序章 美を尊ぶ者は醜を厭う
美。
美こそ、人間のすべてだ。
人は美を追い、美を求め、様々な『美』なる物を創り出してきた。
人は美こそを愛する。
言うならば、人の価値はその生み出した美にあるのだ。
故に、完成された美は、永遠に残る権利を得る。
そして、完成された美を、永遠に守る義務を『彼』は負う。
美を守る為には、どんな犠牲でも払う。
美なる物以外には、存在する価値はない。
新しいものを生み出す必要はない。すでに世界は美しいもので満たされている。
彼の役目はそれを守ることだ。
下賤な人々が気づかないそれの価値を、彼だけはわかっている。
彼は《芸術家》。
美を生かすために、それを侵す理をすべて否定する否理師。
偉大なる美に忠実なる守護者。
×××
「るん、るるん」
彼は鼻歌を歌いながら、陽気なステップを踏んで遊歩道を進んでいた。
彫りが深く、整った造形をした顔は満面の笑みを浮かべていた。後ろで一つに縛られた長い白髪も彼のスキップにあわせて踊っている。
でもその容姿と行動に反して、服装と手にしている物はあまりにも合わなかった。
まずは、きっちりした折り目正しいスーツ姿。胸ポケットに薔薇があるのは、唯一彼らしいといえるかもしれない。暑い夏の最中にも関わらず、彼はそれを涼しげに着こなしている。
そして両手に軍手をし、左手にもつのは大きなビニール袋。右手には金バサミを持っている。彼は道端に落ちているゴミを見つけると、それをすかさず金バサミを使って大きなビニール袋に入れる。すでに袋の中は種様々なゴミがたくさん入っていた。
彼の横を通り過ぎる人々は、彼の美麗な顔に息をのむと同時に、あまりにもちぐはぐな容姿と行動に眉をひそめた。
でも、彼はそんなの毛ほども気にしない。
彼は今いる場所の美しさに酔いしれていた。
青々とした葉に、その間から漏れる木漏れ日。木がそよぐと、うっとうしい蒸し暑さが、すっと引いていく。
自然の美しさ。それだけでも十分なのに、これらの建築物は彼の心を踊らせた。
自然と調和するように建立された壮大な建物。建物だけだったら、ここまで彼の心を揺さぶらなかっただろう。これほど完成された美は有り得なかっただろう。
彼は心の底から深い感嘆の吐息を漏らした。
「ん~、一度は来てみたかったんだよね。来てよかった、京都! 本当にすばらしい!!」
彼の心が美に震えていると、ふと視界の端にちらつく人影があった。
「おや?」
彼はその人物等に目を向け、途端に眉をひそめた。
それは京都に修学旅行に来た高校生だった。素行が悪いことは服装が乱れていることから明らかで、実際、教師をまいて煙草を吸っていると見られる様からもよくわかった。
「まったく、自分たちではああいうことをするのがかっこいいことだと思っているのだろうね。しかし、その自己陶酔はあまりにも愚かだ。周りから憐憫を受けていることにも気づかないとは、哀れとしかいいようがない」
蔑むような眼差しで彼らを見つめる。いつの間にか、歩みは止まっていた。ただじっと、彼らを見つめる。
すると、そう時間も経たない間に、彼らのうち一人が吸い終わった煙草を植え込みへと投げた。何気ない動作で、ごく当然のように。
「……やるだろうと思っていたけど、せめて『美』を尊ぶ心くらいはあると期待してたんだけどなぁ」
ため息混じりの独白。しかし、その落ち着き払った語調とは裏腹に、目つきは先ほどまでの憂いも含まれたものではなく、ただ冷たい物へと変化していた。
静かな態度で、一歩、二歩、彼らへと歩みを進めていく。
「なっ……、何だよ、お前」
少年の一人が、彼に気づいて、その雰囲気に戸惑って言った。
笑顔が消え失せた無表情。冷たいまなざし。
少年らが気圧され、笑みをひきつらせた時――
ザグッ。
と、嫌な音がした気がした。
「えっ……?」
一言それだけ発すると、ぽかんとした表情のまま、彼に一番近いところにいた少年が倒れた。
見開いた目を空に向けたまま、ぴくりとも動かない。その胸には彫刻刀が血もにじませず、ただ一本突き刺さっていた。
「おっ、お前……うわっ!」
突然起こった事態に対処できないまま、残された少年らの胸にも彫刻刀が刺さっていく。
ほんのわずかな間に、地には三人の少年らが仰向けになって倒れていた。その中に立っているのはもう彼一人だけだった。
「君らみたいな醜い存在には生きる価値がない。その醜悪さで『美』を害するだけだ。でも、安心して。君らみたいな存在でも、僕が役立ててあげるから。これほどの幸せはないだろう?」
そうつぶやき終わると、少年等の体が青く淡く光った。すると、彫刻刀が刺さった部分からとろとろした何かが流れ始めた。無色透明なそれは、地面に触れるときらりと光って固まる。
男はそれを手に取る――ダイヤモンドだった。他にも、ルビー、アメジスト、トパーズといった種々様々な宝石が次々と生まれていった。
一方、少年等の体は徐々に輪郭がぼんやりとしていき、曖昧になり、世界に溶けていく。
一分も経たないうちに、少年等の姿は完全に消え失せ、地面には四本の彫刻刀と、大量の宝石が散らばっていた。
それを彼は一つずつ拾い上げ、右手の人差し指にはめたシルバーの装飾もない指輪にこつんとあてる。すると宝石はとろりと再び溶け、指輪に吸収されていく。彼はそうしてひとつ残らず、宝石の形をした《想片》を自分の器に入れていった。
彼の表情に、微笑みが戻っていた。折り畳まれた紙を取り出して開き、そこにある絵を見ると、恍惚の表情となり、「おぉ」と感嘆の声を漏らした。
「楽しみだなぁ。この絵がある街は、どれだけ美しいのかな。確か…………『紙邱』、だったよね?」
二部が始まりました。
さっそく、新キャラです!
話は前回の戦闘から二週間が経った日常から始まります。
始まるはずだったのに……いきなり変な人を出してしまった……
次回は日常です!のはず!
これからもよろしくお願いします。