五章 コワレタ願いへ失うココロ3
エンドの声と共に、ビー玉にヒビが入り、パリーンと涼やかな音を出して割れた。
細かいガラスが、雪のように降り注ぐ中、エンドは言う。
「まず巨大地震が起きて地が裂ける。その過程で、ありとあらゆる火山が噴火し、過去に類を見ないほどの大津波が併発する。一ヶ月もかからないうちに、全ての国家や組織が機能不全となり、人々は絶望の中、地を這いずり回るはめになる。十年後には、地球上の人口は今のものの三パーセント以下となるだろう。災厄は百年間続く。果たして、誰が生き残れると思う?」
エンドの瞳は暗い。悲しみや絶望を練り混ぜた色。
しばらく無言だったフォルケルトが、無理矢理口の端を吊り上げて笑った。
「……ちっと、驚いちまったぜ。大した幻覚だな。さすがは魔女ってことか」
顔は未だ青ざめているが、その口調は強かった。
あの光景を見せられても変わらない、そんなフォルケルトの態度にエンドは冷めた瞳を向けた。
「本当は、わかっているのだろう? 《魔女狩り》」
「何がだ」
「《予知》は高等技術。二千人いる否理師のうち、わずか五人しか使えない。私はその五人の一人、その中でも唯一、何百年も先のことを予知できる否理師であることを、君は知っているだろう?」
フォルケルトの顔が強張る。目を見開いて、焦燥を露にして激しく首を振った。
「そっ、そんなこと、誰が信じるか! 世界が滅びるなんて、そんな……そんなことがあってたまるか!」
「そうだな。受け入れたくないのはわかる。だって、この四百年、何人もの人に助力を請いたけど、誰一人として一緒に立ち向かってくれる人はいなかったもの」
エンドは、ははっと力なく自嘲の笑みを漏らした。
「何百年かけても、私はこの未来を避ける術を見つけられなかった。もう、時間もわずかしか残されていない。変えられなかった」
悲痛に満ちた嘆き。でも、涙は決して流さずに語った。
「だから私は、人間を滅ぼすことにしたんだ」
それが孤独な戦いの末、エンドがたどり着いた最悪な最後の最善策。
「終わりしかないとわかっていて、それなのに生きていくことに何の意味がある。ただ生きるだけ、もう喜びも何も得られない世界で、悲しみ苦しむだけの日々。人は幸せになるために生まれてくるのに……そんな世界で生きることは死より惨いと私は思った」
昔、《善意の魔女》と呼ばれた彼女が望むのは、他人の幸福のみ。誰かの笑顔だけ。
「《終末》が訪れる間際、私はある業を発動する。それによって、私は人々を死が感じる暇もなく殺す。喜びも悲しみも、そこで全て終わらせる。――――これが、私の目的、《絶対終末》」
俺は衝撃を受ける。エンドの話す世界の真実。そして、もう先のない未来。
言い知れない恐怖に心臓を掴まれたような気分になった。
震える声のまま、エンドに言った。
「……そんなの、ただのお前のエゴじゃないか」
「そうだよ」
エンドはあっさりと頷いた。
「これは私のわがままだ。全ての人から笑顔が消えた世界なんて、私には耐えられない。私は昔っからそうだ。自分の自己満足のためだけに、勝手に好きなことをやって来た。今回もそれの延長線にすぎない」
エンドは高らかに言い放つ。
「だから君たちは、こんな道しか見つけられなかった私を怨むべきだ。諦めてしまった私を、蔑み、非難するべきだ。その上で、私は君たちの気持ちを全て踏みにじって《絶対終末》を成し遂げる」
その瞳の奥に暗い輝きがあった。己への自己嫌悪で握りしめた手の爪が、深く掌に刺さっているのに気づく様子もない。
「私は、この道を歩むと決めた!」
そう宣言すると、エンドはフォルケルトに飛びかかった。
放心していたフォルケルトだったが、ハッと我に返り、炎を操って盾とした。
エンドは間一髪、飛び退いて炎の壁にぶつかることだけは避けた。
フォルケルトは血走った目で咆哮した。
「あぁ! うざってぇ! 俺はここに師匠の仇を取りに来たんだ。世界の終わりとか、そんなもの知るか! 魔女のふざけた妄想なんかに付き合ってらんねぇんだよ! 殺す殺す殺す殺す!」
頭に血が上ったフォルケルトは、ジッポの矛先を俺に向けた。
開ききった瞳孔で、苛立ち混じりの言葉を吐く。
「ほら庇えよ、魔女。こいつが黒焦げになってもいいのかよ」
炎の波の矛先が俺へと向いた。逃げだそうと腰を浮かしただけで、陣に触れた体のどこかが切れる痛みがした。
なすすべもなく、ただ呆然と炎を見ていると、その向こうからエンドが血相を変えて走ってくるのが見えた。
「バカ! 来るな!」
とっさに叫んだが、業火は既に目の前に――――その熱さに、目を閉じた。
猛烈な熱気。ゴウゴウと騒がしい炎の音。
だが、それだけだった。
「……?」
恐る恐る目を開くと、そこには両腕を開いて、俺の盾となったエンドの姿があった。
「エッ、エンド……」
俺の声を聞くと、エンドは顔だけ振り返って俺を見た。
「よかった……怪我、は……」
そこまでが限界だった。エンドは崩れるようにして、その場に倒れた。
「エンド! ―― 痛っ!」
エンドへと伸ばそうとした手が、陣によって切り裂かれた。
傷口を押さえながら、仕方なく俺は、陣の中からエンドへと呼び掛けた。
「おい、エンド! しっかりしろ!」
「うるさい。大丈夫だ…………」
幼い少女の顔が強がって笑った。
「大丈夫って、お前……なんで俺を助けた?」
「言っただろう? 私は、人の笑顔が、好きなんだ。君が傷つけば、沢山の人が泣く……。君のためじゃない……ただ私が、それを見たくないだけだ」
弱々しく話すエンドのコートは、もうほとんど襤褸布になっていた。その鈴璃のものである幼い顔も煤で薄汚れ、左肩に大きな火傷を負っていた。
「あっ……」
それを見て、俺の顔から血の気が一斉に引いたのがわかった。
エンドが地面に俯せになったまま力なく笑った。
「あはは……本当にごめん。君の大事な人の体をここまでボロボロにしてしまった。知らなくていいことも、たくさん教えてしまったな」
謝って、済むようなことじゃないけれど。と、付け加えて言うとエンドはフラフラ立ち上がった。
「巻き込んですまなかった。君は束の間の平和な日常に戻れ。世界の終わりについてなんか忘れてしまえ。心配しなくとも、私がそれを感じる暇もなく終わらせるから」
「お前……何をするつもりだ」
俺の言葉に答えず、エンドは言った。
「おい、《魔女狩り》! 何をしている、早くどどめを刺せ。三代目の仇を取るのだろう?」
「――――!」
「私のことは、忘れてくれ…………単なる、悪い夢だったんだよ」
最後に、儚く俺に微笑むと、エンドはフォルケルトへと向き直した。もう振り返らないであろう。そんな思いが滲んでいた。
俺は、我慢できずに尋ねた。
「はぐらかさずに教えろ。何で――鈴璃の体を選んだ?」
沈黙が落ちた。
実際は、火勢の音がごうごううるさかったし、ほんの一瞬だったのだけれど、俺にはとてつもなく長い時間に感じられた。
「泣いていたから」
エンドはともすれば聞き逃してしまいそうなほどか細い声で言った。
「えっ……」
「六年前、ちょうどあの日、私はあの事故に行き逢った。そのとき私は、次の体を探している最中で、ただ《想い》の塊となって――幽霊のようになっていたから、さすがの君も気づかなかっただろうけど」
エンドは訥々と語る。
「君は従妹の体を抱いて泣いていた。私は剥き出しの《想い》になっていたから、君の従妹が死んでいるとすぐにわかった。だから、耐えられなかったんだ」
声に苦渋を滲ませて、涙のように言葉を溢した。
「君の涙が止まらないだろうということに、私は耐えられなかった」
「…………!」
「だから君の従妹の体をもらった。でも、失敗だったな。人類を滅ぼす準備のためにいろいろしなきゃいけないのに、この体はとても不便だった。……君のことも、余計に傷つけるはめになった」
ははっ、とエンドは自分を嘲笑った。
「私は、何がしたいんだろうか」
エンドは呟くと、静かにフォルケルトの裁きを待った。
「魔女……いいのかよ。おまえの《目的》はどうすんだ」
初めて、フォルケルトが躊躇した。エンドはそれを嘲笑う。
「気にするな。またすぐに新しい体を見つけるだけだ。誰かの姿を、立場を奪い、また卑怯に生きるだけだ――私はずっとそうやってきた」
「……そうかよ」
わずかに見せた迷いを振りきるかのように、フォルケルトはジッポを持った手をスッと上にあげる。
部屋中に満ちていた炎が一転に収縮した。
集まった炎は、一つの隕石のごとく巨大な火の玉を形作る。
「せめてもの慈悲だ。一発で決めてやる」
フォルケルトが断罪の言葉を吐き――その手を、振り下ろす