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魔女が詠う絶対終末  作者: 此渓和
神の居ぬ間に
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微睡の沼1

乗り物は得意ではない。

自分で操作するのならばともかく、ただ座っていれば目的地に着くというのは未だになれない。

足二本で様々な場所を渡り歩いた日々がよぎる。適度な疲れと共に見る美しい光景は、私の大好きなものの一つだった。

車の窓から覗く景色は、ただ流れ、記憶の端にもひっかかりそうにもない感慨のないものだ。

便利に、人々が快適に過ごせることは善いことだが、何か物足りない。

つまらない。

そう思ってしまうと、少しの揺れのせいもあってすぐに瞼が落ちそうになる。

まだまだ成長途中の体は、いつも休息を欲している。

「鈴璃、寝ていていいんだぞ」

目をこする私に、運転している《父親》が優しく言う。

数か月ぶりに顔を合わせた父親はかっちりしたスーツを着込んでいる。本来ならば深漸家にしばらくお世話になるはずだったのだが、在須の入院のせいでわたわたしている家に居候するのも気が引けると、急遽予定を変更して温泉街に宿泊ということになった。

知り合いに手を回してもらったとのことだ。父親の仕事はよくわからないが、彼はそれなりに優秀で人望もあるのだろう。

冬休みの短い期間だが、私は彼と過ごす予定だ。

彼女《代わり》として。

「いや……。もっと、パパの話を聞きたい」

さっきまで話していた会話の続きをせがむ。しかし彼は苦笑して、助手席の私の頭に片手を優しく置く。

嬉しそうに眼を細めて私を見る。

実際、彼にとって紙邱で過ごすよりも旅行に行く方がよかったのだろう。

彼の心に残った傷はいまだに深い。

ちくりと罪悪感が胸を刺す。

今までも幾人の女性の体を使ってきたが、その人物として過ごし、代わりとなったことはなかった。大体が不明者か、身寄りのないものか、密かに死んだ者の体を利用させてもらっていた。

らしくないことをしている。その自覚はある。

あの時、冷静な判断ができなかった。

嫌、今思えば最善の判断だったのか。

過去を振り返ろうとして、思考がちぐはぐになってきているのを感じた。

意識が深い沼にゆっくり沈んでいくのを感じた。

嫌だ。

眠りたくない。幼い体を酷使している代償として必要な睡眠だとしても、今は。

抗おうとするのに、目は閉じていく。

視界はぼやけていく。

この瞬間も好きではない。

《死》と似ているから。何度も経験した、体が言うことを聞かなくなる感覚。

抗えない微睡に、落ちていく。




夢を見るんだ。

世界が終わることがわかってしまってから。




最初の《私》の名前を、私はもう思い出すことができない。

そもそも、そんなものなかったのかもしれない。

親も兄弟もおらず、村の手伝いをすることで辛うじて生きていた。

山々に囲まれた小さな、その時代にしては平和な村の端にある崩れかけの家を私は住まいとしていた。

日が昇る前に起きて、昨晩のうちに言いつけられた仕事を太陽が高く上る前に終わらせる。仕事が終わったら動き出した村人の誰かのもとに行って仕事をもらう。日が沈むと次の日の仕事をいいつけられ、ついでに残飯をもらう。

その繰り返し。

自分が生きている場所が何なのか。自分が何者なのかを理解することもなく。考えることもなく、ただ必死に生きていた。

思い返せば、それは《悲惨》と呼ばれるような生活だったのかもしれない。

でも、私は誰かの喜びに生きられることがうれしかったのだ。

物を運ぶんだり、水を遠くからくんできたり、畑の草をむしったり、赤子をおぶってやったり、寝ずの番をして獣から田畑を守ったり、様々なお手伝いをした。

感謝はなかった。食べ物を投げつけられるように与えられるだけ。

それでも彼らが家の中で《家族》と楽しそうに笑っている光景、《友達》と戯れてはしゃいでいる光景が眩くて、愛おしくて、大好きだった。

この人たちのためになれている自分が誇りだった。

だから私はとても。


『幸福だと?』


その方は、声を発しない。

なのに、そういわれたのが分かった。


『おかしいのぅ』


くっくっくと嗤われた。

その方には表情はない。なのに、嘲りの眼を向けられていることがわかった。

一枚の鏡が、私に話しかけた。


『汝は、自身の境遇に気が付きたくないだけじゃ。自分が哀れと気づけば、抗わなければならない。幸福を探しに行かねばならない。ただそれが面倒だから、現状に甘んじておるだけじゃ』

「そんなことは、ありません」


私は鏡に向かって訴える。


「私は幸せです」

『ならば、汝を我に映して見せよ』


私の顔より大きい円い鏡だった。装飾はなく、ただ円いだけの鏡は光を反射して私に抱えられていた。

村のはずれにある小さな神社の御神体とされている鏡で、毎朝それを磨くのが私の仕事の一つだった。

だから、既に毎日覗き込んでいる。


「神様……ですね」


私は自分に話しかけている正体に気づいた。


「気に障るようなことを言ったのなら、ごめんなさい。私は毎朝、神様を見ています。だから」

『汝は自分の姿を知っていると?』

「はい」


知っている。

私は鏡に映った自分の顔を見る。

痩せこけてくぼんだ頬。泥で汚れ、固まっている髪。瘡蓋がはがれてはふさがることを繰り返した傷。目の焦点は定まっていない。いつか殴られた時から、まっすぐ物を視ることが難しくなった。

醜い。少なくとも十は過ぎた体なのに、女らしいところはどこにもない。

土で作られた歪な人形のようだ。しかも失敗作。

こんな自分が生きているだけでありがたい。


「私はこのようなものです。でも、ほかのみんなの中に私のような者はだれ一人いないのです」


快活に笑い、走り、幸せな日々を当然のように享受している私以外のみんな。


「みんなが私のようでなくて、本当に良かったと思っています」


鏡に向かって私は頭を下げる。


「神様。みんなを守ってくれて、ありがとうございます」


心からの本心だった。言葉にして、やっぱり私は幸せなんだと感じて、涙が流れた。

自分の気持ちを再確認させてくださった神に、更に畏敬の念を感じて、長い間そのままの姿勢で伝えきれない思いを伝えていた。


『……ふん』


しばらく、神はつまらなそうに鼻をならした。


『興が乗った。お前に知識を与えよう』

「え……」

『無理やりでも与える。汝のおめでたい価値観を踏みにじってやろう。もう二度と、幸せなどと容易く言えぬように』


それから毎朝、僅かの時間を使って神は知識を授けてくれた。


否理師の知識を。

神が私の師だった。

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