四章 チガウ夢のスガタ5
階段を駆け降りて、向かった病院の駐車場。
「来たんだ」
やって来た俺たちを横目でちらりと見て、エンドは言った。
「おとなしく家に帰ればよかったのに。ここは君たちの世界じゃない。理解できるものではないだろう?」
ギリギリ声がお互い届く位置、そこで俺と唄華は思わず立ち止まった。
ここに着くまで約数分。そのわずかな間に――勝敗は既に決着していた。
「――終わりだよ」
俺たちから視線を外したエンドは、その少女の身の丈には似合わない日本刀を、フォルケルトの喉元にすっと向けた。
「ちっ、……くそぉ」
涼やかなエンドの様子とは違い、フォルケルトはゼイゼイと息を切らし、その場に座り込んでいた。
「君の負けだ、《魔女狩り》」
冷たい声音で、諭すように告げたエンドに、まだフォルケルトはニッと笑った。
「まだだ……。まだ、これからだぜ……」
「見苦しいな。君には無理だ。まだ経験が浅く、技術も未熟。《称号》を受け継いでから、まだ日もそう経っていないんじゃないか? それなのに、この《終末の魔女》に挑もうなんて、身のほど知らずもいいところだ。一体、何がしたかったのかい?」
負けた相手に容赦ない……。俺のに対してだけではないかとも思っていたが、これはこいつの地のようだ。
フォルケルトは魔女の言葉に顔をしかめた。
「何がしたかっただとぉ? んなもん、お前をぶっ殺すことに決まってんじゃねぇか。《魔女狩り》は正義の代名詞。だったら、俺がお前を狙うのは当然のことだろう?」
「……先代のことか?」
エンドの言葉に、ピクリとフォルケルトは反応した。
エンドは小さく嘆息する。
「……そうなんだな。だが、そんなつまらない昔の怨恨を向けられても困る。それよりも、重要なことが差し迫っている。もうあまり時間は残されてないんだ。君たちは私の邪魔をしている暇があるなら……」
「つまらない昔の、だと?」
フォルケルトが低い声で唸るように言った。
「あのことを、お前はその程度にしか思ってなかったのか!?」
キッと、エンドを殺さんばかりに睨む。
「何がそれより《重要なこと》だ。笑っちまう。あんなんお前の妄想だろうがよ!」
フォルケルトは刀を恐れず、首を振り返らせて後ろにいる俺たちに向かって言う。
「なぁ! そこにいる一般市民さんよ。この狂った偽善の魔女が、何を語っているか知ってるか? こいつが《罪人》になってまで、何をしようとしているのか!」
フォルケルトは、憤怒の形相で叫んだ。
「全人類の皆殺しだよ!」
皆殺し。
地球上の約六十五億人の生命を、殺し尽くすこと。
それが彼女の目的。
《終末の魔女》の名の由縁……?
「――っ!」
想像もしてなかった真実に俺は戦慄を覚えて、反射的にエンドを見る。
エンドはフォルケルトをただ見つめていた。刀を下ろさず、ただ見据えて――しかし、俺はその表情に既視感を覚えた。
そうこれは、俺がエンドに敵対の意を示したときに見たものと似ている。
今にも泣き出しそうな、幼いただの少女の――。
「……理解されようとは思わない」
そのままの顔で、エンドは声を低くして言う。
「私は諦めてしまった。君たちはそんな私を責める権利がある。憎めばいい。蔑めばいい。でも私は――この道を進むことをやめない」
何がそこまで彼女にそんな顔をさせるのか、その声には血をはくような思いがあった。
しかしフォルケルトは、それを嘲笑う。
「そうかよ。ハハッ、でもそんな妄想を、俺がマジにすると思ってんのか? おいおい、俺は《魔女狩り》だぜ。魔女は、一人残さず火炙りだ。魔の言葉に耳を貸す正義がどこにいるよ」
彼はもとのふてぶてしさを取り戻し、さっとジッポを構えた。
「それに、呑気にお喋りしてんじゃねぇよ。《まだ》だって、言っただろ?」
エンドが反射的に刀を構え直すと同時に、フォルケルトはジッポをすった。しかしまた弾丸が放たれることはなく、普通のジッポのようにゆらりと赤い火が灯る。
エンドが警戒して一歩下がる。
フォルケルトは首にかけていた十字架をモチーフにしたネックレスを引きちぎり、十字の部分に火をつけ、宙高く放り投げる。
高らかに唱えた。
『贄の炎。其の身を捧げ、天罰を望め!』
その言葉に十字架が炎を纏ったまま、何十にも増殖し、エンドへ向かって降り注いだ。
先程の弾丸よりも一回り大きいが、エンドは大した労も懸けることなく日本刀で叩き落としていく。
フォルケルトはその間に立ち上がり、エンドから距離を取る。
笑っている。
口の端で何かをブツブツと呟き、ジッポを両手で持ち、下へ向ける。
ザワリと、空気が揺らいだのを感じた。
エンドがハッとするが、もう遅い。
『戒めの炎。告げよ愚者に、禁ぜよ愚行を!』
「――唄華ッ!」
フォルケルトが詠唱を終える間際、俺はとっさに唄華を力の限り突き飛ばした。
「深漸くん!?」
突き飛ばされて蹲り、俺を振り向く唄華の驚いた顔が見えた。
しかし、突然地面から沸きだした炎によって、俺と唄華は隔てられた。
「うわぁ!」
猛烈な熱と、真っ赤になる視界。思わず叫び声をあげた。
炎は俺をぐるりと取り囲み、まるで柱のようになって噴き出しているだ。
四方八方を火の壁に阻まれ、何も見えない状況のなか、フォルケルトの声が聞こえた。
「あーれぇ? おかしいな。女のほうを狙ったはずなのに」
そんないぶかしむような声がした。
と、次の瞬間、フォルケルトの顔が目の前にぬっと現れた。「わっ!」と思わず出そうになった声を飲み込み、後ろに下がりそうになった足を踏みしめた。
フォルケルトはそんなおれを、ジロジロした嫌な目つきで舐め回すように見る。ゾッと沸き上がってくる嫌悪感を敵意に変え、俺はフォルケルトを睨み付けた。
何が面白いのか、彼はニヤニヤ笑っていた。炎の壁に焼かれることなく平然とすり抜けて、俺を覗き込む彼は、不意に何を思い付いたのか目を爛々と輝かせた。
「そうか。お前、わかるんだな」
「――!」
「へぇ、なんで一般人がここにいるのかと思えば、お前知っちまったんだな。魔女のことも、俺らのことも。ハハッ、すっげぇな。俺が何をしようとしているのかを《想片》のエネルギーの流れだけで察知して、女を庇いやがった。ここまでの感度と来れば、最早神業に近い――」
……エンドと似たようなことを言う。
フォルケルトの笑い声が妙に勘にさわった。――どうやら、俺はこいつとは仲良くなれそうにないみたいだ。
「その子を解放しろ。その子は、関係ない」
火が燃える音に掻き消されることなくエンドの毅然とした声が炎の向こうから聞こえた。
「嫌だね」とフォルケルトは嘲笑うと、俺の首を伸ばした右手でがっ、と掴んだ。
「ぅぐえっ!」
意識が吹き飛びそうな勢いで首を絞められ、息ができない。暴れたり、その腕に爪を立てたりして必死に抗うが、手が離れることはなく、がっちり俺の首を掴んでいた。
その力は、異常なほどだった。
「元々俺は、ここで決着をつける気はねぇんだよ。舞台は、別に用意してある。こいつは仕上げの餌だ。どういう意味かは、十分わかってるよな? 《終末の魔女》」
「待て!」
エンドの制止する声。フォルケルトが早口に呪文を詠唱する。
酸欠で薄れ行く意識のなか、勘が研ぎ澄まされる。そう昔から、意識が朦朧とするとした分だけ、頭の端がクリアになっていった。
さっきあったいろいろなことが、どういうことか何となく理解できていく。
寝ているのに醒めている、そんな曖昧な感覚のなか、フォルケルトが唱えているのがどこか遠くへ移動するものだとぼんやりとわかった。