に言わせたいんだろう。仕方がない、照れ屋さんなツンデレキャラのお前に代わり、俺が声を大にして、皆に知らせてやろうっ。みなさ~ん、深漸は明日、美術館でうた……」
馬鹿の口にハバネロを押し込む。ついでにタバスコと熊鷹とブート・ジョロキアも。
「うっ! ぐわあああああああ!」
派手なリアクションとともに、楽士は口を押えて、音速を超えるかと思われるほどのスピードで教室を出て行った。
「まったく、あいつはなにがしたいんだ」
楽士の行動に呆れつつ、俺はあいつが吹き出したものを拾う。これらは今朝、唄華から没収したものだ。何のために持ってきたかは知らない。あいつも、きっと知らない。
こんなものを学生が日常に持っていたらおもしろい。と、でも考えたのではないのだろうか。
「もしかして、深漸は行かないのか?」
ゴミ箱に辛い物シリーズたちを捨て、戻ってきたら留伊がそう言ってきた。
「行くわけないだろ。わざわざあいつらの罠にはまってやるほど、俺は優しくない」
「俺は、それでも一緒に行きたいんだが……。夏休み中に遊ぶって約束したのに、俺だけ部活で参加できないだろ? 紗智も俺に遠慮して行かないって言ってるし、楽士がいなくて四人だけだけど、今のうちに遊びに行かないか?」
留伊は剣道部に所属していてかなり優秀だ。楽士が所属している漫画同好会と比べて、忙しく遊ぶ機会が少なくなるのは当然だった。
それを言われると悩んでしまう。
う~、でもこのまま行くのも癪だし……。
悩む俺に、最後の一押しと留伊は言った。
「そうそう、確かこの美術館には、永河原先輩の作品も展示されてるって紗智が言ってた」
「えっ、永河原先輩? あの芸術科のか?」
永河原絵亜先輩は芸術科三年に所属し、中でも油絵などを専攻している。
この学校に入学して、最初に目に入ったのが、正面玄関の一番よく見える場所に飾られた彼女の絵だった。黄色やオレンジなどの暖かい色を使って表現された絵は、絵心なんてこれっぱちもない俺でさえ感嘆させられた。その絵を最初に見せつけられた新入生はもちろん、在校生にとっても永河原先輩は羨望の対象だ。しかも唄華を抜いて、この学校一位の美貌を持つと聞けば、興味がないやつのほうがおかしい。
確か四月から休学してたはずじゃあ……。
「まだ休学はしているらしいけど、絵だけは出展されたんだって。約一年ぶりの作品らしいから、見てみたいだろ?」
う~ん。そう言われてしまえば、興味が湧いてしまう。でも、楽士の思うとおりになるのは……。
迷う俺に、最後の一押しと留伊は言った。
「俺と紗智も行くし、唄華ちゃんが暴走したら協力するから」
そう言われてしまえば、まぁいいかと思ってしまう。
「ん、じゃあ、行くか」
俺は楽士の机に置かれたままだった二枚のチケットを取る。
取るべきじゃなかった……。
俺の腕を掴んでぴょんぴょん跳ねる唄華に、ものすごく鬱な気分になる。 留伊は人当たりのいい好青年という感じで、気遣いも完璧で大人っぽい頼れるダチだが……時々黒い。
久方ぶりの黒留伊に当たってしまった。
俺が美術館に着いた頃を見計らったかのように送られてきたメールには、『ごめん、深漸。今日は行けなくなった。……というより、紗智とは先週すでに行ってたんだった。久しぶりに一緒にどこかへ行く機会だったのに、本当に残念だよ。では、唄華ちゃんによろしくね』
……黒い。
にこにこ顔の絵文字が連発されているのも、悪意しか感じない。
留伊は普段がいい人過ぎるから、たまにしかないこれは本当に読めないのだ。
俺の周りのやつらってこんなのばっかりな気が……、何かに憑かれているのかもしれない。
「どうしたの? そんなに疲れた顔しちゃって。暑いんだから、早く中に入ろうよ」
「暑いのは、お前がしがみついてるせいもあるんだがな。さっさと離れろ」
「えぇ~! やだやだやだ~」
ぎゅ~っと腕にしがみつかれる。というか、絞られている気が。
「…………」
さて、目の前に二つ選択肢がある。
「え? 一つしかないでしょ」
読唇術を使うな。
えっと、一つはこのまま唄華に引きずられていくこと。もう一つは、今すぐ家に帰ること。
「何で~、一緒にデートしようよ」
…………さて、心から後者を選びたいが、隣の市まで来て何もせずに帰るのは、電車運賃、時間を丸々無駄にしたということだ。それは貧乏性の俺としては避けたい。
それに……
俺はちらりと横を見る。
唄華が俺の左腕を拘束している。その唄華が提げているバックの中から金属製の手錠が――。
「仕方ない、行くか」
ため息交じりに言うと、「やった~」と唄華は小躍りした。
前回の教訓をすっかり忘れていた自分を呪う。
こいつに関わった時点で逃げることはできないのだ。




