第一章 シノブ君へのオモイ4
上野唄華という人間が生まれたのは、ほんの五年前のことだった。
適当な夫婦の子供として生活してもよかったが、そういったお遊びはもう飽きてしまっていた。人形を親の代替として作成し、過去も何もかも捏造して、この街に引っ越してきたということにした。
この体は、肉も内臓も人間と寸分違わない。
どこにでもいる美少女。せいぜいクラスから二番目程度の可愛さ。
ちょっとだけ可愛い平凡な人間を作り出して、彼に会いに行くと決めた。
彼の転生には、私の予想以上の長い時間がかかった。
ルールを破ると決めた時、この手に全知はなかった。
だから理を弄るときに、特に何も考えず、自分が何をしているか把握せず、ただ結果だけは得られるようにした。
全能だから、何も知らなくても欲しいものは簡単に手に入る。
望み通り、彼と同じ想いの器を持つ人間が生まれた。
少しだけ、時間が経ってしまっているけれど。それはいつどこに彼が戻ってくるか、具体的な望みがなかったから。
--いつでも良い。
そんな気持ちがあったから。
彼にまた会えるのであれば、いつでも良い。
結果は同じだ。
彼に気持ちを打ち明けて、彼に神のすべてを差し出す。
それさえできれば、何でもいいと思った。
彼と別れた後の時間は長かった。そう、長い時間がかかったと、感じた。
いつ、いつ、いつ、彼に会えるだろうと。
私のこの気持ちをどう受けとめてくれるだろうと。
考える度に、仮初の人体の胸の奥がチリチリと焼かれるようで、その感覚は面白く心地よかった。
深く、深く、彼を想った。
彼が残した簪を愛でながら、それを見るたびに頭の中に小さな灯が燃え広がっていくようで。
指折り数える日々は楽しくて、長かった。
だから、五年前。
彼が私のことを見てくれないとは、思ってもいなかった。
器は同じでも、そこに蓄積される記憶は他人のものだ。
わかってはいたけれど、私が思う彼と、深漸在須という人間はあまりにも違っていた。
どこか影を背負って、物憂げに目を伏せがちな少年。
--いつも明るく、笑顔を絶やさなかった彼と違う。
友人たちにからかわれて、怒って乱暴な物言いで返す。
--彼は笑われてもへらへら自分も笑っていた。
何よりも違ったのが、私が隣に居ても視線を向けないことだ。
彼とは幼馴染として過ごして、子供たちの集団で動くとき、いつも私のことを気にかけてくれた。
それなのに深漸在須は私のことを見ない。
一度、しびれを切らして目の前に消しゴムを落としてみたけど、拾って「落としたよ」と渡してきて、それで終わり。
昔、あれだけしつこく求婚してきたのに。
いや、記憶は違うんだから、彼と同じ行動をとるとは限らない。
思い返してきた彼とはあまりにも違って、それでも想いの器は間違いなく彼と同じもので。
なんだ、簡単なことだった。
深漸在須は彼ではないのだから。
時が来れば、その記憶を消してしまえばいい。
その結論にたどり着いて、肩の力が抜けてしまった。
もともと私が思いを伝えるのは、器が彼が死んだ頃と同じくらいまで成長してからにしようと思っていた。
待つのにも飽きて少しでも早く彼に会いに行こうとしたのが、失敗だった。
このまま、彼と違う別人に幻滅し続けるのも気が滅入るし、もういっそ時が来るまでこの街から離れてしまおうかと考えていた時。
深漸在須は、私の手を取った。
「……今、赤信号だったぞ」
「あ、えっと……ごめん」
ぼうっとしていた私は信号を無視して、道路に飛び出そうとしていたらしい。
彼に腕を掴まれ、はっとなり左右を見たが、車の来る気配はない。そもそもこの道は車どおりが少なく、信号無視をする者がほとんどだ。
それなのに、こんなに息を切らしてまで走って止めに来るなんて。
中学生になったばかりで、私の体よりも少しだけ背が低い深漸在須は、気まずそうに眼を逸らして手を離す。
でも、信号が青になったのに、深漸在須は渡ろうとしなかった。
私も立ち尽くして、背かれた彼の横顔を見ていた。
「……ちょっと意外だった。深漸くんって、結構真面目なんだねぇ」
茶化して笑ってみたが、少年は渋い顔をする。
「そういうつもりじゃ……」と、言葉を濁す。
あぁ、イライラする。
彼と同じなのに、私に向けてくる感情があまりにも違いすぎて。
「じゃあ、どうして、私のことを助けてくれたの?」
あえて、何も知らないふりをして、言葉を刺す。
助けられなかった過去を背負う少年に。
「いや……違う」
と、深漸在須は首を振る。
「助けたんじゃない。俺は……ただ、呼び留めたかっただけだ」
「え?」
予想外の言葉に呆けて首を傾げると、少年は言いづらそうに嫌そうに顔を思いっきりしかめていた。
「……お前さなんか、違うだろ? たまにだけど、普通の人間とはなんか……さ。さっきのお前は特に、気持ち悪いくらいに嫌な感じだったから……」
「…………」
「あーあーあー‼ 何でもない忘れてくれ! 気のせいだから!」
痛い発言をしてしまったと、少年は顔を真っ赤にして走り出していった。
残された私はただただ唖然としていた。
見抜かれたことと、気持ち悪いという感想に、思考がついて行かなかった。
その後幾度か深漸在須に関わることで、理への感知力が異常に高いことがわかった。
おそらく、転生の影響で。
私の異常性に怯えているようだったから、突飛な非凡の差異がある人間として振舞っていたら、いつのまにか「変人だから」と納得されていたのは不服だが。
深漸在須と、彼は違う。
でも、いつのまにかこのぶっきらぼうで、自分の気持ちを言葉にするのが下手で、だけど周りの人間を大切にしたいと強く願うこの人間と関わることが、面白くなっていた。
きっと、私は彼と同じように深漸在須のことを想っている。
そう、深漸在須にも私の全てをあげたいと思っている。
長い間待っていて、本当に良かった。




