覚める者3
「恋ってなにか、って。恋をしたことないのか?」
「そうだが、なにか悪いか」
「いや、悪いとかはないけど。ふてくされるなよ」
そんなつもりはなかったが、私はいつのまにか歯を食い縛るようにしていたことに気づいた。
恥と感じている自分がいることに気づき、胸のうちで動揺する。
「まぁ、俺も気づいたら好きだった。俺のものにしたいと思った。そばで飯つくってほしい。それだけだかた、恋って言うもんついて難しく考えたことはないからな。わからない」
「そうか」
口で簡単に説明できるものではないのだろう。
今までもそうだった。
私は私の周囲の人間が恋に燃え、溺れたり、奮い立ったりする姿を見てきた。その気持ちに共感しなかったわけではない。でも、言葉にはできなかった。
私は見ているだけで、自分がその感情を抱いたわけではなかったから。
でも、当事者でさえもわからないのなら、そういうものなのだろう。
答えがないものの一つだ。
ならば、考えても意味はない。正解はないのだから。
「無駄な時間をとらせて悪かったわね。それじゃあ」
「待て待て。それで終わりかよ」
「ちょっと聞きたかっただけだから。それとも、姉様に金輪際近づくなっていってほしい」
「それは勘弁。妹分なら、少しは協力してくれないか」
「嫌よ」
「おみきが嫌がっているからか」
「・・・・・・そうよ」
すぐに返答できなかった私の様子に、鈴太郎はにやりと笑う。
「妹分からもそう見えるってことは、あともうちょいってところか」
「そんなことはない!」
叫ぶように否定した。だが鈴太郎の笑みは深くなるばかりだった。
「むきになるなよ。姉を奪われるのがそんなに悔しいのか」
「そんなんじゃない」
「俺、頑張るからさ。頑張って、おみきを幸せにするから」
鈴太郎は笑っていた。力強い笑みでまっすぐ私を見ていた。
「俺を信じて、任せてくれ」
幸せにする。
私が神をーー。
「・・・・・・どうして、どうして姉様を?」
やっと出た言葉は、なぜかとても弱々しかった。
「他にもいっぱい人はいるのに、なぜ姉様を」
「まずは見た目だな。あの黒髪は見てて興奮する」
こいつ、消してやろうかと。私は、思わず想片に力を込めかける。
「っていうのは、冗談だけど。さっきも言っただろう。昔はよくあいつと一緒にここに来たって」
鈴太郎は町を眺める。でも、その眼に思い浮かべているのは、かつての思い出。
「俺はここに来るたびに、綺麗だなとか、すごいなとか、叫びまくった。おみきも言うんだ。そうだね、素敵ですねって、でもーーあいつの眼はいつも町を見ていないんだ。眺めてはいるんだけど、写っていない。どっか遠いところにずっと思いを馳せている」
それは神だから。
人ではないから。
「ずっとそうなんだ。あいつは笑うし、泣くし、至って普通に見えるのに、どこか遠いんだ。笑ったり、泣いたりしている表面のおみきの向こうは、きっと違うことを考えている」
だから好きになった。
「向こうのおみきにこっちを向いてほしいんだ。ずっとその事を考えているーーこれが、俺にとっての恋だ。だから叫ぶし、何度だっていうよ。遠くのおみきに届くまで好きだって」
気づいてもらって、振り向いてもらって、近くに行けたら。
「俺はあいつを幸せにする。あいつの本当の笑顔が見たいんだ」
語りすぎてしまったと、恥ずかしそうに鈴太郎は頭を掻いた。
「そういうわけだから、あまり俺の邪魔をしてくれるなよ、妹さん」
早口で軽口を叩いて、逃げるように去っていった。
その場に取り残された私は、町をみる。
彼が告げた恋の形を考えていた。
まだ暖かい残暑の風が、頬をなでていった。
任せられるかもしれないと思った。
私では無理でも、彼ならば。
その一週間後、呉服屋の娘「おみき」の父が急死した。
そして、「おみき」の婚姻が決まった。