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魔女が詠う絶対終末  作者: 此渓和
神の居ぬ間に
124/134

そして終わりが始まった

 虫の音が聞こえる。

 日が暮れ始め、朱色が世界を染める。

 走っていた足がもつれ、転びそうになる。それにも構っていられず、ただ前へ進む。

 仕事場にはいなかった。きっと今はこの先の丘にいる。

 あいつがあの方のことを、幸せそうに語ってくれた場所。

 この竹林を抜けたら、すぐに――。

「あれ、おすずじゃないか。どうしてここに」

 かけられた声にぴたりと足を止める。振り返るとそこに。

「もしかして、おみきに聞いて来たのか。いや、それは恥ずかしいな」

 彼が照れて、頭を掻く。

「鈴太郎……」

 彼の名前を呟いてしまった。そのことに鈴太郎は目を見開いて驚く。

「お前から名前を呼ばれるなんて、初めてだ。やっと俺を兄貴分として認めてくれる気になったのか」

 何も言葉が続かない。何を言えばいいのだろう。

 いや、会話なんてする必要はない。私が私である限り、するべきことは決まっている。否理師として、自分の目的を貫くために。

 でも私の体は指一本たりとも動かなかった。口だけが何かを言おうとして、開いたまま。

 目は彼の動きをただ追っている。

「どうかしたか?」

 不審に思ったのか、鈴太郎が近づいてくる。嫌だ、来ないで。

「あの方と……待ち合わせているの」

 自分でもわからない、どうしてその言葉が出たのだろう。

「あの方? おみきのことだよな? そうだけど……」

 彼は手に持っていた包みを開いた。

「これを渡そうと思って。南蛮から来た技術を使って、難しかったけどようやく一つ形になったんだ」

 出てきたのはかんざしだった。きれいな硝子玉が付いた赤を基調とした一本軸のそれは、確かにこの国ではまだ珍しいものだろう。

 でも決して奇抜でも華美でもなく、清楚な印象を受けた。

 きっとあの方の黒髪によく似合う。結納の席で着けると、尚生えるだろう。

 面白がってヤジを飛ばしていた町民も二人を祝福する。そこにはたくさんの笑顔がある。

 その光景をありありと思い浮かべることができたけれど。

「おみきと俺の幸せを、お前も祝って――」


 その先を聞くことは出来なかった。

 私は彼の胸に刀を突きさす。

「あっ……」

 呆けた顔をした鈴太郎の口から血が溢れた。崩れ落ちる彼から、勢いよく刀を引き抜くと鮮血が溢れて、私にかかる。

 温かい血が、彼の血が。 

「どう――して」

 せめて一刺しでと思ったのに、まだ意識がある。信じられないという目で私を見ている。そうだ、私だって信じたくない。

 私は――あなたを。

「あなたとあの方は幸せになれないの」

 彼の手にはかんざしが握られている。それを見ているとたまらない気分になる。

 そのかんざしは、さっき見たばかりだ。世界が滅びゆく中、あなたが持っていたもの。

 足が震えて膝から崩れ落ちる。肩を震わせて俯く私へ、そっと手が延ばされる。

「泣くな……」

 彼が私の涙をぬぐう。あれ、私は泣いているのか。耳に聞こえてくる嗚咽は、私のものなのか。

 ごめんなさいと繰り返すしているのは、私の口なのか。

「そうか……俺は駄目だったんだな」

 彼の瞳から光が失われていく。死に逝く最中に、彼はただ悔しそうに言った。

「おみきのことを、頼む」

 ごぼりと、口から再度血が溢れて、そうして彼は動かなくなった。


「鈴太郎……さん」


 ばっと振り返ると、そこにはあの方がいた。

 血に染まった彼をその目に映して、ただ冷ややかにこちらを見ていた。

 手の震えが止まらない。何か言おうと思うのに、体がまた動かなくなっていた。

 ゆっくりと神が近づいてくる。

 血に染まった私を無視して、息が止まった彼をそっと抱きしめる。

「鈴太郎さん……もう、いないのね」

「聞かない……のですか」

「どうして、聞く必要があるの? 私はもう全部わかっているわよ」

 彼が握りしめたかんざしに神は手を伸ばす。ゆっくりと彼の指を一本一本解いて、それを受け取ると「きれいね」とポツリと呟いた。

「私は彼にすべてをあげるつもりだった。私自身を、私が持つすべてを。だから――あなたはその結末を回避しようとしたのでしょう。あなたが慈善に狂った人間だということを、私は肝に銘じておくべきだった。そうであれば、彼を失うことはなかった」

「お願いします……」

 私は震えながら、平伏する。神から大切なものを奪っておきながら、ずうずうしくも、でも弱い人間の一人として。

「お願いします。どうか、世界をあきらめないでください。どうか、私たちを捨てないでください……」

「私がこの世界を始めた。だから、もちろん終わりも私が決めるわ」

 彼女はかんざしに唇を触れる。そのとき私は何らかの理が歪んでいることに気づいた。

 草木が、大地が、この周囲一帯が軋んでいる。

 私たちが知っているルールの、範囲外だった。

 それは神しかできない秘術。ルールの例外だった。

「土地や人に刻み込まれた彼を集めましょう、全てをここへ揃えましょう。ここに彼はいなくても、私と彼がいた証がある。だから戻る、還る、彼の記憶と想いはここに成る。記憶はここに眠り、そして想いは、時を越えて、巡り、いつか私のもとに帰ってくる」

 かんざしに優しく触れながら、神は詠った。単純な言葉は、神だからこそ使える言霊で、理を越えて実現される。

 彼の死体は光に包まれ、そしてその光が霧散すると同時にそこには何もかもが消え失せていた。

 死体だけではないだろう。神が告げた通り、彼がこの時代、この場所に存在した全てを神は使ってしまった。きっともう誰も彼のことを覚えていない。

 彼を殺して、すべてを見届けた。私以外は。

「私は私が作った『生まれ変わりを禁じる』理を破った。だからもう、私の終わりは決まったのよ」

 ただ進んで、進んで、あなたに再び会って、そして世界もろともに朽ち果てよう。

 あなたにすべて捧げるために。

「ここの一部始終すべてを他者に伝えることを禁じる」

 最後に神は私に一つ呪いを残して行った。

「それだけでいいのですか。私はあなたの大切な人を」

「人間だったら、こういう時、どうするのだろう。でも、私はまた会えるから。そういうことに決めたから」

 だから、もういいんだよ。

 何がいいというのだろう。神は彼を愛していたはずだ。それなのに。

「それじゃあ、またね」

 去っていく神に私は何も言えなかった。


 否理師として、喜ぶべきだった。

 世界を救えて、神からは見逃してもらえて、世界は終わるとしても対策を練る猶予までもらえたのだ。

 でも、私はうずくまって、動くことができなかった。

 涙はもう出ないのに。胸が痛くて仕方がない。


 愛する人の名をとても大切に呼ぶ彼の声を、もう聴くことはないのだと。

 

 自分で壊したくせに、もう戻ってこないのに、ただあの日々の記憶だけが、三人で過ごした短い日々が、私を叫ばせた。 

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