第二章 護リの道を阻ム者2
息を吐くと白くなり、目の前でちらちらと粉雪が舞う。
カイロのおかげで体はむしろ熱いくらいだが、剥き出しの顔は容赦なく冷気を浴びた。
やっぱり出るのが早すぎたと、腕時計を見て思う。現在午後十一時十分。ここから神社までは残り歩いて五分程度。待ち合わせの十一時五十分まで、ぼんやり突っ立っているのもつまらない。
少し遠回りしようと足を向けた先は公園だった。
今の俺を作り上げる全てのきっかけとなった場所。
以前は忌避していたが、否理師の道を歩むと決めたころからは無意識に近くを通ることが多くなっていた。
最近は意識して、そこに訪れるようにしていた。
自分に自分を刻み込むために。
公園の入り口から、あの横断歩道をぼんやりと眺める。そんな俺をエンドは止めなかった。
ただ、俺を迎えに来るときには決してあの白線の上を通らなかった。
『帰るよ』と俺にだけ聞こえるようにぼそりと呟き、鈴璃ではなくエンドとして声をかけた。
エンドは優しい。傷に触れないように人を見て、助けになりたいと躊躇なく手を差し伸べる。
だからエンドには予想ができていた。
今日、俺がここに来るであろうことも。
「在須」
公園の入り口まで来た時、道路側から呼びかけられ振り向く。
横断歩道の途中――鈴璃が終わった場所に、エンドが立っていた。
いつものように身丈に合わない多すぎるコートを羽織っている。ただ、いつもと違いフードを目深に被って表情を窺うことはできない。
「なぁ、こちらに来てくれないか。話したいことがあるんだ」
声の調子はいつも通りだ。だからこその不自然さに、ごくりと、唾を呑み込む。冷静に状況を把握しようと、張り詰めた空気の中で問いかける。
「エンド、どうしたんだ? ……今日は叔父さんと温泉旅行に行ってたんじゃないのか?」
「うん。さっきまでね。でも子供はこの時間は寝てしまうものだろう? ちょっと抜け出してきた」
「怖いことするなよ。万が一叔父さんに気づかれたら」
「大丈夫だよ。ちゃんと人形を置いて来たから。きちんと君が望む通り、尾城儀鈴璃としての役割はこなこなす」
「……そうか」
会話の内容も至っていつも通りで、不気味だ。そして、あまりにも静かすぎるこの状況も。
この時間帯だ。人通りも車も常時よりは少ない。
それでも、この静寂は異質だった。
結界が張られていることは、疑いようもなかった。いつもより勘が鈍っているとはいえ気づかなかったということは、俺専用にエンドが調節した可能性が高い。
「お前に、鈴璃の役割を押し付けているのは俺のエゴだ……。感謝してるよ」
「これは私のエゴであり、罪の証のようなものだ。礼は必要ない」
中身のない、いつかしたような会話を繰り返す。
一歩もこちらに近づかないエンドと、指先ひとつ動かせない俺。
状況が読み込めていないということもあるが、それよりも強烈な既視感が俺をこの場にくぎ付けにしていた。
「……懐かしいな」
「何が」
「いや、昔を思い出していたんだよ」
「あぁ、結局この場所になってしまったのは、申し訳ない。君が嫌っている場所なのに、事をなすにはここが一番都合が良かったんだ。もう少し、時間さえあればよかったのに」
ははは、と乾いた自嘲を彼女は漏らした。
「あの≪収集器≫の修復さえ間に合っていたら、こんな道を選ばずに済んだのに。そもそもエレミヤが壊すから……。でも、あの子の性格をわかっていたのに≪秩序≫に預けた私にも問題があった。それにあの時、君に無茶をさせずにすぐに私が助けに行けていたら、こんなに早まることもなかったんだ。そもそも君に気づかせてしまった私が――私が全部至らなかったせいだ」
「エンド、悪い癖が出ているぞ。全部を自分のせいにして背負うな。何度も言ったじゃないか。これは俺が選んだ道だ。後悔なんてしない」
「君の後悔なんて関係ない。これは私の後悔の話だ。後悔は、繰り返さないためにある。繰り返さないために、過去を反芻して悔やみ、苦しみ、己の身に刻み込む。それなのに、また私は繰り返すんだ。同じことを」
彼女はゆっくりとフードを下した。
いつもは二つに結ばれていた長い髪が一つに結ばれ、その結び紐には小さな硝子玉が幾十も繋げられていた。
髪が揺れると硝子玉がぶつかり合い、シャラシャラと小さな音が鳴る。
「……エンド、何をするつもりだ」
「同じ罪を、また重ねる。私ができることは、結局それだけだった」
「俺に話してくれる気はないか。何かできるかもしれない」
「もう、時は来てしまったんだ。これしかもう、できない」
「まだ、まだあるかもしれないだろ。そんな顔、するなよ」
エンドの顔には表情がなかった。
能面のように、何も読み取れない。いや、読み取らせないように必死にふるまっている。
顔の筋肉を一つも動かさないように、必死にこらえて、同情も哀れみも何も抱かせることのないように。
ただ決めたことをやり遂げようと、自分を切り捨てている姿は、痛々しかった。
「隠しきれてないんだよ、全然。お前、本当にわかりやすいんだから」
「…………」
「本当はこんなこと、やりたくないんだろう。お前はいつもそうだ。自分の気持ちを無視して、誰かのためにって、ちゃんと自分のために一度でも何かを選んでやれよ」
「自分のために、か」
くすりと少しだけ、能面が崩れ、エンドが笑った。
「在須。私に関わる大抵の人間は、君と同じように私のことを案じてくれたよ。自分のことを考えろ、自分のことを思え、自分のことを大切にしろ。でも、私は私が笑うよりみんなが笑うほうが嬉しい。私の悲しみよりも、みんなの悲しみのほうが辛い。みんながいる限り、私の優先順位は常に私よりみんなだ。これは変えられない、生まれ持って持っている私の歪みで、私という人間の理だ。否理師の癖に、自分の理を曲げることは一切できない。いつ、どんな時だって。だから、私は罪を重ねることも厭わない、みんなのためが、何よりも私のためだから」
「……そのみんなを≪絶対終末≫で失ったら、お前はもしかして自分のために生きることができるのか?」
「え?」
虚を突かれたように、エンドの顔から力が抜けた。
ぽかんとして、でもすぐに「あぁ」と、何かに思い至ったように呟いて、また彼女は自分を嗤った。
今すぐに泣き出しそうな、でもそんな自分を許せなくて嗤う。
諦めの、表情。
「そうかもね。あぁ、だからこそ私には、ひとでなしが相応しい」
彼女から気が抜けたのは一瞬だった。直ぐにその顔は無に隠される。
「在須。こんな私を気遣う必要は一ミリもない」
「無茶言うなよ」
ほんのわずかに見えた、素顔に思わないことなんて、できるはずはない。
「エンド、終末は俺がどんなことをしてでも食い止める。そう決めた。だから俺を信じてくれ」
「君にできることは、私を許さない。それだけだ」
エンドの腕が動く。コートに入れた手が取りだすのは、見慣れた彼女が使う刃。
「また……死んでくれ」
そして、真っすぐに刃は俺に向けられて――。